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『処刑されるか、人食い辺境伯に嫁ぐか選べ』と言われたので喜んで嫁いだら、旦那様が極上のモフモフでした。恐ろしい呪い? いいえ、ご褒美です。

作者: おーあい

「リリアーナ・ベルベット! 貴様との婚約は、今この時をもって破棄とする!」


 学園の卒業パーティー会場。

 シャンデリアが煌めく大広間の中心で、王太子セドリックの声が高らかに響き渡った。

 音楽は止まり、着飾った貴族の令息令嬢たちがざわめきと共に道を開ける。


 セドリックの腕の中には、ピンクブロンドのふわふわとした髪を持つ小柄な少女――男爵令嬢のマリナが、怯えたように震えながらしがみついていた。


「セドリック様……私、怖いですぅ。リリアーナ様がまた私を睨んで……」


「大丈夫だ、マリナ。僕が守る。この悪女の暴挙もこれまでだ」


 ふふん、と鼻を鳴らしたいのを堪えて、私――リリアーナ・ベルベットは扇で口元を隠し、優雅にカーテシーを披露した。


「婚約破棄、ですか。随分と唐突なお話ですこと」


「白々しい! 貴様がマリナに行った数々の嫌がらせ、知らぬとは言わせんぞ! 教科書を破り、階段から突き落とそうとし、お茶会では紅茶を浴びせたそうだな!」


 ……やってない。と言ったところで、信じてもらえないだろう。

 なにせこの世界は、私が前世でプレイしていた乙女ゲーム『聖女マリナの奇跡』によく似ている。そして私は、悪役令嬢リリアーナに転生してしまったのだから。


 ゲームのシナリオ通りなら、ここでの断罪イベントは回避不可。

 リリアーナの結末は、断首か、国外追放か。


(まあ、どっちでもいいけど)


 私は内心で欠伸を噛み殺していた。


 前世の私は、激務に追われる社畜だった。癒やしは動画サイトで動物の動画を見ることだけ。猫カフェに通う時間もなく、アパートはペット禁止。

 過労死してこの世界に来てからも、公爵令嬢としての厳しい教育に追われ、動物と触れ合う機会は皆無だった。

 正直、王妃教育にも、このバカ王子のお守りにも飽き飽きしていたのだ。


「黙っているのは罪を認めた証拠だな! 本来なら極刑に処すところだが……長年の情けだ。選択肢をやろう」


 セドリックが得意げに指を突きつける。


「今すぐ処刑されるか、それとも北の果て、呪われし『人食い辺境伯』グレン・アークライトに生贄として嫁ぐか! どちらか選べ!」


 会場から悲鳴にも似たざわめきが上がった。


 グレン・アークライト。

 国の北限を守る辺境伯だが、数年前、魔獣討伐の際に恐ろしい呪いを受けたとされている。

 その姿は理性を失った魔獣そのものとなり、夜な夜な人の肉を喰らうという噂だ。

 これまでに何人もの花嫁が送られたが、誰一人として戻ってきた者はいないという。実質的な死刑宣告だ。


「さあ、どうする! 恐怖に泣き叫び、私の足元に縋り付くなら――」


「謹んで、辺境伯への輿入れをお受けいたします」


 セドリックの言葉を遮り、私は即答した。


 会場が静まり返る。

 セドリックが口をパクパクと開閉させた。


「は……? お、おい、正気か? 人食い辺境伯だぞ? 化け物だぞ!?」


「ええ。王命とあらば、喜んで」


「よ、喜んでだと……? 虚勢を張るな! 泣いて詫びれば修道院送りくらいにはしてやっても――」


「いいえ、結構です。辺境伯領へ参ります。今すぐにでも参ります」


 私は満面の笑みを浮かべた。だって、知っているのだ。


 ゲームの設定資料集で読んだことがある。

 グレン・アークライトの呪いの正体。それは、「銀狼」の姿になってしまうという変身能力だということを。

 銀狼。大きな体。銀色の毛並み。ふさふさの尻尾。


(モフモフ……!)


 私の脳内は、その四文字で埋め尽くされた。

 処刑? 修道院? そんなものより、モフモフだ。

 私はドレスの裾を翻し、呆然とする元婚約者とヒロインに背を向けた。


「では皆様、ごきげんよう。私は幸せになりますので」


 足取り軽く会場を後にする。

 早く行きたい。北へ。私の楽園パラダイスへ!


 ***


 北の地は寒かった。

 王都を出てから馬車で二週間。窓の外には雪景色が広がっている。

 辺境伯の屋敷は、断崖の上にそびえ立つ古城だった。どこからどう見ても、ホラー映画の舞台だ。


「リリアーナ様……本当によろしいのですか? 今からでも逃げたほうが……」


 実家から唯一ついてきてくれた侍女のアンナが、青い顔で震えている。

 彼女は忠義者だが、怖がりだ。


「大丈夫よ、アンナ。噂なんて当てにならないものよ」


「で、でも、使用人たちの目を見ましたか? みんな、私たちを『次の餌』を見るような目で……」


 確かに、屋敷の使用人たちは皆、暗い顔をして俯いていた。

 執事長に案内された部屋は豪華だが、鉄格子がはめられており、まるで牢獄だ。


「旦那様は、夜にこちらへいらっしゃいます……。どうか、お覚悟を」


 執事長はそれだけ告げると、逃げるように去っていった。


 アンナが「ひぃっ」と悲鳴を上げて私にしがみつく。


「い、いらっしゃいますって……食べる気満々じゃないですかぁ!」


「落ち着いて。まずは着替えましょう。動きやすい服にね」


「動きやすい服? 逃げるためですね!?」


「いいえ。全力で受け止めるためよ」


 私はトランクから、この日のために用意した特注のルームウェア(という名の汚れてもいい服)を取り出した。


 そして、夜が来た。重厚な扉の向こうから、重たい足音が響く。

 カツン、カツン、という靴音ではない。もっと重く、静かな、獣の気配。


 アンナは既に失神してベッドの隅に転がっている。


 ギィィィ、と扉が開いた。

 月明かりを背に、その「化け物」は現れた。


 体長は二メートルを超えているだろうか。天井に届きそうな巨体。

 月光を反射して輝く、流麗な銀色の毛並み。

 それは単一の銀ではない。月光を吸い込むような濃いグレーの下毛アンダーコートと、その上を覆う長く艶やかな銀の上毛オーバーコート。完璧な二重構造ダブルコートだ!

 剣のように鋭い爪。そして、獲物を射抜くような金色の瞳。


 噂通りの、巨大な銀狼だった。


『グルルルル……』


 銀狼は喉を鳴らし、牙を剥き出しにして私を威嚇する。

 その迫力は凄まじく、普通の令嬢なら心臓が止まっているかもしれない。


 だが、私の目は釘付けだった。

 威嚇に伴って、鼻筋の皺が寄り、マズル(口吻)がぷっくりと膨らんでいる。あの膨らみ、ひげ袋の立体感。


(尊い……ッ!)


 私は鼻血が出そうになるのをハンカチで必死に抑えた。


『俺を見て、悲鳴を上げないのか?』


 頭の中に、直接響くような低い声が聞こえた。念話だ。

 銀狼――グレン・アークライト辺境伯は、私を一歩ずつ追い詰める。


『俺は呪われし化け物だ。前の嫁たちは、俺の姿を見ただけで発狂した。貴様も、俺に食われるのが怖いだろう?』


 グレン様が、顔を近づける。濡れた鼻先が、私の頬に触れそうだ。

 熱い吐息がかかる。獣の匂い。少し土の香りが混じった、野生の香り。

 だが決して不快ではない。むしろ香ばしい、天日干しした布団のような、あるいはナッツのような極上のアロマ。


 私は、震える手を伸ばした。恐怖からではない。

 歓喜からだ。


(で、でかい……! 神々しい……! この北国の寒さに耐えうる高密度の冬毛……! 指を入れたら第二関節、いや、手のひらごと埋まる深さ……!)


「モフモフだぁぁぁぁぁ……!!」


 理性のタガが外れた。

 私はグレン様の首元――一番毛量が多そうな、いわゆる「飾り毛」が豊かな胸元へ、顔面からダイブした。


『!?』


 ドフッ、という鈍い音がして、私の顔面が銀色の雲に包まれた。

 グレン様が驚愕に固まるのがわかった。

 私は構わず、銀色の毛並みに顔を埋め、限界まで肺活量を使って深呼吸する。


「すーっ、はーっ! 最高です! この弾力! 表面は滑らかでシルクのようなのに、奥は羽毛布団のように温かい! そしてこの匂い! 吸っても吸っても吸い足りない!」


『な、な、な……貴様、何をしている!? 離れろ!』


「嫌です! 一生離しません! ああ、耳! この三角の大きなお耳!」


『ひゃうっ!?』


 私が耳の付け根の、少しコリコリした部分を指の腹で揉みほぐすと、人食い辺境伯から可愛らしい声が漏れた。

 耳がピコピコと反応して動く。その動きすら愛おしい。


『き、貴様、俺は化け物だぞ!? 恐ろしくないのか!?』


「恐ろしい? とんでもない! こんなに愛らしいのに!」


『あ、愛らしい……?』


 グレン様が呆然としている隙に、私は彼をベッド(キングサイズでよかった)に押し倒した。

 いや、正確には彼が腰を抜かしたのだと思う。巨体がベッドに沈み込む。


「グレン様、覚悟してください」


『な、何を……命乞いなら……』


「ブラッシングのお時間です!」


 私は懐から、王都で買い求めた最高級の獣毛ブラシを取り出した。さらにスリッカーブラシ、コーム、艶出し用スプレーと、七つ道具が並ぶ。


「さあ、まずは背中から……!」


『や、やめ……あ、そこ、そこは……』


「気持ちいいでしょう? 分かります、ここが痒いんですよね? 肩甲骨周りは自分じゃ舐められませんものね」


『くぅ……ん、あ、だめ、足が、勝手に……』


 ワシワシと毛の根元を掻くようにブラッシングすると、グレン様の後ろ足がカタカタと空を蹴る。犬歯が見えるほど口元が緩んでいる。


「肉球! 肉球も触らせてください! うわぁ、真っ黒で弾力があって……ポップコーンと枯れ草が混じったようないい匂い!」


『ちょ、そこは敏感な……あっ、あっー! 尻尾の付け根はやめろ……! ああん!』


 その夜、辺境伯の寝室からは、獣の甘い鳴き声と、「ここですか? ここがいいんですね?」「いい毛並みだ……最高だ……」という令嬢の荒い息遣いが明け方まで響き渡ったという。


 ***


 翌朝。


 私はすっきりとした気分で目覚めた。隣には、疲れ果てて人間の姿に戻ったグレン様が眠っていた。

 銀髪に金の瞳を持つ、彫刻のように美しい青年だ。ゲームの設定通り、人間姿も超絶美形。

 だが、今の私には物足りない。


(毛がない……つるつるしてる……)


 私は少し(かなり)残念に思いながら、彼に布団を掛け直した。


 それからの生活は、まさに天国だった。

 グレン様は夜になると呪いの影響で獣化する。

 以前はそれを恥じ、地下牢に籠もっていたらしいが、今は私が寝室に監禁(?)している。


「グレン様、今日はお腹の毛を梳かしますね」


『……好きにしろ』


 最初は抵抗していたグレン様も、最近では私のブラッシング技術に陥落し、夜になると自らベッドの上でお腹を見せるようになった。


 ヘソ天である。

 無防備に晒された腹部は、背中よりも色が薄く、毛が柔らかい。綿毛のようだ。

 そこに顔を埋めて「ブフォーッ」と息を吹きかけると、グレン様は『くすぐったい……けど悪くない……』と尻尾をパタパタさせる。床が抜けるんじゃないかというくらいの勢いで。


 そんなある日、執事長が涙ぐみながら私に話しかけてきた。


「奥様……旦那様の呪いを受け入れてくださり、誠にありがとうございます」


「え?」


「毎晩、寝室から聞こえる旦那様の……その、苦しげなお声。呪いの発作を、奥様が身を挺して鎮めていらっしゃるのですね」


 どうやら、ブラッシングで骨抜きにされている声を、呪いの苦痛の声だと勘違いされているらしい。

 それに、私が部屋から出てくるとき、いつも満足げ(モフモフ分を摂取したため)で、かつ乱れた姿(毛まみれ)であることも、誤解を加速させていた。服のあちこちに銀色の毛がついているのは、愛の勲章だ。


「奥様こそ、真の聖女様です……!」


「い、いえ、私はただ、好きなことをしているだけで……」


 本当に、性癖に従っているだけなのだが。 屋敷の使用人たちからの好感度は、爆上がりしていた。

 美味しいご飯が出てくるようになり、アンナも「リリアーナ様、凄いです! 猛獣使いです! あんな大きな狼の口に手を入れて、歯磨きまでするなんて……」と尊敬と恐怖の入り混じった眼差しを向けてくる。


 グレン様との仲も、奇妙な形で深まっていた。

 昼間、人間の姿の彼は、不器用ながらも私を気遣ってくれる。


「……リリアーナ。その、昨夜はすまなかった。また、君に……無理をさせたな」


「無理だなんて! 最高でした!(冬毛の密度が)」


「き、君は……本当に慈悲深い女性だ。俺のような醜い化け物を、愛おしそうに撫でてくれるなんて」


 グレン様は耳まで赤くして、私の手を取る。


「君の献身に、心から感謝している。……愛している、リリアーナ」


「私も愛しています、グレン様!」(その毛皮を!)


 完全にすれ違っているが、私達は愛し合っていた。

 この幸せが、永遠に続けばいい。

 そう思っていたのに。


 平和な日常は、招かれざる客によって破られた。


 ***


「やあ、リリアーナ。まだ生きていたとはね」


 屋敷のサロンに通されたのは、元婚約者のセドリックと、聖女マリナだった。

 彼らは「視察」という名目で、私がどれほど悲惨な目に遭っているかを見物に来たのだ。


「あら、殿下。遠路はるばる、よくお越しくださいました」


 私は優雅に微笑んだ。

 セドリックは私の顔色が良いことに不満げだ。


「ふん、強がりを。人食い辺境伯の慰み者になって、やつれ果てていると思ったが……まあいい。今日はマリナの『聖女の力』で、この土地の浄化をしてやろうと思ってな」


「浄化、ですか」


「そうだ! 辺境伯の呪いも、マリナの祈りがあれば解けるかもしれん。そうすれば、辺境伯もマリナに感謝し、貴様など追い出すだろう!」


 マリナが媚びるような上目遣いで私を見る。


「リリアーナ様、かわいそう。私なら、旦那様の呪いを解いて差し上げられますのにぃ」


 なるほど。

 彼らは、グレン様の呪いを解いて恩を売り、私をここから追い出す算段か。


(冗談じゃない!)


 呪いが解けたら? 人間に戻ったら?

 私のモフモフライフが終わってしまうではないか! それは困る。非常に困る。

 だが、その時だった。


「……帰れ」


 低い、地を這うような声が響いた。


 サロンの入り口に、グレン様が立っていた。

 昼間だというのに、彼の様子がおかしい。目が金色に輝き、爪が伸びている。

 私の危機(と彼が認識した状況)に、感情が高ぶり、部分的に獣化が始まっているのだ。


「グ、グレン様……?」


「俺の妻を愚弄することは許さん。……王族だろうと、容赦はしない」


 殺気。


 濃密な殺気が、セドリックたちを襲う。

 グレン様の体から黒いモヤが溢れ出し、その姿が急速に膨れ上がる。

 怒りによって、強制的に完全獣化しようとしているのだ。


「ひっ、ひぃぃぃ! 化け物だぁぁぁ!」


「きゃぁぁぁ! 助けてぇぇぇ!」


 セドリックとマリナが腰を抜かして抱き合う。

 グレン様は巨大な銀狼へと姿を変え、彼らに牙を剥いた。


『リリアーナを傷つける者は、喰らい尽くしてやる……!』


 ああ、なんて格好いい。そして恐ろしい。

 首筋の毛が逆立っている。あれはいけない、毛並みが乱れてしまう。

 それに王族を殺してしまったら、グレン様が討伐されてしまう。


 私は、セドリックたちの前に立ちはだかった。


「おやめください、グレン様!」


 私の行動に、セドリックが目を見開く。


「リ、リリアーナ!? 貴様、食われるぞ!?」


「どいてください、殿下。邪魔です」


 私はセドリックを蹴り飛ばし(あくまで優雅に)、暴走しかけている銀狼の前に立った。

 彼は怒りで我を忘れている。喉の奥から唸り声を上げ、マズルに皺を寄せて牙を剥き出しにしている。

 普通の人間なら、近づくだけで震え上がるだろう。


 でも、私には分かる。

 今の彼に必要なものが。


「グレン様、よしよし。怖くないですよー」


『グルァァァ……!』


「はい、ここ! 顎の下! ここがお好きでしょう?」


 私は恐れることなく手を伸ばし、太い首元を両手で包み込んだ。

 剛毛の中に指を滑り込ませ、耳の裏、首の付け根のツボを的確に刺激する。


『グルッ!? ……あ、そこ、イイ……』


 一瞬で、唸り声が情けない甘え声に変わる。

 さらに私は、懐から取り出した秘密兵器「マタタビの粉(特製品・高級輸入雑貨)」をふりかけたおもちゃ――フェルトで作った骨型のぬいぐるみを取り出した。


「ほーら、グレン様。取ってこいですよー!」


『ワフッ! あ、それ欲しい!』


 銀狼は尻尾をブンブンと振り回し、おもちゃを追いかけてサロンの中を駆け回り始めた。

 セドリックとマリナの上を飛び越え、執事が持つトレイを華麗にかわし、私の元へおもちゃを咥えて戻ってくる。

 その瞳はもう、捕食者の金色ではなく、散歩をねだる大型犬のそれだ。


『リリアーナ! 遊ぶ! もっと遊ぶ! 投げてくれ!』


「はいはい、いい子ですねぇ~! お腹なでなでしましょうねぇ~!」


 私は床に座り込み、巨大な狼を膝枕(というか体全体で受け止める)して、至福のブラッシングタイムを開始した。

 グレン様は私の膝に頭を擦り付け、ゴロゴロと喉を鳴らす。その振動が私の骨にまで伝わってくる。至福だ。


 その光景を、セドリックとマリナは白目を剥いて見ていた。


「な、なんだあれは……」


「リリアーナ様が……魔獣を手懐けてる……?」


「あ、あの『人食い辺境伯』が、腹を見せて喜んでいるだと……?」


 恐怖よりも、困惑とドン引きが勝ったようだ。

 私はブラシの手を止めず、冷ややかな視線を彼らに向けた。

 手元では、グレン様が私の指を甘噛みしている。くすぐったくて最高だ。


「ご覧の通り、私達は愛し合っておりますの。殿下の入る隙間など、毛一本分もございませんわ」


『そうだ! リリアーナは俺の伴侶だ! 誰にも渡さん! グルルッ!』


 グレン様が(お腹を出したまま、ぬいぐるみを咥えたまま)威厳たっぷりに吼える。

 その姿は、ある意味でどんな脅しよりも強烈だった。


「ひ、ひぃぃぃ! 帰る! 帰らせてもらう!」

「待ってぇセドリック様ぁぁ!」


 二人は逃げ出した。


 おそらく、二度とこの地には近づかないだろう。

 王都に帰っても、「リリアーナは魔獣をも従える魔女になった」と噂するかもしれない。

 それはそれで、好都合だ。


 静寂が戻ったサロンで、グレン様が我に返る。

 ポン、という音と共に、彼は人間の姿に戻った。その顔は真っ赤だ。


「……み、見られた」


「はい?」


「腹を見せて、骨を追いかけて……甘えているところを……あいつらに……」


 グレン様が頭を抱えて蹲る。

 確かに、辺境伯としての威厳は台無しだ。


「でも、素敵でしたよグレン様。私を守ろうとしてくださって」


「リリアーナ……」


「それに、人間の姿も素敵ですけど……やっぱり私は、あのモフモフなグレン様が一番好きです」


「っ!」


 グレン様が涙目で私を見上げる。


「き、君は……本当に変わっているな。呪われた姿のほうが好きだなんて」


「はい! 大好きです!(感触が)」


「……ありがとう。一生、君を大切にする」


 グレン様が私を抱きしめる。人間の体温も、悪くない。

 でも。


「あの、グレン様」


「なんだ?」


「感動的なところ申し訳ないのですが……そろそろ変身していただけませんか? ブラッシングの続きがしたいので。冬毛のケアは大変なんですよ?」


「……」


 グレン様は溜息をつき、苦笑した。


「分かった。……君には敵わないな」


 ポン、と再び銀狼の姿になる旦那様。

 私は歓声を上げて、その胸毛に飛び込んだ。

 柔らかい毛並みが私を受け止める。これぞ極上のクッション。


 噂の「人食い辺境伯」は、今ではすっかり「愛妻家のワンちゃん」になっている。

 呪いが解けるその日まで――いいえ、解けてもなお、私はこの極上のモフモフを愛し続けるだろう。


 王都の社交界など、もうどうでもいい。

 ここには、私の全て(モフモフ)があるのだから。


「さあグレン様、今日はお尻の毛をカットしましょうねー! 桃尻カットに挑戦です!」


『ワフーン!』


 北の果ての古城には、今日も幸せな遠吠えが響き渡るのだった。

お読みいただきありがとうございます。


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― 新着の感想 ―
ちょっ……www ブラッシング中の声がアノ時の声にしか聞こえない件( ´艸`) こんな声を部屋の外で聞いてしまったら「中でどんな破廉恥な事を!?」とソワソワしてしまいます。 設定として、狼化している時…
めっちゃ良い(≧∇≦)b とっても最高(*`ω´)b 可愛くて癒される 素晴らしいお話をありがとうございます (*´ω`人)~♬
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