皆の夢
今日も朝から勉強に取り組む
やっぱりこの島は静かで
かなり集中力が高まってはかどる
秒針の音だけがなるこの部屋で
数学の証明問題を始める
問題を読んですぐに証明の筋道が頭の中で立つ
ん?これは…あぁ、なるほど
…これは、こう解いたほうがいいのか
筋道が立つとそこから
一番綺麗な解答になる道を探す
そうすると次から次に証明するための公式が浮かんでくる
そのスピードにシャーペンが追い付かないくらいだ
よし、もうすぐで証明終了だ
「美空!来たばーい!」
その時、部屋のふすまがピシッと音を立てて
一気に端まで開かれた
急すぎる音に体がビクッと緊張する
「んな、なに!?」
ふすまに手をかけたままで
にこやかに立っているのは昨日会った彼
確か名前は…
「アオ…」
「そう!よかったー
覚えとってくれたんやね!」
すぐに満面の笑みになる
「まぁ、覚えてるけど…
何で来たの?」
「ばあちゃんに聞いたら
美空、2階におるって言ったけん」
違う!
そういうことを聞いてるんじゃない
「何しに来たの?」
「呼びに来た!」
は?
ってか、おばあちゃん何で部屋を教えるのよー!
アオは平気で部屋の中に入ってくると
私の隣に膝をつき机を覗き込んでいる
近い…
アオの髪が触れそうなくらい近い…
「何ば勉強しよると、これ
英語?」
「……いや、数学だよ」
一体どこを見て英語だと思ったんだろう
私もノートに目を移す
んー、αとかβを見たからだろうか…?
やっぱり…バカだな
「数学!?これが?
……いや、わかってるわかってる
うん、これは…間違いなく数学だね」
へへっと笑っている
それで誤魔化せるとでも思っているんだろうか
それにしても
いつまでいるつもり?
アオは見ていた私のノートを
ぱたんと閉じた
え、なんで閉じちゃうの?
「行こ!息抜きも大事やろ?」
行こ!って何?
考えてる最中に
手を引っ張られ立たされると
そのまま背中を押され
玄関まで来てしまった
「ばあちゃーん!
行ってくるけーん!」
ちゃっかり挨拶までするアオは
私が渋々サンダルを履いたのを確認すると
手を繋いで外に連れ出された
「ちょっと、アオ!」
玄関の外まで出ると停めてある自転車の横で手を離され
アオは自転車に乗る
「ほら、乗って」
後ろに乗れと言っている
だから!
あなたのその唐突な行動を
当然のように言わないで!
「無理だよ、2人乗りとかしたことないし
私、戻ってもいい?」
「大丈夫って!
ハンドルさばきには自信があるけん
しっかり掴まっとったら問題ない」
しっかり掴まる!?
そんなの問題大有りだからね
しかも私戻りたいんだけど
それに対してはスルーですか…?
「んー、じゃあチャリ置いて走る?
でも美空、すぐ疲れるやろ?
チャリの方が速いけん、はよ乗って」
「……」
思わず黙ってしまう
この自転車を持ってきてのは
体力の無い私のためでもあったのか…
楽しそうに私が乗るのを待っているアオを見て
私は仕方なく自転車の後ろにまたがった
でも、しっかり掴まるのには抵抗がある
ありすぎる
「ほら、こうやって」
アオは体をひねって後ろを向くと
私の腕を掴んで自分の腰に回すように持っていく
ちょ…!この人は!
女子の気持ちとか考えないのか?
自分が気まずいなって思わないの?
……思わないか
「それじゃあ、しゅっぱーつ!!」
アオがペダルをこぐと
自転車はどんどんスピードを増していく
風が2人の間を通り抜けていき
暑さが和らげられる
昨日スーパーまで行くために歩いた道を
進んでいく
「美空、あれ見える?教会」
アオは左手を離すと
木が生い茂る方を指差す
少し高くなっている場所
そこに建物が見えた
「あれ教会なの?」
「そう、中とかめっちゃ綺麗なんよ
ここ俺の家!
んで、そこが昨日最初に会った砂浜
」
アオの家?
ま、それはどうでもいいや
右側には砂浜が広がっている
もうここまで来たのか
けっこう家から近いのかもしれない
「あとは、ここあがっていったら神社がある」
建物は見えないが
大きな鳥居の前を通過する
鳥居の奥を見てみると
石の階段と道がずっと続いていた
「はい、スーパーも通過
もう、面白いもんないけど
なんか気になる所とかあるー?」
いつの間にか緩やかな上り坂になっていて
自転車はゆっくりと走っていた
アオは全く息がきれていなくて
いつも通り話している
でも気になる所とか急に聞かれても
そんな所は特に…ん?
あれは…
目の前の道が続いていないように見える
「アオ、あれなに?」
「え、どれ?」
「ちょっと、あれ、下り坂なんじゃないの?」
慌ててアオの背中をバシバシと叩く
「そうだよ、正解
一気に下るけん、手離すなよー!」
嘘でしょ?
一気に下る?
もうあと数メートルで坂道のてっぺんについてしまう
グッとペダルが漕がれると
自転車は水平に戻り
そして今度は徐々に前方に傾いていく
自転車を止めようと思い
足をつこうとするけど
地面に届かない
「いっけーー!」
「え、え、待って…
ぅわーーぁあーー……」
とにかく落ちないように
バランスを崩さないように
必死でアオにしがみつく
ビューと
自転車が風をきる音が聞こえる
下を見ていると
地面がすごいスピードで通りすぎていく
かなりのスピードが出ているのだろう
でもアオの背中に隠れている私は
風の抵抗をほとんど受けていない
子どもみたいな人だけど
しっかりした背中だ
は、私ってばなに考えてんの
いくら今、私の命を守る手段が
アオの背中に掴まることだからって…
はぁ、ついてくるんじゃなかった
どこに連れて行かれてるかもわかんないし
その時
自転車の進む音に紛れて
ザァーという波の音が聞こえる
気がつけば下り坂も終わり
平らな道を走っていた
顔をあげて波の音がする方をみる
右側に広がる海岸
青い空と太陽が反射する青い海
そして白い砂浜
そこに打ち寄せる規則正しい波の音
これぞ夏の海という光景だ
「わぁ、綺麗…」
思わずそう呟く
「そうやろ?
こっちはけっこう波があるんよ
あっちは波が穏やかやけん
小学生の遊び場になっとるけど
俺はこっちが好きなんよ」
確かに
さっき通った昨日アオのいた砂浜は
穏やかでチャプンと砂浜にかかるかんじの波だった
こっちは遠くから波が近づいてくるのがわかるくらい
波の音が大きい
この音は
心を包んでくれる感じがする
アオがこっちの方が好きだというのは
なんとなくわかる気がする
砂浜の手前で自転車を降りると
「こっち、こっち」
と、アオは手で自転車を押しながら
ついてくるように言う
柔らかくとてもさらさらしている砂の上を歩いていく
「アオー!」
よく通る元気な女子の声と共に
向こうから手を振りながら駆け寄ってくる男女2人
女子は長い髪を後ろで結び
風になびかせている
隣の男子は背が高くて細身なかんじがする
「おぉ!ノンー、キヨー!」
アオはそう叫ぶと
その場に自転車をゆっくり倒した
停めないんだ…
自転車を見つめる私に
「その子だれー?」という声が聞こえた
「美空、糸瀬のじいちゃんとばあちゃんの孫なんよ」
振り返って私が自己紹介する前に
アオが喋ってしまっている
2人ともあぁ、という反応をしているので
たぶん私のことはどこからか聞いているのだろう
もしかしたらアオから事前に聞いていたのかもしれない
「うちは、手塚乃愛
ノンってよんで
よろしくね、美空」
そう言ったノンは
目がくりっとしていて
とても女の子らしい子だ
「俺は指方京悟
皆からはキヨって呼ばれてる」
背が高くて
クールそうに見える
でも私は知っている
人は見かけによらないということを
アオだってあぁ見えておかしな人だ
この2人だってまともな人かどうかはわからない
「さっき美空が勉強しよる所見たんやけど
めっちゃ難しかったんよ!
もしかしたらキヨと同じくらい頭良いんかも」
「えー?キヨより頭良い人って
滅多におらんやろー
大体、アオが頭悪いんやけん
ちょっと難しい問題解きよるだけで
頭良いとか思うやろー?」
ノンはアオのことをずばり言い当てている
キヨは頭が良いらしく
確かにそんな印象は受ける
でもこの島で頭が良いといっても
たかが知れてるんじゃないか?
いや、それは偏見だ
こんな考え無くさなければ!
「ノンはあっちに行ったら見える翡翠荘って旅館の娘で
キヨもあっちにある指方医院の息子
たぶんこの島で1番頭の良い高校生
俺らしょっちゅう3人で遊びよるんよ」
アオが2人の紹介をしてくれる
「何言っとるん、アオ?
キヨは長崎県で1番頭が良い高校3年生やん」
え?
「2人ともやめろよ」
「県で1番ってどういうこと?」
どうしても気になった
というか、確かめたかった
「この間の模試で
キヨは長崎県で1番やったんよ
うちらもびっくりしたばい
こんな所にトップがおっていいと?ってかんじ」
何故かノンが自分のことのように
自慢気に嬉しそうに話している
「そうそう、俺までびっくりした」
嘘とかではなさそうだ…
「2人とも驚きすぎやったけどな」
信じられない
この人が県でトップなの?
島の人が?
偏見を持たないようにと思っていたけど
やっぱり持ってしまっている
だってまだ何かの間違いかもって思っているもん
「今日暑いな」
「暑すぎる!」
男子2人が喋っている中
私は頭の中でぐるぐると考えている
さっきしょちゅう3人で遊んでるって言ってたよね
それがなんでトップになれるのよ
男子2人は互いに目を合わせると
海の方に駆け出し
服を着たまま腰あたりまで
海に浸かった
そして泳ぎ始めている
県トップ……
長崎県のレベルを知らないけど
たぶん相当頭が良くないと
トップになんてなれないはずだ
それが…あの泳いでるキヨ…
やっぱり信じられない
「美空って東京の人なんやろ?
あのさ…」
ノンと私は木の下に座り
太陽を避けていた
するとノンが何やら耳打ちをしてきた
「彼氏おる?」
彼氏?
そんなこと気になるのかとか
そんなことを耳打ちしたのかとか
色々驚いてノンを見ると
目を輝かせてこっちを見ていた
「いや、いないけど」
なんか申し訳ないな
彼氏いなくてごめんねという気持ちになる
たぶん今の私は
少し困った笑い方になってると思う
「え、おらんと!?
東京の女子高生に彼氏が1人もおらんって
どういうことよ!?」
「そう言われても…ね」
「じゃあ、今まで付き合った人は?」
「いない…」
「マジで?
なんだぁ、東京の人って言っても
うちらと何も変わらんやん
なんか親しみ湧いた」
何とも微妙な親しみの湧き方だな
それにしても
初対面でぐいぐい来すぎでしょ
アオもそうだったけど
やっぱこの島の人は皆そうなのかな
だとしたら…厄介だ
「うちらも行こ!」
そう言うとノンは海に向かって一直線に走り出した
ノンは足首まで海に浸かると
アオとキヨを呼んだ
「ねー聞いてー
美空、彼氏おらんとってー!」
ちょっと!
慌てて私も立ち上がりノンのもとまで走る
どうやってこの島で
噂が広がっていくのかを
目の当たりにした気がした
まぁ、別に秘密とかじゃないけどさ
「ちょっと、ノン!」
一歩、二歩と足が海に入る
うわ……
冷たさと砂の感触が伝わってくる
そして海の透明感がここに来てよくわかる
どこまででも底が見えそうだ
ノンがばらしていることなど
どうでもよくなるくらい
私は今、この海に魅了されていた
いや、やっぱりどうでもよくない
「ノン!何言ってるの!」
少し怒ったように言うが
ノンは笑ってばっかりだ
男子2人は全身ずぶ濡れで浅瀬に戻ってきた
着ていたTシャツを脱いでいるが
ノンは平気な顔をしている
本当にここではこれが普通らしい
「そがん言いよるノンも彼氏おったことなかやん
なぁ、キヨ」
「そうそう
人のこと笑えんやろ」
話の矛先を変えられたノンは
膨れっ面になった
「私は旅館の女将になるんやけんいいと!
旅館をしっかり任せられる人じゃなかと
私の恋人は務まらんやろ?」
「出たよ、ノンの強気発言」
「そういうキヨだって彼女いないじゃん」
腕を組んでノンは反論する
「俺は一人前の医者になってから
そういうことは考えるけん」
「キヨ、それいつまで彼女なしの人生送ると?
でもそんなこと言いながら
キヨはモテるけん
島出たらすぐに彼女できたりしてー」
そんなに笑うこと?
と思うくらいアオは笑っている
ただキヨが島を出たらすごくモテるだろうという所には
納得できる
「モテるのはアオやん
なのに彼女いないし
将来の夢もないし」
「な、なんで将来の夢が出てくるとよ…」
突っ込まれたくないことなのか
アオはキョロキョロし始めた
それよりも私はアオがモテるということの方が気になるのだが
まさかね
キヨが照れ隠しで言ったんだろう
「確かにやばいよ
もうすぐ三者面談やろ?
お父さんの船継いだらよかやん」
「俺には島の役に立つ男になる
っていう夢があると!」
急にアオは胸を張って言い出した
しかしそれにノンとキヨは呆れている
「アオいっつもそればっかやん
うちらも心配になるわー…」
そんな3人の会話が遠くに聞こえる気がする
私だけ置いていかれているような
こんな遊んでばっかりでも
皆ちゃんと将来のこと考えてるんだ…
明確なビジョンがないのはアオと私だけ
…いや、アオだって夢を持ってる
何もなくて
ただ何となく日々を過ごしてるのは
私だけか…
この人達は
私よりも全然大人だ
「美空、美空!
どうしたと、ボーッとして?
向こうに洞窟あるけん行こ!」
「う、うん」
海岸を歩いていくと
次第に岩場になっていて
その先には本当に洞窟があった
下には海水が流れ込んでいる
「気をつけて」
「うん」
声が反芻する洞窟の中を
アオの後ろについて行きながら進む
心配なのか何度も私の方を振り返る
体力がなくて岩場をまともに歩けない
東京都民だと思われているのだろうか…
「この洞窟、1人で入ったら
自分のじゃない足音が聞こえてきて
得体の知れない生物が現れる
っえ言い伝えがあるとよ」
言い伝え……
そう言えば島に来る前に
お父さんが洞窟には1人で行くなって言ってた
このことだったのかな
それにしても得体の知れない生物って…
まぁ、子どもが1人で入らないようにするための
教えなんだろうな
「で、アオは信じてるの?」
「いや、信じとらんよ」
信じてないんだ、意外
こういう話こそすぐに信じそうなのに
「中学の時にさ
夜、1人でこの洞窟入ったことがあってさ
けど何も出てこんかった
カメラまで持っていったとに」
残念そうな声で話しているアオ
中学生までは信じてたんだ…
まったく…
この人は島を出たら生きていけないのではないだろうか
この素直さは島の中で暮らしているからこそ通用するもので
東京なんかじゃ…
あ、明るくなってきた
薄暗い洞窟の向こう側から
光が漏れている
ひらけている方に歩いていくと
出口があった
洞窟から一歩外に出ると
そこは深い海に包まれた岩場になっていた
深いのにガラスのように透き通って底が見える
遠くを見ると小さい波によって
太陽の光を反射させて輝いている
また違った美しさがここにはある
私はやっぱり感動する
こんなに自然に囲まれるなんてこと
東京じゃありえない
それからしばらくの間
この場所で遊んでいた私たち
日が暮れてきたことにやっと気付き
元いた海岸へと戻った
「美空、またね」
「じゃあ、俺らはこっちやけん」
そう言ってノンとキヨは2人で
同じ方向に帰って行くが
ずっと2人の喋り声が聞こえている
本当に仲が良いらしい
ふとアオを見ると
干していた服が乾いたのか
上を着ている
私達も帰ろうと
オレンジの波音に包まれながら
アオの放置していた自転車のもとまで歩く
乗る?と聞かれたが
行きのようなあんな恐ろしい思いは2度としたくないので
断固拒否した
帰り道
アオは自転車を押しながら聞いてきた
「なぁ、美空
…今日連れ出したこと怒っとる?」
急だな…
そんなことを気にしてたなんて思わなかったよ
でもまぁ、
強引に連れ出したった自覚はあるってことかな
私は頭で考えるよりも先に
作った笑っていた
「大丈夫、びっくりしたけど怒ってないよ
綺麗な海見られたし
ノンとキヨとも仲良くなれたし
楽しかったよ
連れ出してくれてありがとう」
自分でも言葉を紡ぎながら
これが本音なのか
アオを喜ばせたくて言っているのかわからない
そんな私の言葉に対してでも
アオは満面の笑顔を見せてくれる
「怒ってないならよかった」
「うん、でも明日は私
ずっと勉強だからね」
「そっかー
そんなに勉強して美空は何になりたかと?」
「私は…」
一瞬言葉が出なくなる
でもすぐに学校での面接の練習を思い出す
「私は…まだ明確なビジョンは立てることはできていませんが
大学に入って専門的な知識を学び
様々な人と関わることで
どのような職業に就くかを
考えていきたいと思っています」
固いな
自分で言いながら思う
用意された答えだって誰が聞いてもわかるものだ
「へぇー、すっげー
頭良い人ってかんじ!」
「……。」
何て返したらいいんだろう
本当に純粋すぎる
私が毒してしまいそうな気さえしてくる
右の方に教会が見え始めた
教会か…
今度機会があれば行ってみようかな
機会があれば
なんとなくそんなことを考える
その時、ふと浮かんだ疑問
それをアオにぶつけてみた
「アオは、島を出ようとか思ったことないの?」
「んー、あるよ
高校卒業したら出るつもりでおる」
「そうなんだ?」
来年には島を出るつもりか
絶対危ないって
私に止める権利なんてないけど
…やっぱまずいでしょ
「でも、帰って来る
その時には島の役に立つ男になっとかんば!」
アオもキヨみたいにUターンするつもりでいるのか
キヨはともかく
アオは大丈夫なのかな…?
「じゃあな、俺も楽しかったばい
またな!」
「うん、またね」
私を家まで送ってくれたアオ
帰っていくアオの背中に手を振る
あーあ、またねとか言っちゃったよ
そう言ったのはアオが喜ぶから?
それとも本当にまた会いたいと思ったから?
実はもう会わなくていいと思ってる?
「…わっかんないよ」
私の言葉は寂しく
夕暮れの空に溶けていった