出逢い。
傍に立っていたのは、一人の男性でした。
30歳前後に見える男性は、周りの席は少なからず空いているにも関わらず、つり革に掴まって立っていました。ひかりが見上げると、男性はどこか別の方を見ていて。ひかりは少しの間何と言っていいのか分からず、ただ男性を見上げていました。
この男性の声なのでしょうか。
出るはずのない声をかけようとした時。
ピンポン。ピンポン。
ひかりには聞こえない車内アナウンスが鳴って、自動ドアは開きました。
プシュー。
いつの間に駅に着いたのか、呼び止める間もなく、ひかりの傍から男性は離れ、ホームに出て行きました。追いかける訳にはいきませんでした。ひかりの勤務先はまだ先です。やがてまた、ドアは閉まりました。
『本当に聞こえたの?』
ひかりの隣のデスクでパンダに吹き替えを付けたイラストを書きながら、ひかりの職場仲間の詩織は手話を交えて尋ねます。この職場にやってきてまだ1年でしたが、手話に興味を持ってくれたお陰で、詩織はひかりと流暢に話を出来るようになって、一番ひかりと話していました。
『聞こえたよ、ちゃんと』
手を素早く動かして伝えると、詩織はニヤリと笑いました。
『心霊現象だったりして』
『あの人が幽霊だったってこと?』
顔をしかめて、ひかりは訊きます。
『それとも‥‥』
考えるようにして詩織は呟きました。
『‥エスパー、とか』
呟いてから、詩織はまた今度は独り嬉しげにニヤついて言いました。ひかりはそんな詩織を見て、ため息をつきます。
『声‥ですか』
夕方、ひかりは帰りに近くの病院を訪れると、聴覚に障害ができて以来受診を続けている担当の日高先生に電車での出来事を話していました。
『その時だけですか?それとも時々?』
日高先生はメモ帳に筆談で書きながら尋ねました。
『その時だけです』
メモ帳にひかりがそう書くと、先生はフーッとため息をつきました。腕組みをし、頭を少しだけカリカリと掻くと、やがて思い付いたようにメモ帳に走り書きをしました。
『一度検査してみましょうか』