第二十六話 華恋
アパートの入り口にいた華恋を見て、浩明は思わず顔をしかめていた。
彼女もまた、ぐるりと回ってきたのかもしれない。
(友達同士、一緒の行動パターンなんだな)
「戸高くん、遅かったね?」
「……たまにはゆっくりしたかったんだ」
(まさか早水、さっきの俺たちの姿見てないよな?)
「ちょっと上がらせてもらっていい?」
「……まあ、べつにいいけど」
華恋の様子に浩明は頷いた。
玄関のカギを開け、華恋とともに中へと入る。
「うんうん、部屋ちゃんと綺麗にしているね」
「まあ、な」
浩明は廊下を歩き、リビングに入る。
部屋の電気をつけながら、座布団を用意する。華恋は慣れた動きで冷蔵庫に入れてあった飲み物を引っ張り出し、コップを二つ置いた。
浩明の前に注いだコップを置いた。
浩明がそのコップを掴む。ウーロン茶を口に運んだところで、華恋がにこりと微笑んだ。
「花ちゃんと、何の話ししてたの?」
思わずむせそうになった浩明は、じっと華恋を見た。華恋は笑顔を崩さなかったが、どこか観察するように目は細められていた。
(……会話の中身、までは聞かれていないって感じか? けど、神崎と約束したしな……下手なことをいうのもな)
それに、華恋だって中学時代のことを聞かれたくはないかもしれない。
浩明は誤魔化すように声をあげながら、どんな言い訳をしようかと悩んでいた。
「別に、これからも早水のことよろしくお願いします、とかなんとか言われただけだ」
「そうなの? ……けど、それにしては結構時間かかったよね? ……それに、花ちゃんってけっこうひとみしりなんだよ? 戸高くんもそうみたいだけど、二人ともなんだかすごい打ち解けた感じで話してたし……」
「たまたま同じ趣味だったからってのもあるんじゃないか?」
(……あまり緊張せずに話せていたと思う)
浩明が誰かと話をするとき、沈黙が多くなるのは、簡単に言えば相手の話に興味がまるでわかないからだった。
逆に言えば、興味を引かれる内容であったり、自分の知っている内容であれば問題なく話ができた。
そのため、幸助たちと知り合ったときも同じ趣味関係の話が始まりだった。
幸助も美咲もどちらも趣味はオタク系だった。
二人の場合は幅広い趣味がある中での一つ、というった感じだったが。
「……本当に何でもないとかじゃないの? LINFとか、交換したんじゃない?」
「別にしてないけど……」
(なんでそこでLINFだ?)
彼女の意図が読めず、浩明は首を傾げた。
「……別に、特別何かあるってわけじゃないならいいんだけど。ていうか、まさか花ちゃんがあんな積極的に動くなんて思わなかった――」
「……積極的に動く? どういう意味だ?」
「な、なんでもない。……それで、その……本を借りたいっていう話なんだけど――電車で二人が話してた本もお願いしていい?」
「ああ、構わないけど。ちょっと待ってくれ、探すから」
この前の掃除の際、いますぐに読まない本はすべてクローゼットにケースごとしまっていた。
クローゼットを開き、浩明は本の入ったケースを取り出す。
透明で中が見えるようになっているケースにはずらりと本が並んでいた。
蓋を開け、取り出すとわずかに埃が舞う。それを払いながら、目的の本を取り出して渡した。
「あっ、これなんだ? 戸高くんの付箋が凄いついている本だね」
「……特に好きな作家だからな。一番模写した先生だと思う」
一巻を開いた華恋の頬が少し赤らんだ。
それで浩明は思い出した。……確か、結構肌色の多い絵が多かったような気がする。
「……確かに、男の子向けって感じだね」
「だから、早水が読んで楽しめるかは保証できないぞ?」
「でも読んでおきたい」
「……わかった。そういうなら、とめはしないけど」
現在、十巻まで出ていたが、いきなりそんなに渡してもということなのでとりあえず三巻まで渡した。
それを受けとった華恋は満足にカバンにしまう。彼女はそのまま足をぶらりと延ばすようにして、軽く背筋を伸ばした。
華恋のまだ帰らない様子を見て、浩明が首を傾げた。
「早水、まだ大丈夫なのか?」
「うん。そうだ、夕食つくろっか?」
「……いいのか? 家族は大丈夫か?」
「お父さんもお母さんも仕事の関係で遅れるみたい。兄さんは……知らない」
「お願いできるなら、お願いしたいけど……」
「任せて。それじゃあちょっと買い物行ってくるね」
「……買い物、か。一緒に行こうか?」
(さすがに、全部任せきりというのは悪い。それにお金は俺が出さないとだ。俺の夕食なんだからな)
「それじゃあ、お願いしてもいいかな?」
「ああ」
浩明も立ち上がり、華恋とともに家を出る。
華恋の明るい調子や彼女の横顔を見ながら、歩いていく。
(……中学のときの話。全部嘘みたいに明るいよな)
華恋に直接、その話を聞いてみたいという気持ちを持つ浩明だったが、それを口に出すことはできなかった。
――もう昔のように絵を描かないのかどうか。
どのように切り出すのが一番自然なのか、浩明にはいい理由が思いつかなかったからだ。
こういった場面で浩明は、自分のコミュ力のなさを嘆くしかなかった。
「戸高くん、何か食べたいものは?」
そんな浩明の気持ちとは裏腹に、華恋は小首を可愛らしく傾げた。
「なんでもいいな」
「もう、困るんだけど」
「いや、早水の料理は何でもうまいし」
「そ、そう?」
(……早水は、もう中学校のときのこと、吹っ切れたのだろうか? 変わったってことはそうなのかもしれないけど、絵は……どうなったのだろうか? もしもまだ描けないのなら、吹っ切れてはいないと思う)
華恋の笑顔の裏に――浩明はそこで、顔を赤らめていた華恋に気づいた。
ただ浩明は首を傾げるしかなかった。華恋がどうしてそのような反応を見せたのか、不明だったからだ。
(何か失礼なことを言ったか? ……たぶん、大丈夫だと思うけど)
浩明は部屋の鍵をかけ、華恋とともにスーパーへと歩いていく。
スーパーにたどり着いた二人は、買い物かごを持ち、食品を眺めていく。
もう夜遅い時間ということもあって、客は少ない。
弁当や惣菜コーナーでは、値引きシールの貼られたものが並んでいた。
普段の浩明ならまっすぐにそちらへ向かうが、今日は華恋がいるためそのようなことはなかった。
野菜が並ぶエリアにいき、華恋が手に取っていく。
浩明の持つカゴにニンジン、キャベツ、ピーマンを入れていく。
「野菜炒めか?」
「うん。また戸高くんの野菜が不足していると思ってね」
「それはまあ、そうなんだけど……」
「このときくらいはまとめて食べておかないと」
「……そう、だな」
浩明も納得して頷いていく。
「そうだ、戸高くん」
「……なんだ?」
「今度、休みの日に遊びにいかない?」
「遊びに、か?」
想像もしていなかった誘いに浩明は驚いてオウム返しになる。
多少声が裏返っていたのもあり、華恋も戸惑った様子で口を開いた。
「え、えとその……ちょっと見たいものがあるから……けど、一人でいくのもなぁ、って思ってただけなんだけど、どう?」
華恋は肉のほうに視線を向けながら、そういった。その頬はわずかに赤らんでいた。
荷物持ちが欲しいのでは、と浩明は彼女の意図を理解した。
「日曜日なら、大丈夫だ」
「ほんと!? それならショッピングモールに行きたいんだけど、大丈夫?」
「ああ、わかった。また詳しいことはあとで決めるか?」
「うん」
興奮気味にうなずいた華恋はそれからほっとしたように息を吐いた。
「……緊張したー」
(なんで緊張するんだ?)
「そんなことか?」
「だって、男の子を誘ったことってないから。こういうの、結構緊張するんだね」
(……そういう言い方しないでくれよ)
「意外だな」
「意外っぽく見える? 遊んでいるように見えるってこと?」
「そこまでは言ってないけど、出かけているようには思えたからな」
「女の子たちとはいくことあるけど、こうやって出かけるのは初めてだよ。楽しみだよ」
(……だから、そういういいかたやめてくれ。変に意識するから)
浩明は決してそれを口には出さない。
浩明は改めて息を吐き、それから華恋の隣に並んだ。




