第三話 下校
電車通学している人はあまりいない。
浩明の通う公立校に在籍している生徒の多くは地元の人だ。
浩明のようにわざわざ引っ越して一人暮らしをしている人は少なかった。
だからこそ、浩明は電車内で華恋を見た時もわずかに驚いていたのだ。
授業が終わり、まっすぐ家に向かおうと教室を出る。
幸助たちに放課後遊びに行かないかと誘われたが、カップルのデートを邪魔するつもりはまったくない。
だから、浩明はまっすぐに駅へと向かっていた。
駅構内へと入り、目的の電車に乗りこもうとしたときだった。
「……戸高くんっ」
苗字を呼ばれ浩明は反射的に振り返る。
(うっ……)
思わず唸りそうになったのは、そちらに可愛らしい少女がいたからだ。
彼女が歩くのにあわせ、ふわりと栗色の髪が揺れる。
華恋だ。
ここまで走ってきたのだろう。息を乱していた華恋が、浩明の隣に並んだ。
「……どうした?」
「一緒に、帰ってくれない?」
(別に構わないといえば構わないが、今の時間ならそんな混んでいないはずだ。大丈夫、だとは思うが)
「席にも座れるし問題ないんじゃないか?」
「……それでも、その……怖いから」
(……怖い、か。それもそうだよな。トラウマみたいになっちゃってるのかもしれない)
否定も肯定も口にしなかった浩明だったが、朝と同じように華恋は隣にならんだ。
どうせ一緒の方角、浩明はそう考えて電車に乗りこんだ。
今日は普段に比べ、人があふれていた。
結局座ることはできず、二人は扉付近でつり革を手にして立つことになった。
「早水、つり革はいいのか?」
「……その、ちょっと苦手で。あんまり掴まないかな?」
(そういうものなのか?)
そうして、電車で揺られること数分。
(……目立つんだな)
電車の人たちがちらちらと華恋を見ていたのに、浩明は気づいた。
華恋の容姿はそこらの雑誌にモデルとして載っていてもおかしくないようなものだ。
そんな彼女が電車に乗れば、それだけで周囲を引き付ける。
華恋もそれに気づいているようで、居心地悪そうにしていた。
(早水、大変なんだな)
周囲の視線は多い。
朝と違い、電車に乗る人々もあとは家に帰るだけ、といった余裕も働いているのかもしれない。
その視線に常にさらされている彼女の気持ちをわずかに味わった浩明は誤魔化すために、スマホとワイヤレスイヤホンを取り出した。
適当に音楽でもかけて、気を紛らわしたかったのだ。
あくまで一緒に帰っているだけ。そういう意味もあった。
浩明の小さな意地のようなものだった。
装着してしばらくが経ったとき、浩明は華恋に肘をつつかれた。
その動きにぎょっとして、彼はすかさず華恋を見る。
(偶然当たった、わけじゃないよな)
視線を向けると彼女が見てきていたのがわかり、浩明はイヤホンを外した。
「戸高くんって、音楽好きなの?」
微笑みながらの質問に、浩明は脈が速くなるのを感じた。
(……話題を見つけて、声をかけてきたってところか?)
「まあ、それなりに」
「何聞いてるの?」
(……誰か助けてくれ)
今聞いている音楽は深夜アニメの歌であった。
華恋が好みそうな流行りの曲などは知らない。
(どう答えればいいんだろうな……)
難しい心境を抱えていたが、結局考えてもどうしようもならなかった。
あまり長く沈黙しているのも嫌で、浩明は嫌な汗を背中に感じながら、ゆっくりと口を開いた。
「……アニメ、とかの曲だ」
「あっ、そうなんだ。なんていうか、そんな感じした」
(……俺、そんなにオタクっぽい?)
華恋に気付かれない程度に、浩明は落ち込んだ。とはいえ、事実でもあったので何も言えなかった。
華恋は楽しそうに微笑んでいる。
――大きく引かれなかったことに今は満足しよう。
浩明はそんな気持ちとともに、顔をあげた。
「今って何聞いてるの?」
(言ってわかるのか? たぶん、分からないだろう。がっつり男向けの深夜アニメだぞ……? 逆にわかったら驚きだ)
悩んだあげく、浩明は誰でも一度は聞いたことがありそうな作品を伝えた。
「そうなんだ。あっ、それは聞いたことあるかも!」
「そうか……」
(誰か、助けてくれ)
精一杯のコミュ力を総動員しての結果だったが、すでに息が乱れそうなほどに疲労していた。
慣れていない女性相手。おまけに、昔一目惚れした華恋が相手だ。
クラスメートではあるが、遠い存在に変わりはない。
「私も最近音楽聞くんだけど、ほら今やってる月曜日のドラマ知ってる?」
(確かそれなら――)
「原作の小説は読んだことあるけど、ドラマは知らない、かな」
「そうなんだ? そういえば、朝も本読んでたよね。本好きなの?」
「そう、だな」
「凄いなー、私活字読むのそんなに得意じゃないんだよね」
「そう、なんだな」
(……返事が一辺倒になってるな。これが俺のもてる最大限のコミュ力なんだ。本当、あんまり話しかけないでほしい)
単調な返事しかできない自分に嫌気がさすが、それをどうにかする術も知らなかった。
だんだんと華恋の質問が増えていく。それに、浩明は困りながらわかる範囲で答えていく。
(どうしてこう、コミュ力のある人は相手の目をじっと見て、話せるんだろうな)
浩明は電車が早く着くことを祈り続けていた。
それだけ、質問攻めに疲れてしまっていた。
(電車、こんなに長かったか?)
そんなことを思っていた浩明だったが、ようやく目的の駅についた。
駅を降りたところで、華恋に気づかれない程度に伸びをする浩明。ようやく解放される、と思っていた浩明が家に向かって歩き出したのだが、
(え?)
華恋も浩明の隣に並んでいた。それに、浩明は困惑していた。
(おりたらおわかれ、じゃないのか? どこまでついてくるんだ……)
「私、ここが地元なんだけど、戸高くんもそうだったの?」
(当たり前のように会話を始めただと?)
「いや、俺は違う。別の県から来て、今は一人暮らしだ」
「え、一人暮らし!? 意外っ。バイトとかしてるの?」
「……まあ、喫茶店で週に一日程度、だけど」
(俺も熱心な接客はできない。父の知り合いが営んでいる喫茶店で雇ってもらっているだけだ)
「そうなんだ! どこどこ?」
目を輝かせて話す彼女に、浩明はただただ驚いていた。
(食いつきが凄いな……)
「……佐々木喫茶店だ」
「あっ! 結構近いところだ」
(なんだと)
「それじゃあ、近くに住んでるの?」
(俺の住所を特定してどうするつもりだ)
「まあ、そうだな」
「ってことは……あっ、もしかしてあそこのアパートかな? リビールだったっけ?」
(特定された……)
「……そこ、だな」
誤魔化すか迷った浩明だったが、別の返事も思い浮かばなかった。
可愛らしい目をさらに丸くして、それから華恋は口元を緩める。
「そうなんだ……結構近かったんだ」
(……高校入学してから一年間、よく見かけなかったな)
ある意味奇跡だな、という感想を抱いた浩明は足を止めた華恋に視線をやった。
ちょうど曲がり角、華恋はある方角を見ていた。それは、浩明の向かうアパートとは別の場所である。
「この前、本当にありがとう。それに、わざと大事にしなくてくれて、助かったよ。……その、痴漢だー、とかあんまりそういうの嫌で……」
(なんか気遣ったみたいになっているけど、それは俺も嫌だったからなんだよな……)
「よかった、のか?」
「……うん、なんか……痴漢とかでその、なんていうか……色々、嫌だから」
(そういうものなのか? よくわからないな)
勘違いを訂正しようとした浩明が口を開こうとしたが、華恋が大きく頭を下げる。
彼女の美しい髪が夕陽を反射させるかのように揺れ、それに見とれてしまう。
「……本当にありがとう」
幻想的な彼女と、その心のこもった声に、浩明は口を閉ざした。
(……まあ、別にいいか)
心の底から安堵したような華恋のそれを邪魔する気はさらさら起きなかった。
華恋はスマホを取り出し、あるアプリを浩明に見せる。
「……LINFってやってる?」
「ああ、やっているけど」
連絡アプリとして使われているLINF。
幸助たちに言われて仕方なくいれたアプリだ。連絡先はその二人くらいしかなかった。
「そっか。クラスの見ても名前なかったから連絡取れなかったんだよね」
(そんな話もあったな。幸助たちに、面倒だからやめてくれって言ったんだったか)
「そうか」
「交換してもいい?」
「あ、ああ」
想像もしていなかった言葉に、浩明は頭が真っ白になったまま、アプリを起動した。
新しく一人が追加されたアプリを見ていた浩明に、彼女の声がすっと届く。
「……明日も一緒に登下校お願いしたいんだけど、いいかな?」
(本気で言っているのか……?)
「……だ、ダメだったらいいんだけど」
(ダメってわけじゃないが……なんだこれ? なにが起こってるんだ?)
憧れだった華恋に、こうして誘われている現状が、浩明には信じられなかった。
本気で困惑していた浩明はそれでも、軽く首を振った。
それを見た華恋がほっとしたように息を吐く。
「本当? それじゃあ、駅前で集合でいい?」
「あ、ああ……」
ほっとしたように彼女は息を吐いている。
「うん、それじゃあ」
「あ、ああそれじゃあ」
彼女と別れたあと、浩明は顔をしかめる。
(何が、どうなっているんだ?)
古典的に頬を抓った浩明は、その痛みで現実だと理解した。