軍神の加護
オレとアテナが人目を避けるように転移した薄暗い森の中。
ふだんなら静謐が支配しているだろう木立は戦いの熱気に包まれていた。
「さっさとあきらめろや! このハンパもんがぁ!」
「勝手なこと……ぬかすな……、貴様らのような野盗どもに、村を好きにさせるものか……!」
罵声はやかましく響き、雄叫びは敢然と轟く。
その発生源をオレとアテナは木陰から遠目に見る。
オレたちの視線の先では数人が切り結んでいた。
一方は鍛え上げられた体躯を羽織ったマントに包んでいる男性だ。伸ばした背筋、凛とした顔立ちなど、いかにも武人って感じの姿。
手にした剣の使いこみっぷり、ふるってみせた剣技の速さ、確かさが受けた印象が正しいと証明している。
対しているのはことごとく凶悪そうな表情を浮かべたオッサンたち。頭にはバンダナ、動きやすそうだが薄汚れた服装、胸部と手足だけを守る防具――露骨に盗賊っぽい。
しかも一対多数の戦いだ。人を見かけで判断するのは良くないことだが、おそらく男性が盗賊に襲われているといった状況だろうか?
「残念だったな。おれたちがお前を足止めしているすきに、お頭たちは村についているはずさ。
護衛役のいない年より子どもだらけの村なんぞ、あっという間に陥落さァ!」
「くッ、ならば早々に切り捨てるまでよ!」
そんな敵意に満ちたやりとりのあと、派手な立ち合いが再開される。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「あの、あれって?」
「盗賊の類でしょう。邪魔になる腕利きを排除してから、どこぞの村を襲おうとしているようですね」
オレの問いにアテナは冷静に答える。
一人をなぶるように取り囲むやりよう。会話の内容からそれは正答だろう。
けれど、オレの質問の意図は少し違っていて――、
「いや、そうじゃなくて……一人で戦ってるあの男、なんか耳がとがってません?」
「ああ、おそらくエルフです」
「え? エルフ!?」
聞き捨てならないその単語。
「……、まさか、この世界って、エルフいるんですか?」
「はい。まさかじゃなくてもいますよ。エルフ」
不吉な予感。ならば聞かねばならないことはもう一つ。
「もしかしてドワーフも……?」
「ええ、もちろん」
「じゃ、ドラゴンとかピクシーとか、ファンタジーっぽいのも……?」
「そこらへんは、だいたいいますね。魔法もありますよ」
女神アテナは平然と答える。
「いや……そ、そういうことは最初に言っておいてほしいんですが?」
「こちらで暮らしているうち自然にわかることでしょう?」
女神アテナはしれっという。
「いやいや、予備知識は重要ですから! 街中で急にエルフにあったらびっくりですから!
失礼な態度とっちゃいますから! なんでヘルメスさんへの報告書にも書いてないんですか!」
「人づてに聞いた相手の情報というのは偏見と変わりません。布教しようという相手に偏見を抱かれては困ります。それに相手がだれであろうとあなたのやることは一つ、真摯な布教でしょう?」
ぐぅ……正論?
いや、詭弁ですよね、それ。さすが詭弁家を生んだ都市の守護神さま。
などと、切実だがくだらない会話をしているうち、
むこうでは剣劇の決着がつこうとしていた。
素人目に見ても剣の腕前は盗賊たちよりはるかにエルフの剣士のほうが上。
しかし数の不利はいかんともしがたい。
エルフは盗賊の攻勢をひらひらと舞いかわしていたものの、疲労は限度いっぱいなようだ。
そして敵の剣がついに彼の体をとらえた。
かすめた剣は皮膚を切り裂き、うす暗がりの木立に血しぶきが舞う。
「くっ!」
エルフの剣士がひざをついた。そこに迫る盗賊の剣。
間一髪、エルフは転がってかわし、距離を取った。
そのはずみに彼は剣を取り落してしまう。
まさしく絶体絶命の危機だ。
「……助けなきゃ」
おれはつぶやく。
だって『異世界召喚されてすぐ、盗賊に襲われているエルフ』ですよ?
美少女じゃないのが残念だが、こんな露骨な冒険の始まりフラグを逃すわけにはいかない。
「なるほど。命を助けた恩を着せて信者にする気ですね。ヘタレなあなたらしい卑劣なやり方ですね。
ならば軍神であるアレスに助力を求めるといいでしょう」
いや、まあ、そのとおりではあるんですが……。
面と向かってディスってくれた上で、女神さまはオレの人差し指にはまった赤い指輪を示す。
ならば――、
「『軍神アレス』よ、加護を願います」
オレは助言通り、深紅の指輪を握り、祈り、まぶたを閉じる。
それから数秒、明らかにあたりの空気が変わったので目を開く。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
アレスの『神域』はリビングのような場所だった。続き部屋も合わせて見回したところ、1LDKのマンションの一室に見える。
ヘルメスの書斎のような『神域』と同じく、現代的な空間だ。
神さまというのは意外とモダンな住環境が、お好みらしい。
さて、その室内には筋トレ用具がいくつも転がっている。
(戦いの神だけに、やっぱり脳筋なのか?)
なんて失礼なことを考えながら、おれはその戦神の姿を探す。
と――、
なにげなく視線をやった先、ソファがある。
その上に筋肉質な青年がくつろいだ姿勢で腰かけていた。
「あの……アレスさまですか?」
声をかけたが返事はない。
ただのしかばね……というわけではなく、ヘッドフォンをしているせいらしい。
彼の視線は大型液晶テレビに向けられている。
(なにを見てるんだ?)
好奇心で画面をのぞきこむと、そこには――、
画面せましと動き回る美少女セーラー戦士の姿。
ああ、最近リメイクされた新作のほうですね。
さらにテレビ台の脇には大量のフィギュア、
赤くて黒髪ロングの巫女さんのものだ。
ああ、やっぱり。マルス――英語読みでマーズはアレスと同一視されているローマの神さまですもん。
納得の人選ですね。
深くうなずきながら、とんとんと肩たたく。
ビクリ。
軍神は大きく震えたあと、ぎこちなく振り返った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「いや、タケミカヅチどの、フツヌシどのと手合わせに日本に行ったとき、ぜひにと勧められて……な。けっしてやましい気持ちで見ているのではなく、少女たちの奮闘する姿が美しいというか――」
数分後、冷や汗だらだら。軍神アレスの言い訳は続いていた。
純粋培養された体育会系の人が、たまたま見た萌えアニメにはまってしまう。よく聞く話だ。
責める気持ちはない。笑ってはしまうけど。
しかし、日本の武神がたは何やってるんですか?
脳筋戦神をがっつり布教して、オタに転向させてどうするつもりなんでしょうかね。
いや、そんなことより、今はこの人の加護をもらわないと。
「わかった。……うむ、これでよし。達人レベルの身体能力と戦闘技量が常時使用可能にしておいた」
すごいな。むちゃくちゃおまけしてもらった。来週もサービスサービスですか。
人に言いづらい趣味につけこんだようで、ちょっと罪悪感にさいなまれる。
よし。オレ、もし生きて日本に帰れたら、アレスさまにフィギュアをお供えするんだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
と、そんなこんなで強力な加護を手に入れたオレは、元の木陰に戻ってくる。
先ほどヘルメスの神域に行ったときと同じく、現実世界では、ほぼ一瞬。
――あのエルフは苦闘しつつも、まだ生き延びていた。