愛と恋の必要不必要
愛は、恋と同一だろうか。
愛とは何だ。恋とは何だ。分からない。
分からない理由が何故なのか、それすらも分からない。
けれど、そんな私でも分かることがある。
「……っ……あっう……ひぅ……ぐず……ふっう……」
ぼろぼろと大粒の涙をこぼして、声を押し殺して、必死に耐えようとする幼馴染の頭を撫でる。脳裏を過ぎる先ほどの光景を引き裂いて、無かったことにしてしまいたかった。
「みな、みな、泣くな……美奈子」
「ひっう……りょ……ちゃ……あたし……あたしっ」
座り込んで、両手で何度も何度も涙を拭って、どうにか堪えようとする美奈子の姿に胸が痛んだ。アスファルトの冷たい道路に座り込んで泣く女の子の姿に、周囲の目が集まっていることを感じる。無粋な視線に唇を噛んだ。見るなと、大声で叫んで、罵倒してやりたい気持ちになるが……堪えた。これ以上注目を集める理由を増やす必要はない。
「みな、とりあえず立って。移動しよう」
「……ん、うん……」
ぐずっ、と鼻を啜りながら立ち上がる美奈子を支え、半ば誘導する形でその場から離れた。無我夢中で走って逃げた美奈子を追っていたからか、本来の帰路から随分離れていたことに気づく。正直、徒歩だと今日中に帰れるか不安だったが……何とか日が暮れる前に帰ることができた。
美奈子の家と私の家は隣同士だ。土地自体が狭いのに家を可能な限り大きく、広くしようと両家が頑張った結果、少し地震が起きたらぶつかりそうなくらい密接している。幼少期は密接した両家の軒先を利用して、お互いがお互いの部屋を行き来するなんて漫画みたいなことをしていた。
その距離感が今はありがたい。何時間でも美奈子に寄り添って、傍にいてやることができる。今の美奈子に一人きりの家は孤独だろう。だからといって美奈子を家に招いても、私の両親が気になって気を張ってしまうに違いなかった。
「美奈子……もう良いよ」
「りょう……ちゃん……」
「もう良いんだ。もう良い……もう、堪えなくて良いんだよ…みな」
「ひっ……うっあっ……ぁああっあ……あああああああああああああぁあああああっ!!!」
獣が天に向かって吼えるかのように、言葉にならない絶叫をあげる美奈子を抱きしめる。悲痛な叫びが耳に痛い。眉をしかめて、涙をこぼして、大声で叫ぶ美奈子を抱いたまま、その背を撫ぜた。
「どっしてえ……ふうっうう……りょーちゃっ……も、あたし……わっかんないよお……」
「俺も分からん……分かりたくもないな、あんな男」
「……はは、りょーちゃんったら……ぐす……どっくぜつー……」
「…………無理して笑うな、どうせなら枯れるまで泣けよ。……笑ったりなんてしないんだから」
「……………………うん」
胸がムカつく。腹が、まるで鉛でも飲み込んだみたいに重い。
呆然とした様子で泣き続ける美奈子の背を撫でながら、私は一つの決意をした。
「こんなとこに呼び出して、何の用だよ」
「……私がお前を呼び出す用件なんて、決まっているだろう」
にやにやと口角を上げて、とぼけたことを口にする男に吐き捨てる。
肩をすくめて、そりゃそうだよなと頷く目の前の男が、私は最初から気に入らなかった。嫌いだったと言っても良い。この男は美奈子を……私の大切な幼馴染を泣かせると、そう直感したからだ。
「泣いてたろ、あいつ」
「…………」
「今時考えらんねえくらい初心だよなあ、美奈子ってさ。キス一つで顔真っ赤にさせちまって、処女丸出しって感じで……美人だけどさー何つうの? 笑い方一つとってもガキ臭えっつか、色気が欠片もねええの! 付き合いだしたら色気も出るかと思ったら、それもねえし。何かにつけてお前の名前ばっか出しやがるし、興ざめって感じ」
好き勝手にべらべらと喋る男を冷めた目で見つめる。よりにもよって、何故こんな男に恋をしてしまったのか。
初心で何が悪い。初めての恋で、初めての恋人で、そんな相手と初めてするキスに頬を染めた美奈子の何が悪い。ガキ臭い、それがどうした。高校生なんて子供と同じだろう。顔の造詣で美奈子の中身を決め付けるな。
思った言葉の何もかもが胸の中で溜まって、渦を巻いて、今にも喉から飛び出しそうなソレを無理やり飲み込んだ。
「昨日のアレは何だ」
「あれ? あー、杏とヤってたこと? 見てたなら分かってんじゃねえのー? セフレだよ、セ・フ・レ」
「美奈子がいるのに……か」
「溜まったもん処理すんのは勝手じゃね? あっちも気持ちいいし、俺も一人でマスかくより断然気持ち良い。ギブ&テイクの関係っつうの? まあ美奈子がヤらせてくれんならセフレとか要らねーけどさあ、あいつの様子じゃー無理っぽそうじゃん」
小ばかにした様子で笑みを崩さない男に、男のした発言に、私は胸がすくような思いがした。
「ふ……くく……ははっ」
「……んだよ」
ああ、これはいけない。思わず表情にまで出してしまった。
先ほどまでの笑みを消して、訝しげに私を見てくる男に向かって微笑む。
「いいや? 何も? ……ただ、お前の発言で吹っ切れただけだ」
「は……何をだよ」
じり、と後ずさる男に笑みを深める。美奈子以外に私が笑顔を向けるなんて滅多にないことだというのに、勿体無い男だ。ああ……本当に、最初からそうしていれば良かったんだ。
「吹っ切れたよ、私は私と決別できないが……私のままでも美奈子を愛することはできる」
「…………なに、何急に変なこと言ってんだよ。お前……あいつのこと好きだったわけ?」
「いいや? 私は美奈子に恋愛感情は持っていないよ」
持っていない。恋愛感情なんて、美奈子に対して私が持てるはずがない。
「なら、何」
「だけど」
強く、男の言葉を遮るように重ねる。
「だけど、世界で一番愛している」
そう……それこそ、美奈子の両親が美奈子を愛するより深く愛している。
産まれたときからずっと、私は彼女に支えられてきた。自分が男に生まれたと知って絶望したときも、肉体と精神の性差に苦悩したときも、この体が成熟した男になって、嘔吐したときも。ずっと……ずっと、美奈子は傍で支えてくれた。
人はこの愛を依存だと……執着だと切って捨てるかも知れない。けれどそれが何だというのか。美奈子への思いに、私は嘘も偽りもついていない。
「だから、奪ってみせるよ」
本当に、男がバカで良かった。本当は私も悩んでいたんだ。
美奈子が辛くとも、彼女の恋を応援すべきか否か。
「君からあの子を……美奈子の心も感情も全て、奪ってみせる」
気づいていないんだろうな。お前は私が呆れるくらいのバカだから。
気づいていなかったんだろう。美奈子を見つめるお前の眼差しが優しさを帯びてきていたことを。美奈子と共にいるお前の笑顔が温かく、愛しさを含んでいたことを。お前が今にも襲い掛かってきそうな鋭い眼で私を睨んでいることを……お前は、気づいていないんだろう。
「美奈子の幸せのためなら私は」
だが手遅れだ。もう遅い。もう、遅いんだよ。
私は吹っ切れた。前世なんて馬鹿げた記憶を持った私が、今更まともに恋ができるはずもない。それならばいっそ愛せば良い。恋でなくとも、愛であっても、思い合えば変わりはしない。
キツく私を睨みつける男に向かって、人差し指を突きつける。表情が、声音が、隠し切れない私の歓喜を表していく。
「お前に対する恋心すら、奪ってみせる」
宣戦布告だ下種野郎。自覚するのを待ってやるほど私は甘くない。
愛と恋に差なんてありはしないと、目の前で証明してやるよ。
――愛と恋の違いが分からない。そんな私でも分かることはある。
――少なくとも私にとって、美奈子を泣かせて悲しませるような恋なんて……美奈子が幸せになれない恋なんか、糞食らえってことだ!
私:TS転生者。前世の記憶もち。幼馴染の美奈子をみなと呼んでいる。
美奈子:作中で唯一しっかりと名前が出た女の子。幼馴染の私のことを、しょーちゃんと呼んでいる。
下種野郎:罰ゲームで美奈子を惚れさせて付き合いだした下種。自覚していなかっただけで、美奈子に対し恋心を抱き始めていた