婚約破棄の演出、正直に申し上げてよろしいですか
断罪の場、というのは様式美の塊だ。
クレア・アンバーはそう思いながら、聖堂の中央に立っていた。
第一王子アルヴィンが、声を張り上げる。
「クレア・アンバー! 汝のこれまでの悪行、今この場で――」
「あの」
「――糾弾す……え?」
「すみません、一点だけよろしいですか」
クレアは静かに手を挙げた。
「今、照明が完全に逆光になっています」
聖堂が、しん、と静まった。
「……は?」
「殿下の後ろに大窓があります。そこから光が入っているので、殿下の顔が影になっています」
アルヴィンが固まった。
「断罪する側の顔が見えないのは、演出として致命的です。断罪される側が影になるべきところ、今は完全に逆です」
「そ、そんな話をしているのでは――」
「あと台詞なんですが」
「まだあるのか!?」
「『汝』と『糾弾す』は文語ですが、その前後は口語ですよね。混在すると格調が出ません。全部文語で統一するか、いっそ現代語で感情を乗せた方が、断罪の迫力が増すと思います」
アルヴィンの顔に、みるみる青筋が立った。
居並ぶ貴族たちが顔を見合わせた。
後方で侍女頭のマーガが額を押さえた。
(またやっている)
(止める間もなかった)
十二年仕えてきた。
クレア様が舞台の話を始めると止まらないことも、現実の場面を全部「作品」として観てしまうことも、全部知っていた。
でも断罪の場でやるとは。
◇
アルヴィンの隣に立っていたリリィ・ソーンが、おそるおそる口を開いた。
男爵家出身の金髪の少女、アルヴィンの新しい「運命の相手」である。
「あ、あの、クレア様」
「なんですか」
「怖くないんですか。婚約破棄、されるんですよ」
「ああ」
クレアは少し間を置いた。
(怖いか、と言われると)
(……まあ、後で考えよう)
「後で考えます。それより今」
「今?」
「あなたの登場のタイミングが早すぎます」
リリィが「は」と言った。
「被害者の登場は、告発の後でいいんです。告発を聞いた上で被害者が姿を現す。そこで初めて場の感情が動く。今の配置だと最初からそこにいるので、この場の観客、つまり居並ぶ貴族の方々の感情の行き場がない」
「かんきゃく……」
「もったいないですよ。あなた自身の見せ方として」
リリィが、不思議な顔をした。
怒るでも怯えるでもなく、少し考えている顔だった。
「……それ、確かに、そうかも」
「リリィ」アルヴィンが言った。「同意するな」
「でも言われてみると」
「同意するなと言っている!」
◇
「改めて聞く」アルヴィンは深呼吸した。「お前はリリィに嫌がらせをしたか」
「していません」
「証人がいる。三人だ」
「その方々の証言を、順番に崩していいですか」
「……どういうことだ」
「まず一人目」クレアは言った。「三週間前の夜会で私がリリィさんを別室に呼び出して脅した、という証言ですよね。あの夜会、私はずっとエドワード子爵夫妻と話していました。二時間、ほぼ一度も席を離れていません。エドワード子爵夫妻に確認していただければ」
アルヴィンが「……確認はしたか」と側近に耳打ちした。
側近が「……していません」と答えた。
クレアは続けた。
「二人目。一か月前に私がリリィさんの部屋に入り込んで手紙を盗んだという証言。あの日の午前、私は王立図書館にいました。司書に記録があります。確認しましたか」
「……していない」と側近が言った。
「三人目。これが一番雑ですが」クレアは少し首を傾けた。「証人の方はわたくしと直接面識がない方ですよね。どういう経緯で証人になったんでしょう」
アルヴィンが側近を見た。
側近が目を逸らした。
「……把握していません」
「確認していないんですか」とリリィが呟いた。
「リリィ、黙って」
「でも」
「黙れと言っている」
「……殿下」クレアは静かに言った。「私を断罪するなら、証言の裏くらいは取るべきです。演出以前に、脚本が粗すぎます」
「脚本!? これは脚本ではない!!」
「でも準備不足という点では同じです」
場がしんと静まった。
後ろの列から、誰かが小さく咳払いをした。
アルヴィンが周囲を見回した。
視線が集まっていた。
困惑ではなく、どこか冷めた目で、この場を眺めている視線が。
(まずい)
アルヴィンは初めて、そう思った。
◇
その時、扉が開いた。
騎士団長ガレス・ノワール。
黒い軍服、黒髪、無表情。
「殿下」
「……ガレス。何の用だ」
「一点ご報告があります」
ガレスは書状を取り出した。
「証人三名の内二名について、事前に接触があったことが判明しました。アンバー嬢の婚約を解消させたい貴族からの働きかけです」
場がざわめいた。
「残る一名も、アンバー嬢と面識がないにもかかわらず証言台に立っています。証言の信憑性は極めて低いと判断します」
アルヴィンが書状を受け取った。
読んだ。
顔色が変わった。
「……なぜ事前に」
「確認が不十分だったためです」ガレスは言った。「殿下の側の確認が」
淡々とした声だった。
責めているわけではない。
ただ、事実として述べていた。
それがかえって、静かに刺さった。
アルヴィンが黙った。
リリィが俯いた。
「……私も、知らなかった」リリィが小さく言った。「誰かに話を大きくされていたこと、全部。こんなつもりじゃ、なかった」
「リリィ」
「本当に、こんなつもりじゃなかったんです」
クレアはリリィを見た。
震えている肩を見た。
(この子は本当に飲まれていただけだ)
(怖かったんだろう、ずっと)
「リリィさん」
リリィが顔を上げた。
「あなたのせいではありません」クレアは言った。「あと、肩が内巻きになっています。緊張すると余計凝りますよ。後で伸ばしてください」
「……え」
「唐突な話ですが、肩の話は本当なので。気が向いたら」
リリィが、泣きそうな顔で少し笑った。
◇
それから一週間で、全容が明らかになった。
工作した貴族は処分された。
アルヴィンはクレアに正式な謝罪をした。
クレアの返答はこうだった。
「謝罪は受け取りました。ただ一点だけ」
「……まだあるのか」
「あの断罪の場、準備不足だったことは認めますか」
アルヴィンが黙った。
「演出とか台詞以前に、証拠の確認をしないまま断罪の場を設けたのは、殿下として雑だったと思います」
「……そうだな」
アルヴィンは珍しく、静かに頷いた。
「お前の言う通りだ。俺が雑だった」
「分かればよかったです」
「本当にお前は……」アルヴィンは苦笑した。「怒らないのか、怒鳴らないのか、泣かないのか」
「泣くより先に演出が気になりましたので」
「一生そういう女なんだな、お前は」
「そう思います」
アルヴィンは少し、複雑な顔をした。
(七年間、何も見えていなかった)
(この女の本当のことが、何も)
「……縁談、改めて持ってきてもいいか」
「結構です」クレアはすぐ言った。
「断るのも早いな!?」
「七年間、演出の話ひとつ聞いてくれませんでしたから」
アルヴィンが何も言えなくなった。
それは、正しかった。
◇
図書室は静かだった。
クレアは脚本を読んでいた。
王都の新作。三幕構成、第二幕の引きが弱い。台詞は悪くないが少し長い。
「アンバー嬢」
扉からガレスが顔を出した。
「なんですか」
「少し、いいか」
ガレスは入ってきた。向かいに座った。
「聞いてもいいか。断罪の場で、本当に怖くなかったのか」
「何がですか」
「全部だ。立場が崩れる、社交界から追われる、そういうことが」
クレアは脚本から顔を上げた。
「怖いかどうか考える前に、演出が気になって」
「それが本当に最初に来るのか」
「来ます。ずっとそうなので」
少し間を置いて、クレアは続けた。
「でも、家に帰ってから手が冷えていることに気づきました。後で怖かったのかもしれません」
ガレスが、少し目を細めた。
「……そうか」
「あまり、順番通りに来ないんです。感情が」
「変な女だ」
「よく言われます」
「褒めていない」
「分かっています」
クレアは脚本に目を落とした。
ガレスはしばらく、黙っていた。
「……断罪の場で、ずっと見ていた」
クレアが顔を上げた。
「証拠を集めながら、様子を見ていた。お前がどう出るか」
「それは職務でしょう」
「そうだ」ガレスは言った。「だが」
少し間があった。
「照明の話を始めた時、職務以外の理由で目が離せなくなった」
クレアは黙った。
「意味が分からなかった。状況も、言っていることも、お前という人間も。それなのに」
ガレスが、珍しく少し困った顔をした。
「目が離せなかった。ずっと、そのままだ」
クレアは脚本を閉じた。
少し考えた。
「……それは」
「最大限の褒め言葉のつもりで言っている」
「分かりました」
クレアは真顔のまま言った。
「では、この会話。構成として話の流れはよかったです。前段があって、葛藤があって、告白がある。三段構成として綺麗でした」
ガレスが額を押さえた。
「……感想がそれか」
「あと」
「まだあるのか」
「嬉しかったです」
一瞬の沈黙。
クレアは続けた。
「分析より先に、そっちが来ました。順番通りに来たのは、初めてかもしれません」
ガレスが、クレアを見た。
長く、見た。
「……アンバー嬢」
「なんですか」
「俺と婚約してほしい」
クレアは三秒、固まった。
「……前段が短すぎます」
「さっきのが前段だ」
「あれは告白では」
「前段を兼ねた告白だ」
「そんな構成は」
「ある」
クレアはしばらく考えた。
「……受けます」
「そうか」
「ただ」
「まだあるのか」
「求婚の場の照明が悪いです」
ガレスが窓の方を見た。
夕方の光が横から差し込んでいた。
「……悪くないと思うが」
「横光源は顔に陰影が出すぎます。もう少し正面から」
「図書室に照明係はいない」
「ですよね」クレアは言った。「では次の機会に改善してください」
「次があるのか」
「求婚は一度では終わらないと思っていますので」
ガレスは少し笑った。
クレアはその顔を見た。
(この人が笑うと)
分析しようとして、止まった。
(……後でいい)
今は、ただ見ていたかった。
◇
その後の記録によれば、ガレス・ノワール騎士団長がクレア・アンバー侯爵令嬢に正式な求婚をしたのは、それから三か月後のことである。
場所は王宮の庭。
照明は、午前の正面光。
クレアが「照明が完璧です」と言い、ガレスが「そこから入るな」と言った。
クレアは笑った。
ガレスは、その笑顔が好きだった。
見るたびに、まだ知らない顔がある気がした。
目が離せない理由は、最初からずっと、それだった。




