夫なんて信用しません
『男なんて信用しません』の両親のお話です。
もしかしたらそちらを読んでいないとわからないところが出てくるかもしれません。
私は今とてつもなく怒っている。
ええ、とても、とても、とても、怒っているのだ。
ねえ?
「王様?私はとても怒っているの」
にこり、と私は微笑んだ。
この国の王に。
拳を構えながら。
「お、落ち着け!ソフィー!!落ち着くんだ!!」
青い顔で王は……アレクはおろおろとしながら私に叫ぶ。
いつもは王を取り囲む護衛も今はいない。
それは私が王に命にかかわるほどの怪我をさせはしないとわかっているからだ。
御年三十になるこの国の王は私の幼馴染みでもあった。
幼い頃はよく共に遊んだりなんかもしていた。
そう、私はアレクの敵ではないのだ。命を、王位を狙っている敵などではない。
そう、だから私がたとえ彼を殴ろうが蹴ろうが、それは別にじゃれているだけだとみなされる。
よって、私が彼に手をあげてもよっぽどのことがないかぎり罪にはならないし、そもそも王であるアレクが私を罪に問うようなことは許さない。
つまり、何が言いたいのかというと………私は彼を殴り放題なのだ。
「ねえ、私、とてもとてもとっても怒っているの」
じりじりとアレクへと近づく。
するとアレクは同じ分だけじりじりと後退した。
「だからっ!おちつけ!何に怒っているって言うんだ!私が何をした!?」
「何を?」
ぴきり、とまたひとつ青筋がたつ。
「何を……とは、白々しい……」
「ひぃ!……うお!?」
そこで後退していたアレクが、こてり、と転んだ。
二十歳過ぎてからぷくぷくぶくぶくと太った体はまるでボールのようにコロンと転がった。
「少し痩せたほうがいいんじゃないかしら?」
「余計なお世話だ!」
思わず心配して言ってしまった言葉に彼は怒鳴りながら返した、
………人がせっかく心配してやったってのに、このボール何様だ。
ボールはどうやら慌てすぎて体をうまく動かさないらしい。
立ち上がろうとしては、ボテーンと転んでいる。
本当にどこからどう見てもボールである。
私は、それを好機と見てにやり、と笑った。
「ふふっ。本当は殴ってあげようと思ったんだけれど………ボールのあなたは蹴るほうがふさわしいわね。………私の手も痛くはならないし」
「……!?ひぃ……!まてまてまて!まってくれ!」
「またないわ」
そう宣言して思い切り蹴ろうとしたところで………
「まて」
「きゃ!」
ぐいっと、体が後ろに引かれる。
体重が後ろにかかり、上手く体勢が直せない。
倒れる!そう覚悟して目を閉じるが、大きな衝撃は訪れず、その変わりというようにぽてんと小さな衝撃が訪れた。
倒れることはなく、何かに受け止められた。
いったい何が……と振り返れば、そこにはなんと………
「旦那様!!」
愛しの愛しの旦那様がいた。
私は体勢をぐるんとひっくり返し、旦那様の胸に飛び込む。
「まあ!まあ!まあ!こんなところで会えるなんて!運命としか言いようがありませんね!」
「………う、運命……?い、いや、ここは城で俺の仕事場だから会うのは当然だと思うが?」
「旦那様!旦那様!今日はお帰りは何時頃になられますか?最近はこの糞王にこき使われて帰りが遅くなってしまっていて、私寂しいのです」
「今日はいつも通り帰れる。……寂しい思いをさせているなら申し訳なかった。で、なぜお前はここにいるんだ?」
「まあ!それはよかったです!今日はいつも疲れている旦那様のためにご馳走にするようにシェフに言いましょう!」
「いや、いつも通りで構わない。で、お前はどうしてここにいるんだ」
「ふふっ!旦那様!大好きです!!」
「………っ!俺も、お前を愛している。で、お前はどうしてここに……」
「うわああああ!?」
ふいに、私と旦那様の愛の語らいの間に不快な音が響く。
せっかく照れた旦那様がかわいかったのに。
仕方なく振り向けばそこには顔を青い顔したボールから復活したアレクがいた。
「なんですか?アレク。夫婦の愛の語らいに水を差すなんて、それ相応の理由があるのでしょうね?」
そうわざわざ問いかけてあげているのに、アレクは口をパクパクさせるだけで何も言わない。
しかも、目は飛び出るんじゃないかというほどに見開かれていた。
ふいに、こんな魚を昔どこかで見たことあることを思い出した。
それはそうたしか東洋の方の……とようやく完全に思い出せそうになったところで、アレクが再度叫び声をあげたので浮かんでいたものが全て消えた。
「……アレク……」
「お前、その顔どうしたんだ!?」
低い声で名前を呼べば、それに被せるようにアレクが言った。
アレクのくせに……思わず舌打ちをしてしまう。
アレクはそんな私に気付かないのか私たちの方にずんずんやって来て、あろうことか私と旦那様の間に入り込んで旦那様の手を取った。
「………アレク……!」
そう怒鳴ってもアレクはいっこうにこちらを振り向かない。
旦那様の顔をただただ見つめている。
おい。このボール!あまり旦那様の顔をじろじろ見るな!
旦那様の前だから大人しくしているが、後で覚えていろよ!
「お前……その顔どうしたんだ……?」
唸りながら見つめていると、アレクの口から震える声がこぼれた。
ん?顔??
旦那様の顔を見て、ああ、と私は頷いた。
「旦那様。顔ボコボコですね」
旦那様の顔は今や酷い有り様だった。
左右の頬は膨れ上がり、右目の瞼は青黒い。右目は上がらないのか、半目になってしまっていた。
「だ、誰にやられたんだ……?」
ああ、それは………
「妻に」
「私が」
な、なんと!私と旦那様の声がシンクロしたっ!
これは心が通じているがこそなし得ることではないかしら!?
「息ぴったりですね!」
「そうだな」
笑顔でたずねれば、旦那様も同意をしてくれた!
ああ!なんて素敵な日なんでしょう!
このまま二人の世界に………なりそうなところでまたもや邪魔が入った。
「そうだな……じゃない!え!?なんだ!?ソフィーにやられたのか!?」
「そうです」
淡々と答える旦那様にアレクは信じられないという目を向けた。
「ソフィーがお前を殴るなんて………」
ありえない。という目をこちらに向けてきた。
が、残念なことにこれは事実だ。
私は確かに昨日旦那様を殴った。
力いっぱい。全力で。
「俺が悪かったのだから仕方がないです」
私を見るアレクの視線から守るように旦那様がそう言った。
そんな旦那様に私の胸はきゅん!と高鳴る。
いや、きゅん!なんて軽いものではない。ぎゅん!と心臓持ってかれそうなほどに高鳴った。
「悪かったて………まさか、ソフィーナあれを信じたのか?」
「いいえ?一ミリも?」
私はニッコリと笑って否定した。
どうやら、旦那様が殴られた原因がようやくわかったらしい。
まあ、まだ理由まではたどりつけていないようだが。
仕方ない。馬鹿で愚かなアレクのために解説してあげよう。
「私はまったく一ミリもあの事は信じていませんよ?」
あの事とは数日前旦那様に告げられた言葉だ。
旦那様は我が家に帰って来て、そうそう私に告げた。
『ごめん、できちゃった』
何を?と問う前に旦那様の後ろから顔を出したのは、私と旦那様の娘であるエミリーよりも少しばかり小さな見知らぬ少女。
そんな場面で旦那様が何を言いたいのかわからないほど私は愚かではない。
だから私は迷わず聞いたのだ。
浮気ですか?と。
すると旦那様はそうだと頷かれた。
だから、私は笑顔で告げたのだ。
『歯を食いしばってください。旦那様』と。
「まてまてまて!信じてないならなんで殴る必要があるんだ?!」
「そんなのきまっているじゃない」
はあ、と私はため息をつく。
ダメね。このボールぜんぜんわかってない。
仕方なく私は旦那様に振り向いた。
「ねえ、旦那様?」
「なんだ?」
「旦那様は浮気をなさったのですか?」
「そうだ」
「では、あの子供は旦那様と私ではない女の方の子供ですか?」
「ああ。そうだ」
「………ほら、こういうことよ」
わかった?とアレクに視線を向ければ、アレクはわからないと言うように首を傾げた。
「はあ。だからね。私は旦那様の言葉はまったく信じていないわ。でも、ということは私は旦那様に嘘をつれていると言うことでしょう?」
「そうだな……?で?」
「私はね。許せないのよ。別に旦那様が嘘をつかれるのはかまわないわ。何万回、嘘をつかれてもまったくかまわない。けれど、その嘘を共有する人が他にいるのなら別よ」
私は、キッとアレクを睨む。
「嘘を共有………つまり、それって秘密を共有するということでしょう?そんなの許せる訳ないじゃない。旦那様は私のモノなのに、誰かと共有なんて冗談じゃない」
そう、私は嫉妬したのだ。
旦那様と嘘を共有する人達に。
「すぐにこれはアレクがかかわっていると分かったわ。だって『ごめん、できちゃった』なんてそんな口調で旦那様が言うわけないないし、すごくアレクの喋り方に似ていたから」
「だから、私は殴られそうになったのか………」
小さなアレクの呟きが聞こえる。
やっと理解したか。ボール。
私は疲れたため小さくため息をはく。
そして再び笑顔を浮かべた。
「だからね。アレク」
「へ?」
私はそっとアレクの耳元に唇を近づけ……
「旦那様がいなくなったら………覚えていなさいね?」
「………ひっ!?」
私は怒っている。
とてもとても怒っているのだ。
どんな理由があれ旦那様を共有している、私以外の人達に。
「ああ。それとも?なぜ、こんな嘘を旦那様がついているのか教えてくだれば見逃してさしあげてもよろしくてよ?」
「いや、それは……」
急に口をつぐみはじめたアレクに私はため息をはく。
どういうわけかこの二人は私に秘密がバレるというよりも、秘密を口にする、ということを恐れているらしい。
その理由はまったくわからないが、まあ、そこはどうだっていいのだ。
私だって貴族の娘ですから?王につかえている旦那様が家族にも内緒にしなくてはならないことができてしまうのはわかっているわ。
でも、でもね。わかっているから、怒らないという訳ではないじゃない。
わかっていてもムカつくものはムカつくの。
だから、その怒りを発散させるために殴る、という行為で許してさしあげているのだ。
「では、仕方ないわね。アレク。私に………ひゃっ!?」
再びぐいっと体を引かれた。
また先程と同じようにバランスをくずし、旦那様に抱き止められる。
どうかしたのかしら?と旦那様を振り返れば……
「あんまり近づくな」
「まあ!」
まあ!まあ!まあ!旦那様のお顔が少し拗ねていらっしゃいませんか!?
かわいい!本当にかわいい!
これは嫉妬というものよね!!?
かーわーいーいー!!
「旦那様!嫉妬ですね!かーわーいーいーでーす!!!」
ぎゅぅと旦那様に抱きついた。
すると旦那様も抱き返してくれる。
ああ!幸せ!
「あまり、アレクシオ様に近づくな。二人が幼馴染みだとはわかってはいるが………あまり親しくされると………その……」
「ええ!嫉妬してしまうんですよね?」
「………っ!そ、そうだ。だから……」
「安心してくださいませ!旦那様!!私とアレクはなんでもありません!ええ!だって私、アレクのことはペットの虫程度にしか思っておりませんもの!」
「………虫」
ぽつり、とアレクの声が聞こえたがもちろんスルーだ。
「ですから旦那様!安心してくださいましね!」
「………。あまり、アレクシオ様を殴ったりしないか?殴ったりするのは俺だけにしてほしい」
「ええ!ええ!もちろん!!私が怒りにまかせて殴るのは旦那様だけですわ!」
「そうか。俺だけ………か」
安心したように、また、嬉しそうに旦那様が笑う。
私はそれが嬉しくて満面の笑みを浮かべた。
「さて」
私はアレクに振り返る。
「残念なことにあなたを殴ることはできくなってしまったわ」
「………お前らの言い分はよくわからないが。まあ、よかったよ」
疲れたようにアレクがため息をはいた。
そんな態度に少し虫のくせにとイラッときたが、今の私はすごく気分が良い。大目に見てやろう。
「やることもなくなりましたし、旦那様。私、エミリーを連れて帰りますね」
元々今日はエミリーとアレクの息子、つまり王子と会わせるためにきたのだ。
あの二人は私とアレクとは違う形で大変仲が良い。
エミリーの王子を見る目、あれは間違いなく恋をしている。
そして、王子の目もまたしかり。
想い合うということの素晴らしさをよく理解している私は二人の恋に協力してあげようと、こうしてエミリーを伴い城に来ているのだ。
そうだから今日アレクを殴るにきたのもついで程度なのだ。
いつもそれなりに忙しいアレクの休憩時間をすこーし殴るために使わせてもわおうと思っただけ。
それなのにアレクが駄々をこねるせいでこんなに長引いてしまった。
そろそろエミリーを連れて帰らなくては。
「あ、そうそう」
ふいに、思い出す。
「なんだ?どうした?」
「あの子がどうしても来たいというから今日つれてきていたのだけど、かまわないわよね?」
「あの子?」
「ええ。あの、旦那様と私ではない他の人の子供」
すると、二人の顔が突然険しくなる。
私は状況がのみ込めず、目をぱちくりとさせるしかない。
「え?何かいけなかったかしら?」
不安になってそう問いかけたその時………
「お母様!!!」
バンッ!と扉が乱暴に開けられた。
その聞き覚えのある声に振り返れば、そこには愛しの娘、エミリーがいた。
「エミリーどうしたの!?」
いつもニコニコと可愛らしく笑っているエミリーの顔は今や怒りに目がつり上がり、涙が浮かんでいる。
あわててエミリーに駆け寄ると、エミリーがドンと私に飛びついてきた。
腹部に頭が当り、ぐえっとなったがなんとかそれを堪える。
今はとにかくエミリーだ。
「まあまあ、どうしたのエミリー。かわいそうに………。王子は………?」
「あんな方知りません!」
まあ………あんなに、嬉しそうに王子の元に行ったのにいったい何が起こったのでしょう。
喧嘩でもしたのでしょうか?
そう思ったのは私だけではないようで、おろおろとしたアレクがエミリーに問いかけた。
「息子と喧嘩でもしたのか………?」
「………………」
その言葉にエミリーは答えない。
聞こえなかったのかと思って旦那様も同じことを聞いたが、やはりエミリーは答えなかった。
「エミリー?事情を話してちょうだいな」
「はい……。お母様………実は………」
言う気がないのかしら?そう思いながらダメ元で聞いてみると、エミリーはなんとあっさりと口を開いた。
どうやら故意的に二人を無視していたらしい。
その事実に男二人も気付きエミリーを目に入れても痛くないほど可愛がっている二人はそれはもう多大なショックを受けていた。
二人の上にだけ暗雲が立ちこめている。
そんな二人を横目で見ながらも、エミリーの頭を撫でとりあえずエミリーの話を聞くことにした。
「わた、わたくしっ!もう!ジオなんて大嫌いですっ!!私を裏切ったんですもの!!」
「裏切る?何をされたの?」
「ふっ!ぅえ!ジオは……あいつは!わたくしのことが好き……好きだって……言ったのに……!今日……会ったばかりの……あの子に……す、好きだって……!」
「まあ………王子がそんなことを……?」
いったいどうして突然そんなことをあの王子はいったのかしら?
今朝見たときはエミリーのことが好きで仕方ない!て顔で出迎えてきていたのに。
そこで、あれ?と気づいた。
男二人を見ればどこか固い表情でこちらを見ている。
もしかして何か知っているのかもしれない。
「エミリーそれは………」
「触らないでっ!!」
旦那様がエミリーの肩を叩いた瞬間、エミリーがすごい勢いで旦那様の手を振り切った。
「エ、エミリー……?」
「触らないでくださいっ!この!万年浮気発情期男っ!!」
「はつじょ……!?」
ガーン!と音が聞こえそうなほどに旦那様がショックを受けている。
その姿に少し萌えたが、今は旦那様に抱きつける雰囲気ではない。
「私、私………もう、信じません!!お父様も!ジオも!男はみんなみんな嘘つきで信用なんてできない下種な生き物なんですっ!」
うわああああ!!!としゃくりあげて泣く娘に戸惑いながらもとりあえずよしよしと背中を叩く。
娘の説明ではいったい何があったのかよくわからないし、旦那様やアレクのように何かを知っている訳ではない。
だから、何が起こってエミリーが泣いているのかはわからないけれど………
「そうね。男なんて信用すべき生き物ではないわねえ。信じたって裏切られるだけですもの」
そう、私の愛しの旦那様のように、嘘だってつくそれが男と、人間という生き物でしょう?
信じられるものはいつだって自分のことのみ。
「人を信用なんてしてはいけないのよ、エミリー。自分が見たものを感じたものを、信じなさい」
私は旦那様が浮気をしたなんて信じない。
だって私は旦那様に深く愛されていることを自分自身で感じているから。
そう私は旦那様の嘘なんて一ミリも信用していない。
「………わかりました!私、男なんて信用しません!」
「ええ。そうしなさい」
一つたくましくなった娘を見て、私はにっこりと微笑んだ。
●〇●〇●
それから数年後。
王子が熱烈に求婚してくるのをエミリーはバッサバッサと切り捨てながら「男なんて……あなたなんて信用しませんっ!」と叫んだという。