その男、九十二歳。
西山武は地方紙の社会部に籍を置き、社会面でのコラムを担当している。
担当コラムの名は『憩いの広場』。
幼稚園でのウサギの飼育や、和やかな生け花教室、町内の句会の風景を取材などを元にレポートを書く。
わずかに1000文字程度の小さな枠が彼の仕事場である。
県内を歩き回り、さわやかな話題を探す。k県内全域も彼の仕事場である。
数センチ四方の紙面と約二百五十万㎡の陸地、この二つが西山の仕事場なのだ。
「落差があるな」と思う。ただし、そう思うだけだ。それ以上の感慨は持たない。
ある日、老人ホームの取材に出掛けて、その九十二歳の男小野寺吉蔵と出会った。
六十四名の老人が、余生をすごしている老人ホーム、それだけで何の感傷も持たない。
西山の社会部では、小野寺がこの施設で最長寿者の老人であることは調査済み。
最長寿者への取材なくしては担当部長の意向に反する。
しかし、その最長寿者の小野寺への取材だけで、わずかな西山のコラムレポート枠の文字は埋まる。
西山が施設関係者人案内されて、車椅子の小野寺に出会った。
西山は簡潔に身分と名を名乗る。
小野寺と二人きりにさせてもらい、取材を始める事とした。
施設関係者が同席すると、被取材者が施設に気兼ねをして話が弾まないからだ。
「九十二歳ですか、お若く見えますね。若さの秘訣はなんでしょう?」
小野寺は無言のままだった。
耳が遠いのかと、同じ質問を繰り返えすと
「聞こえていらあ、うるせえよ」
おそらく聞き違いをしているのだろうと、耳元で同じ質問を繰り返した。
「てめえ、耳が遠いのか。うるせえってんだ」
西山はその老人の静かなる剣幕が意外だった。
九十二歳まで生きてきたのだ、西山は穏やかで丸い感じの老人の姿を描いて来ていた。
たじろいだまま、西山には次の言葉がしばし出なかった。
「何しに来たのか知らねえが、とっとと帰れ」
立ち尽くす西山に追い討ちがかけられた。
「ここはガキの来るところじゃねえ。帰れ」
さらに畳み込まれた。
「でもですね、これは私の仕事なんです」気弱に言い返すと
「関係ねえだろ」
「確かにそうですが・・・・」
「『確かにそうですが』って、そのあとは何だ」
西山は二の句が出なかった。反論を求められて体が硬直した。
反論どころか怒るに怒れず、帰るに帰れず。
「お前みたいな無礼者は、さっさと死ね!」
西山の中でぷつりと何かが切れた。
「ひどいと思います。死ねまでは言い過ぎじゃないですか。私は長生きの秘訣を尋ねただけじゃないですか!」老人相手に怒鳴っていた。
「すまんな、許してくれ。さっきの質問に答えよう、長生きの秘訣はちゃんと怒ること、そして謝るべきはちゃんと謝ること」。
コラムを書き上げるのに1000文字。これは結構、難しい。




