たとえば、永久の魔法を使えるようになりたい、と、すると
ぼくの
探していたものは
誰もが一度は考える
シンプルなものだった。
そのシンプルなものを言語化すると
たとえば
永久だったりする。
永久。
永久のその魔法を
このぼくやきみやこの世界やあの世の
産みの親である
根源の神様
愛と光と美の
プロティノス(ネオプラトニズムの始祖であり、ギリシャの哲学者)で言うところの一者に
祈り、礼拝し
希求し始めたら
実に、複雑怪奇な道のりを歩むことになった。
しかも、その奇々怪々な
幻のようなものが
やけに、甘美なものに感じたり
やけに、清らかに感じてしまったり
説得力のあるものだと思ってしまう…
ある人はその美しさや説得力のようなもので
満足しちゃって
永久だと勘違いして
永住しちゃう場合もあるだろうし
永久だと思って、その魔法を使い
人や自分を殺めてしまう人もいるだろうし(よくある宗教戦争はこの段階だ。ただのイデオロギー紛争に過ぎない。本来の宗教には、争いは無く、調和や秩序やよろこびがある)、、
ある人は初心を思い出し
また、何らかの力や神様のお導きで
さらに先に進んでいく(自力を尽くせ、他力を尽くせ、全力を尽くせ!)。
そう考えて
永久の魔法を少し、逆算すると
人は
なんとかして
幻のような力とも出会い
その幻を創造する力まで有さなければ
(白魔法と黒魔法、その両方を使える魔力まで、身に付けなければならない。もしも、身に付け、発動するならば、その時は、断じて、命懸けで愛の白魔法を使いなさい!黒魔法に、決して決して、命を懸けるな!!アトランティスの二の舞を演じなくてもよい)
シンプルな道
永久への案内が
本当には出来ない、って、
ことになるんだよね…
だから
永久を本当に体験して
永久を本当に召還出来る人は
刹那にある
美しい幻さえも
召還出来てしまうし
コントロールして
使いこなせるし
あらゆる誘惑や瞞物も
見破ることが出来る。
そしてその先にある本当の美しさ
永久の美(プロティノスで云う、根源的美)
永久の魔法へ
しっかりと
導き、魅了する力を身に付けられている。
まあ、これがよくアニメで使われる
最終奥義の習得なんだろうけど…
(やっぱ、若いうちは本物の師匠や仙人を見つけることからだろうね。本物は関わる者を素直にし、関わる者が良い方向に、本当に伸びるもの)
永久の生命に
己や人類や自然やあの世
全世界を導く
最終奥義をやっぱり
習得してみたいね、、
一瞬でもいいから永久の力を
発揮してみたい!
まぁ
これこそが
中二病なんだろうけどw
おほほ、おほほ
バカにされても良いから
ぼくは永久の魔法を使いたい!
まあ、使えない場合は
永久の魔法を
使っている人に出会いたい……
いいや、、
ぼくは、必ず
永久の魔法を使えるようになります