敏腕のヘルメス
アテナ先生の神具講座・その一。
「まず、その青色の指輪を手のひらに握りこんでください。次に楽な姿勢になり、目を閉じて……」
「あ、はい」
アテナの言うとおり、手のひらに青い指輪を握る。
「楽な姿勢……か」
地面にあぐらをかいてすわった。
ゆっくり、目を閉じる。
「心を落ち着けてください。それから心の中で『ヘルメス』に呼びかけるのです。最初の接続ですから『交渉に長けしもの』あるいは『商業の神たる』という鍵語をつけると見つかりやすいでしょう」
ネットの串刺し検索みたいなものですかね?
「はあ……では『交渉に長けしもの ヘルメス』……さん」
ためしにやってみると――。
「?!」
訪れたのは突然の張りつめた静寂。
そして数秒後、明らかに空気が変わった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「わが神域にようこそ。もう目を開けても大丈夫ですよ」
まぶたに覆われた暗闇の向こうから、やや笑みを含んだ物柔らかな男性の声。
お言葉に甘え、お邪魔させていただこう。
「失礼……します」
恐る恐るまぶたを開くと、書斎のような部屋が広がっていた。
部屋の中央には大きな執務机があり、そこにはぶあつい書類を手にした男の姿がある。
きりっとしたブランドものらしき三つ揃いの高級スーツ、オールバックになでつけた髪、銀縁メガネ――できるビジネスマンそのものの外見だ。
そんな彼は立ち上がり、こちらに頭を下げた。
「お初にお目にかかります、ヘルメスです」
あれ、えらい腰の低い人だな。
「あ、ご丁寧にどうも。久世ヨシトです。ゼウスさまに異世界での布教をおおせつかっております」
こちらもちゃんと敬語と礼儀で返さないと。
「事情はうかがっております。ゼウスさまもアテナさんも思いついたら行動で直情的な方たちですから、ご苦労なさっているでしょう」
ヘルメスは同情と理解の笑みを浮かべた。
うわ、この人できた人だ――それにできる人だ。
ていねいな配慮と物言いに、こちらの心は一発でつかまれてしまっている。
あれ、でも……ヘルメスって、ゼウスの子だったんじゃ?
うろ覚えの知識を思い出す。
どうして、肉親に敬語を使っているのだろう?
「はい、たしかにゼウスさまは父ですし、アテナさんも家族だと思っています。
ですが今は仕事中ですから――ちなみに、私は主に交渉や商業、他にも旅人の守護など、さまざまな役目を担当しています」
へえ、この常識人ぶりは交渉担当のゆえなのか。それにしても万能な仕事のできる人なんだろう。
「いえいえ、器用貧乏なだけですよ」
軽く謙そんしたヘルメスは本題に入る。
「……さて、アテナさんが、あなたを真っ先にこちらによこした――ということは、つまりあれこれの説明をまかされたということなのでしょうね」
そうか、あのデレ知らずのツンツン美少女――どうにも馬の合わないオレの世話をヘルメスに押し付けたのか。
「では、手短にすませてしまいましょう。
あなたが手にしたその十の指輪は神々と通信し、その力を授けられるための神具です」
ほほう。けっこうな便利グッズじゃないか。
ただ異世界で布教してこいといわれて、とほうに暮れていたが、ゼウスも決して無茶ぶりをするつもりはなかったようだ。
「ただし、加護を得るには、一度この空間に来てもらい、力を借りる神の許可を得なければなりません。
また軽い加護のようなものなら、フルタイムで可能ではありますが、天変地異を起こすような強力な神の力を使う場合、その都度許可が必要です。
再度の使用にも冷却期間が必要ですし、人の身のあなたには複数の神の力の同時使用もできません」
お役所仕事というか、めんどうなシステムではあったけど、それもしかたない。
神の力なんてのが安易に使えるようじゃ危なくてしかたないしね。
「煩雑かと思いますが、なにぶんそちらは異世界。地球のほうでの信者も少ないということもあり、現状ではこういった運用しかできないのです。
そちらで信者が増えれば、我々の力の源である信心も集まり、もう少し便宜も図れるのですが……」
そうか。神さまのほうの限界っていうのもあるんだな。
そして、今後のボーナスはオレの働きしだいということか。
「いえ、おかまいなく。むしろ過分な配慮に感謝いたします」
「そう言っていただけて助かります。では、ささやかながら、まず私から加護を授けましょう」
柔らかな光がヘルメスの手から放たれる。
(ん、なんか頭がふわっとした?)
「……交渉の神としての力で、言語すべてが理解できるようにしました」
おお、地味だけど語学系のスキルはありがたい。マルチリンガル万歳!
今すぐ愚民に叡智を授けられるなんて、さすが神様だ!
「いえ、それほどでも。エジプトの言葉の神トートさんと業務提携したとき、学んだ技術ですよ」
へえ。交渉や商業の担当神が語学スキルをくれた理由がそれか。けっこう手広くやってたんだな。
「ええ、ルネッサンスのころに再度経営が上向き、企業規模が三倍になったりして、まさしく錬金術でした」
ほう、栄枯盛衰ですな。
「ま、そんな昔話はさておき、もう一つ――これもお受け取りください」
さらに机の引き出しを開け、中から取り出した箱を、エルメスは差し出した。
受け取って箱を開けると、中身は……高級革の紳士靴。
箱にはブランド名が書かれていて――、
たしか電車男さんが、助けた女性にもらったブランドの……。
あるいはララァが乗ってたりするMA……、
「これって……エルメ……」
「いえ、ヘルメスの靴です。権利関係で色々めんどうなので、そこのところをおまちがえの無いように。ちなみに靴には瞬間移動の魔法が込められていて、視線の届く先まで即座に移動できます」
オレの言葉をさえぎり、へルメスは口早に説明する。
「すごい便利グッズじゃないですか!」
「いえ、まだまだ力不足で……本来なら行ったことのある場所すべてに自由に移動できる道具なのですが
……今は、これがせいいっぱい」
ヘルメスは囚われの姫様に手品で花を差し出す怪盗みたいなことを言った。
なるほど。本来は無限使用できる『ルー〇』、『キメ〇の羽』、靴型のどこでも扉だったのか。
移動半径が視界の範囲内だけに収まってしまったとなれば、ヘルメスが力不足を嘆くのもわかる。
しかし、ここは異世界。今は馬車や馬もない。この状況で移動の手間が省けるのは非常にありがたい。
異世界の布教はフットワーク勝負。てくてく歩いてなどいられないわけで……つまり、
実に、いい道具をもらった。