第七話 途中でいい、という話
結婚相談所の奥にあるカフェスペースは、思っていたよりもざわついていた。
以前の個室とは違い、仕切りはなく、テーブルの周りでは、スタッフが子ども向けのお菓子を補充していた。
「こういう場所も、あったんすねー……」
思わず口にすると、案内してきた女性職員がふふっと笑った。
「ルーカスさんが『整いすぎてて、帰りたい』っておっしゃっていたのを参考にしてみました」
「え!? 俺っすか!?」
「なかなか好評なんですよー」と案内された席には、すでに一人の女性が座っていた。
その隣には、小さな男の子。
年の頃は、五歳くらいだろうか。
女性はルーカスを見ると、少しだけ気まずそうに笑った。
「……ここ、初めてなんです。子連れで来ても大丈夫って聞いたんですけど……ほんとに、大丈夫ですか?」
声は丁寧だが、どこか探るような響きがあった。
「だ、大丈夫っすよ。俺も、ここは初めてで……えっと、落ち着きますよね」
思ったままを口に出しただけだったが、女性は、ほっとしたように息を吐いた。
「よかった。個室だと、どうしてもこの子が落ち着かな――」
「ねーねー」
男の子が、遠慮なく声をあげる。
「ねえ、おじさんって、お兄さん?」
「え!? 俺、おじさんっすか!? まだお兄さんでいたいっす!」
ルーカスは致命傷を受けたみたいな顔になる。
男の子は、きょとんとした顔をしたあと、けらけら笑った。
「す、すみませんっ。失礼なことを……っ」
「あー、いや全然! 元気でいいっすね!!」
言いながら、ルーカスはちょっと救われた気がしていた。緊張が、男の子の“無邪気な直球”で一気にほぐされた。
飲み物が運ばれ、簡単な自己紹介が済む。
名前と、仕事と、ここに来た理由。
女性は、視線をテーブルに落としたまま、言った。
「……私、結婚のこと、正直よく分からなくて」
その言葉は、静かに落ちた。
「一人でやってきました。この子もいます。だから、急いでどうこうっていう気持ちはないんです」
ルーカスは、黙って聞いていた。
男の子が、積み木を一つ落とし、ころんと音がした。
「でも」
女性は続ける。
「いつか誰かと一緒でもいいかもしれない。……それで、登録だけは、してみました」
そこで、ようやくルーカスは口を開いた。
「……そうなんすね」
気の利いた事? 言葉の引き出しに、役に立ちそうなものはなかった。
女性は一瞬、拍子抜けしたような顔をして、すぐに小さく笑った。
「もっと、何か言われるかと思ってました」
「俺、あんまり……語れるような人生経験、ないっす」
正直に言う。
「だから、何か言うのも、違うかなって」
沈黙が落ちた。
男の子が、積み木を高く積み上げて、誇らしげに言う。
「見て! たかい!」
「すごいね。崩れないように、ゆっくりだよ」
そのやり取りを眺めながら、ルーカスは自分のイメージする家族像が狭かった事にうっすらと気づいた。
自分の中では、父と母がいて、姉がいるのが当たり前の家族のイメージだ。でも、家族も結婚も、形はひとつじゃない。
しばらくして、女性が言った。
「今日は……来てよかったです。結婚相談所って、もっと決断を迫られる場所だと思ってたので」
「俺もっす」
ルーカスは、少し照れたように頭を掻いた。
子どもが、椅子から降りて、ルーカスを見上げる。
「また、来る?」
「んん……。どうかな」
即答はしない。
「でも、来たいときは、来るっす」
選ぶことも、選ばないことも。
まだ、途中でいい。
それを、否定しなくていい気がした。
◇
その日の巡回は、いつもより賑わっていた。
穏やかな昼下がりで、露店の布が風に揺れている。
「人が多いと、巡回も歩きにくいよなー」
「そうっすね! 子連れが多いから、踏まれないように注意っす!」
「……ルーカスが踏まれる側なんだな」
そんな会話をしながら、ルーカスは、ふと視線を横に流した。
淡い青。
光を含んだ、ガラスの色。
「……あ」
フリーマーケットの一角。
白い木目のテーブルに、シーグラスの作品が並んでいた。色とりどりの作品が、柔らかく光っている。
「あらま。お仕事、お疲れ様です」
店の奥から、店長さんが声をかけてきた。
「どうもっす」
ルーカスは、いつもの調子で答える。
「知り合い?」
「はい。フリマの店長さんっす」
「……お前、最近の交友関係ナゾだよな」
軽口を叩き合っていると――
「あー!!」
少し離れたところから、弾んだ声がした。
「騎士様だぁ!」
人混みを縫うように、小さな男の子が駆けてくる。
「お母さん、見て! 騎士様!!」
ルーカスと同僚は、ほぼ同時に動きを止めた。
「……なぁ」
「はい」
「俺たち、鎧、汚れてないか?」
「だ、大丈夫だと思うっす」
同僚が真剣な顔で言う。
「子供の、ああいう目……曇らせたくないよな」
「っすね……」
男の子は、ルーカスの前まで来て、ぱっと顔を上げた。
「あれ? この前の、お兄さんだね!」
その後ろから、女性が小走りで追いついてくる。
「すみません、急に走り出して……」
彼女は、ルーカスを見て少し驚いた顔をしたあと、微笑んだ。
同僚が、状況を測りかねた様子で「なぁ」と口を開きかけたが
「私用っす!」
「は?」
「大丈夫です! 私用っす!」
同僚は一瞬だけ周囲を見回し、肩をすくめて数歩離れた。それを見て、店長さんが笑った。
「ふ、ふふ。騎士様、人気ですね」
「いや……この子が元気なだけっす」
同僚は会話に入らず、周囲の人波に目を走らせている。
男の子を見ると、テーブルに並んだガラスの前で、目を輝かせていた。
「これ、キレイ! くじらだー!」
「今もキレイっすけど、夕方も、光の色が変わるからめっちゃオススメ!!」
ルーカスが、少し自慢げに言う。
「夕方は、こちらも奇麗に見えると思います」
店長さんは、ランプシェードをそっと持ち上げた。
「あーこれ、いいっすよね!」
「ふふ。このままの天気なら、今日は陽が奇麗に入りそうですね」
ルーカスが話している間も、女性は男の子のそばにしゃがみ込み、作品と子どもを交互に見て、にこにこと目を細めていた。
相談所での会話が、ふと頭をよぎる。
何も言わなかったこと。
それでよかったのかもしれないと、ぼんやり思う。
彼女は、彼女の生活を、ちゃんと生きているように見えた。それなら――きっと、あれでいいのだろう。
「じゃあ、そろそろ巡回に戻るっす」
「はい。ありがとうございました」
男の子が、手を振る。
「またね! 騎士のお兄さんたち!」
「「おう!!」」
ルーカス達は、軽く手を上げた。
踏み込みすぎない距離。
でも、ちゃんと顔を覚えている距離。
その全部を、言葉にできなくて……今日のことは、胸の奥に置いたままにした。




