教祖、引き受けます
気づけば神殿の前にいた。
具体的には、あれだ。
望んだ職業に就けてくれる、夢のようなあのダー〇神殿。
(ま、あれはあれで危険、きつい、不安定な収入――死して屍拾うものなしって業務だけど……)
たぶん。ここは死後の世界っぽいな。
おお自分よ。死んでしまうとはなさけない……とは思わない。
思いのほか冷静に事態を受け止められているのは、死因に心当たりがあるから。
おそらく、オレは……過労で死んだんだろう。
オレの名は久世吉人、二十六歳。
生前はブラック企業の社員だった。
四流私立大学の生徒として、アニメ、ゲーム趣味に打ち込むモラトリアム生活を送ったあと、面接に落ちまくった挙句、ようやく就職。
当初は親族経営だけど地域密着。それなりのシェアがあっていい会社だった……んだが、ここ数年は業績悪化にともなうリストラのせいで会社からどんどん人が抜け、その仕事がすべてオレにのしかかってきた。
残業時間を数えるのはやめた。
そもそも残業してないことになってるしね。サービス残業当たり前。
食事は……食えるときはコンビニ弁当かジャンクフード。
睡眠は不定期というか、気づいたら仕事机の上で寝てる。
休日? なにそれおいしいの?
夢の中でまで仕事をし続けていた――そんな生活にも、ついに限界が来たようだ。
同僚の致命的な発注ミスのおかげで、ようやく空き時間ができた。
真っ青な顔をしていた彼や、尋常じゃないくらい目を血走らせていた上司には悪いが、こっちは与えられた休息に感謝していた。
ひさしぶりに帰ったアパート。
ああ……なにもかも、すべてが懐かしい。
流しで未知の物体が繁殖してたが、かまわずベッドへ直行。即座に就寝した。
――そして深夜、オレは胸に走った激痛に目を覚ます。
「あ、うぐゥ!」
心臓が……痛い。
そういえばここ数か月、幾度か心臓がうずくような痛みがあった。
けど、なにも一人でいるとき、こんなことにならなくてもいいじゃないか?
いや、自室に帰り、気がゆるんだせいか?
押さえた胸の奥、ずくずくとした痛みが強くなる。
とにかく苦しい、あぶら汗が出る、動けない。
寒い。震える。視界が暗い。
――覚えているのはそこまでだ。
あとは意識を失い、気づけばオレは神殿の前にいた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ここに来るまでのあれこれを思い出してるうち、足が勝手に動いていた。
まるで導かれるように神殿の中へ入っていく。
「おお!」
思わず、ため息が漏れる。
そこには巨大な空間が広がっていた。
高い天井から入り込む光線、白亜の壁の反射による間接照明の具合まで完璧に計算しつくされている。たいがいの宗教施設は空間演出にかなり気を使っているって話だが、ここは輪をかけてすごい。
左右には巨大な神像がならび、太すぎず細すぎず、絶妙なフォルムの石柱が間を埋める。遠近法のお手本に使いたいくらい見事なものだ。
さて、その謎の神殿の最深部・中央――えらい立派な椅子がある。おそらく玉座と呼ばれるものだろう。
そこには腰かけた人物がいて……。
その人物が、なんとオレに声をかけてきた!
「ようこそ。久世 ヨシトくん」
なぜ、オレの名を知っている?
いや、死後の世界だからなんでもありなのか?
それでもオレは相手に不信感を抱いた。
金髪、碧眼、焼けた肌に甘い顔立ち、長身……相手がチャラいイケメンだったからだ。
こんなオレでも昔はけっこうかわいい彼女がいた。
大学時代、合コンで知り合い、趣味の話で盛り上がった腐女子さんだ。
しかし将来性と身長と顔面偏差値に難があるオレに愛想を尽かし、薄い本のネタに使っていた同学年の美形さんに趣味を隠して乗り換えた。
共通の友人に聞けば、その後、一流企業に就職したその彼と結婚し、子どもが生まれ、幸せな生活を送っているらしい。
それ以降、オレにとって美形男子は敵――いいイケメンは死んだイケメンだけだ。
いや、死してなお煉獄の業火に焼かれ、苦しむがいい。
あの彼は良い友人だったがね、つきあった女性が悪いのだよ。
そんなオレの醜い内心を青年は鷹揚に笑ってみていた。
その余裕さえもうらめしい。
ま、それはさておき……、
玉座に深く体重をあずけ、長い足を組んだ青年は気軽に名乗る。
「――ボクの名はゼウス。もしかしてご存じかもしれないが、ギリシャで神さまをやってるんだ」
そう言って、青年はにっこりと笑う。
『え、ええっ?!』
そこでようやくオレは驚愕の声を上げた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その後の会話はオレの驚きのため、かなりグダグダなものになってしまった。
だから要点だけを書くとしよう。
オレを呼び出した青年――ゼウスと名乗った男はたしかに神だった。
彼はまごうことなくギリシャ神話の最高神・ゼウスだったのだ。
疑惑を抱いたオレだったが、なぞの瞬間移動で世界各地に連れていかれ、実際に力をふるうさまを見せられれば納得せざるをえない。
暴風、雷雨、大波――彼はさまざまな天変地異を自在に起こし、そして自在におさめて見せたのだ。
ちなみに、このゼウスさまは変装の達人である。
今のチャライ外見も、時代の価値観に応じ人間にとっての美青年の見かけで現れるせいらしい。
「ああ、そうじゃないと人間界でモテないからね!」
ここだけはえらく力を入れておっしゃったオリンポスの最高神さま。
そういえばこの人、えらい女好きなんだっけ?
昔読んだ人気アニメの設定本を思い出す。
たしか、あちこちの美女をとっかえひっかえ……
お巡りさんここです! 色魔がここにいます!
爆ぜろリア充! もげてしまえ!
なんていう風に、やや幻滅させられたとはいえ、相手は著名な神様だ。
では、そんな高名な神さまがオレを呼び出した理由とは――?
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「異世界に行ってね。あっちでボクと仲間の神の宗教を広めてほしいんだ」
ゼウスは気軽に言った。
なんでも地球では彼――ゼウスと愉快な仲間たち、通称オリンポス十二神は信仰を失ってるんだそうだ。
「本拠地での信者はみんな後発に取られちゃってね。今じゃ彼らのほうがギリシャ正教――正しい教えなんて名乗ってるありさまさ。おかげでボクらの神としての力は見る影もなく失われてしまったんだ。物語とかで知名度はあるから、信者を失った他の神みたいに魔物や妖精の仲間入り――なんて醜態だけは避けられているど……」
なんてせちがらい話だろうか。
大型小売店の脅威におびえる商店街の若店主のような雰囲気が切ないです。
「そんなわけだから、ここは心機一転。新たな市場に挑戦してみようと思ったわけだよ。おあつらえ向きに今、惑星の配置のおかげで別の世界につながりやすくなっているからね」
(ふ~ん。経営の窮地に新規顧客と新市場の開拓か。文字通り『ぼくは新世界の神になる』ってとこなのかな?)
しかし有名な神様の宗教を布教するなんて、考えれば考えるほどとんでもない大事業だ。
なんでまた、しがないブラック企業社員だったオレにやらせるんだろう?
そんなオレの疑問にゼウスはこう答えた。
「あっちの世界に行くには特定の波長を持った魂が必要なんだ。これがなかなかいない。さらに他の宗教の信者も使えない。一神教なんかだと、へたな裏社会より縄張りにうるさいからね。元は、ぼくらの本拠地だったギリシャの人ですら、勝手に誘っちゃダメなんだってさ。
だから宗教的にゆるくてなおかつ、ボクらの知名度が高い日本の人間を選んだわけ。アマテラスちゃんにちょっと声かければ許可なんかすぐ下りるしね」
ゼウスは指折り、オレを選んだ理由を数える。
むむむ。庇護下の人間をそんなあっさりドナドナさせちゃって、日本の神さまは人がいいというか、ゆるいというか――国民性だね。
引きこもりがコミュ力高いやつに話しかけられて、なんかOKしちゃうみたいな状況かな?
「さらに、ボクらの声を聴くためには生者ではダメ、肉体のない魂だけの状態でなければならない。かといって死後時間がたてば、魂はそれぞれの信じる場所へ向かってしまう。……つまり、亡くなりたてじゃなきゃダメということなんだ。そんな条件を満たした人間といえば――キミしかいなかったというわけさ」
へえ、なるほど。意外に細かい理由があったんだ。
消去法で選ばれた感じがちょっと釈然としないけど……。
でも、異世界に人を送るくらい力があるんだったら、なんでわざわざ代理人なんかはさむ必要があるんですかね?
「まさか、いきなり本体をむこうに送るなんて無謀なまねはしないさ。むこうにボクらの代理人となったキミが行ってくれれば、以降はあちらの世界でも自由に力をふるうことができるからね」
そうか。オレは電波の中継局みたいなもの。あっちの世界で電波を受け取るだけの簡単なお仕事――ですか?
つまり電波さんですね? なんだか怪しいけど。
「これで、だいたいのところは理解いただけたと思う。引き受けていただけるかな? 久世ヨシトくん」
疑問形だが、実際のところオレが行くと決まっているような口調だ。
その点が少しだけ頭にくる。
だから――、
「……ちなみに断ると……オレ、どうにかされますか?」
ちょっとした反抗のつもりでたずねてみると――、
「どうもしないよ。永く安らかな眠りを邪魔したことをお詫びして、ハデスのところに送り返す。ああ、キミのところでは彼岸というのかな、それとも四方つ国というのだったか?」
笑顔のままだったが、返答するゼウスの声は心なしか冷ややか。
つまり断れば死ぬということか。
(いや、もう死んでいるのだけど……)
「もちろん、キミにも見返りはある。増やした信者が十万を超えたら死んだ時点まで巻き戻して生き返らせてあげる。百万を超えたら、さらに金運とか現金とか寿命にモテ期まであげようじゃないか」
一転、ゼウスは猫なで声と逆らえない条件で籠絡してくる。
そんな彼の言い分にオレの体は震えていた。
(こんなところに呼びつけて、命を楯にしていうことを聞かせる……だと?)
ふざけるな。人間を……バカにするな!
オレの回答は決まっていた。真実がいつも一つなくらい、答えは一つ。
「行きます! いえ、むしろ行かせてください!」
だが……断らない。
そうだ。あんな死に方で人生を終えるのはまっぴらだ!
押入れの奥、特殊な薄い本を処分できないまま死んじまった今ならなおさらね!
遺品整理のとき、元カノに押し付けられて捨てられずにいたアレが出てきて、オレの趣味だと思われてたまるか!
生か、死か?
だったら問題なんか一つもない!
「お願いします! オレを教祖にしてください!」
土下座までして、オレは異世界教祖に志願する!