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愛するということ

「ヒースは誰かを愛したことはあるの?」

「そうですね。実は私も以前は特定の異性に興味を抱くことはありませんでした。けれど、アンナ様に会って何かが変わりました」

 アンナは首を傾げる。ヒースはそんなアンナを可愛く思いながら見上げる。

「始めはなんて変わった姫なのだろうと呆れました。鏡ばかり見て、鏡の自分に話しかける。この姫は自分しか好きではないのだろうと。でも、同時に思ったのです。アンナ姫は可哀想なお人だと」

「可哀想? そんなこと……」

 アンナは意外そうに目を見張った。

「いいえ。今の貴女ならわかるのではありませんか? 世界には驚きが満ちているとわかったアンナ様には」

 アンナはヒースのベッドになっているクッションを胸の前で抱きしめた。ピースに合う前の自分を思い出すとなんだか変な気分だった。手鏡さえあれば幸せだった自分。

「可哀想かはわからないけれど、私はものを識らなくて、私にしか興味もなくて、美しいものや楽しいことがこんなにたくさんあるなんて思っていなかったわ。それがそうなの?」

 ヒースは頷いた。

「アンナ様の世界はアンナ様だけで完成されていたのです。それはとても閉鎖的で寂しいものです。ですが、アンナ様は私が思っていた自己中心的で寂しいだけの姫ではありませんでした。私が話すことを素直に受け取り、感動するアンナ様はとても魅力的だと思いました。本当は心が純粋なかたなんだなと」

「まあ、なんだか照れるわ」

 アンナはクッションを置いて、赤らめた自分の頬を両手で挟んだ。

「アンナ様からすれば不気味かもしれませんが、今私はアンナ様を愛しいと思っています」

「愛しい……?」

 初めて耳にする言葉のようにアンナは聞き返した。

 胸の辺りが落ち着かない。

「ええ。出来ればアンナ様とずっと一緒に過ごしたい。正直、最初は呪いを解くのは無理だろうと思っていました。でも、欲が出てきてしまいました。もっと長生きしてアンナ様のそばで苦楽を共にしたいと」

 アンナはヒースの言葉になんだか切なくなった。

「誰だって長生きしたいと思うわ。それに、私は別に不気味なんて思わないわ。ヒースにそんな風に思ってもらって、とても嬉しいわ」

「では私と結婚してもいいと思えますか?」

「け、結婚?!」

 アンナは思わず大きな声をだし、慌てて自分の口を押さえた。

「ヒースと結婚……」

 アンナは立ち上がると、再び部屋をぐるぐると歩き回った。

「すみません。先走りすぎましたね。アンナ様。私のことをどうかじっくり考えてみてください。アンナ様にとって私はどんな存在なのか」

 ヒースの懇願にアンナは頷く。

「分かったわ。ちゃんと考えてみるわ」




 アンナはベッドの中でもやもやする気持ちと戦っていた。ヒースは寝ているようだ。

(そうよね。愛していれば結婚という形になってもおかしくはないのよね)

 ヒースが玉座にちょこんと座っているのを想像して、笑いそうになるのを堪える。笑っている場合ではないのだ。ヒースの命がかかっているのだから。

(でも変ね。この不細工な犬をどうしてここまで救いたいと思うのかしら)

 ヒースには色々なことを教わった。ヒースが来てからアンナの世界は変化し、広がった。毎日自分ばかりを見てこの年まで過ごして来た。それはそれで幸せだったけれど、ドキドキやワクワクはなかった。ヒースが来てからなんだか色んな感情が芽生えている。

(今だって、ヒースはぐーすか寝ているのに、私はこんなに気持ちが塞いで……)

 アンナは布団を頭まで被った。

(夜は寝ないと美容に良くないわ。明日考えましょう)

 そうは思ったアンナだが、この日はなかなか寝付けなかった。



***



 朝の気配にアンナは自然と目が覚めた。メイドたちが起こしにやってくる。そこでアンナはヒースがいないことに気付いた。

「えっと、あなた、リリーだったかしら? ヒースを見かけなかった?」

 リリーと呼ばれたメイドは初めて名前を呼ばれたことに驚いて瞬きする。そして後ろを振り返り、

「あら、本当ですね。ヒース殿はどこに行かれたのでしょう」

 と首を捻った。

 アンナは急に不安になった。

 ヒースがそばにいないなんて初めてだ。

「アンナ様! お着替えを!」

 リリーの声を聞かずに、アンナは寝間着のまま部屋中を歩き回る。

「ヒース!」

 大声でヒースの名を連呼し、棚を開け、小物をどかせて、アンナは隅々まで自分の目で探し回った。けれどもヒースはいなかった。アンナの心に不安が押し寄せてくる。

「ヒース!」

 泣きそうになりながら部屋を飛び出し、城内を廻った。

「あ! バルザック! ヒースを見なかった?」

 バルザックはアンナの格好にギョッとして、自分のマントを外しアンナの肩にかけた。

「お風邪を引かれては大変です。ヒース殿なら庭園の前に座っていましたので、私が連れて参ります」

 バルザックはアンナから目を逸らしてそう言う。

「ありがとう! バルザック!」

 アンナはバルザックに声をかけると再び走り出した。

「アンナ様!」

 バルザックはアンナの肩から滑り落ちた自分のマントを手にアンナを追った。


 果たしてヒースは庭園の入り口の前に座っていた。

 その後ろ姿からは哀愁が漂っていた。

 アンナは切なくなってヒースに駆け寄った。


「ヒース! どうしたの? 急にいなくなったから心配したのよ」

 ヒースは悲しげに空を見上げていた。

「ヒース?」

 アンナはヒースの背中を撫でながら声をかける。

「アンナ様……。私はアンナ様に呪いの話をしてしまいました。でも話さぬ方が良かったのではないかと後悔しているのです。アンナ様の負担になってしまったのではないかと」

 アンナはヒースの前にしゃがみ込んだ。

 後ろから追ってきたバルザックは少し離れていたところから二人を見守っていたが、そんなアンナに驚いた。

「ヒース?」

 アンナの呼びかけに、ヒースは目を合わそうとしない。アンナはヒースの顔を柔らかな白い手で挟み込んだ。

「ヒース。私は聞いて良かったわ。もし、私が何も知らないままで、ヒースが冬に死んでしまったら、きっと後悔するわ。とても寂しくて耐えられないわ。だからいいのよ。ヒース」

 ヒースは小さな目からほろりと涙を零した。

「アンナ様……」

「だから私の前から消えないでね、ヒース。今日は本当に心配してしまったわ」

「申し訳ございません。ありがとうございます」

 ヒースは再び涙を落とした。そんなヒースの首にアンナは腕を回して抱きついた。

 バルザックは声をかけられずにそれを見ていた。



***




「ねえ、ヒース。私、愛について知りたいわ。あなたの呪いを解くためにも」

 アンナは部屋に戻って着替えを終えると、ヒースと目線を合わせて言った。アンナの顔は真剣そのものだ。

「愛について、ですか。そうですね。愛するとは息をするようなもので、それでいて難しい。まず言っておきますが、私を救うために私を愛そうというのなら、それは本当の愛と言えるか怪しいです。愛とは強制されるものではないからです。愛とは自発的に生まれるものなのです」

 アンナは口をへの字に曲げた。

「別に強制なんかされてないわ」

「まあ、そうだといいのですが」

 ヒースは困ったようにアンナを見つめた。そんなヒースをアンナは抱き起こして、ベッドに座る。ヒースはそんなアンナに少し驚きながらも、口を開いた。

「愛、について、でしたよね。アンナ様はご自分に対してはどう思われますか?」

「私は美しい! 可愛い! いつ見ても飽きない! そして……」

 アンナが次々に口にしだしたのでヒースは前脚を振って止めた。

「ストップ。うーん、そういうことではなくてですね……。では質問を変えましょう。アンナ様はご自身が健康であるとどうですか?」

 アンナはヒースの言葉の意味がわからず首を傾げる。

「もちろん嬉しいわ。逆に病気だと悲しいわ。当然よね?」

「嬉しい出来事があると?」

「嬉しいに決まってるわ?」

「そうですね。それと同じことを他人にも思えるかどうか」

 ヒースの言葉にアンナは得意げな顔をした。

「それなら簡単だわ。私はヒースが病気だと悲しいし、ヒースが嬉しそうだったら嬉しいわ」

 ヒースは、自分が思っていた以上にアンナが自分を気にかけていることに驚き、嬉しく思った。

「それは嬉しいことですね。ありがとうございます。でも、アンナ様。王様と王妃様であってもそう思うでしょう?」

「それはそうね」

 ヒースはこれ以上どう説明すべきか困ってしまった。しばらく考え、口を開く。

「アンナ様は何かに対して、特別だと思ったり、大事だと思ったり、独り占めしたいと思ったりすることはないですか? これだけは他の人に渡したくない、と」

「私の美貌は誰にも渡したくないわ」

 ヒースは頭を抱えた。また振り出しに戻ってしまった。

「ではバルザックに対してそう思うことは?」

 ヒースは探るようにアンナを見て言った。

「バルザック? ないわ。彼には感謝はしてるけど、そこまでは思えないわ」

「では……私に対してはどうですか?」

 アンナは左腕でヒースを抱き抱えたまま、右手を顎に当てて考え込む。

「そうね。ヒースは特別だわ! だってヒースは私の世界を変えてくれたんだもの! それに、他の人にヒースが懐くのはなんだか面白くないわ」

 ヒースはアンナの言葉に照れたように目を伏せ、顔を前脚で拭った。

「一緒にいると嬉しかったり、ドキドキしたり、温かな気持ちになったりはどうですか?」

「ヒースといて? そうねえ、ドキドキはわからないけれど、楽しいし、優しい気持ちになれるわ」

 ヒースは嬉しそうに一度頷いて、質問を続けた。

「では、一人だけ無人島に連れて行けるとしたら誰を連れて行きたいですか?」

「無人島?  変な例えね?  じゃあ連れて行く人とずっと二人ということね?」

 アンナはうーんと唸って答えがだせなかった。

「ヒース。これは宿題にしてもいい?」

 可愛らしく頼まれ、ヒースは、

「構いませんよ。よく考えてください」

 と快諾した。そして、付け加える。

「もう一つ宿題を出しましょう。アンナ様が一番死なれたら困るのはどなたですか? これも考えておいてください」

「分かったわ」

「疲れたんじゃないですか?  難しい質問ばかりしましたから」

「そうね。でも、少し分かったわ。私は自分で思っていた以上にヒースが好きなんだって」

 アンナはにっこりヒースに微笑みかけた。

「そ、そうですか……」

 ヒースは一瞬ポカンとアンナを見つめて、また恥ずかしそうに顔を前脚で拭った。



***



 夜が訪れ、アンナはベッドに入って考える。世の中にふたりぼっちになることを。そのとき誰とがいいかを。

(世界に私はひとりぼっちでも鏡さえあれば平気よね?)

 アンナはこの部屋で誰にも会わずにひとりでずっと過ごすことを想像した。食事をするときもひとり。誰も部屋に訪れない。誰とも話さない。一日中ひとり。ヒースと会う前はそんな暮らしに近かった。なのに。

(あ、あら……?)

 アンナの目から涙が一筋落ちた。

(何かしら。胸の奥がなんだか苦しいわ)

 アンナは無意識にヒースを探した。ヒースはいつものクッションの上で寝ていた。アンナはなんだかホッとしてもう一度ベッドに入る。

(私、今はひとりぼっちでは寂しいわ。じゃあ、ヒースがいたらどうかしら?)

 ヒースは毎日色んな話をしてくれる。そして、ヒースは物事に動じないので頼もしい。不細工な顔を見ると今では心が和むし、抱きつくと温かい。ひとりと一匹で見知らぬ土地を探検して回るのは楽しそうだ。

 アンナは想像して少し楽しくなってきた。

(じゃあバルザックとだったらどうかしら)

 バルザックは容姿は端麗だから、見る分には不足はない。ただ、口下手なバルザックといると会話が弾まない気がした。

(バルザックのことは普通に好きよ。なのに、変ね)

 真面目で腕が立つから安心感は得られるだろうけれど、バルザックとふたりでいても楽しそうとは思えなかった。

(お父様とお母様は?)

 両親のふたりとは実のところあまり会話をしたことがない。バルザックとよりも何を話していいか分からなかった。 

(私を産んでくれたことには感謝しているわ。でも、私の機嫌を伺ってばかりのふたりとずっといるのは苦痛かもしれない)

「やっぱりヒースとがいいわ」

 呟いたアンナにヒースがピクリと反応して、キョロキョロと辺りを見回す。だが眠気には勝てないようで、また規則正しい寝息が聞こえてきた。そんなヒースにアンナは笑いをかみ殺す。

(不思議ね。ヒースは私の中でこんなにも大きな存在になっているんだわ)

 幸せそうに寝ているヒースを見ていると、あふ、とアンナの口から欠伸がもれた。色々考えて疲れたアンナはヒースとふたりで旅する想像をしながら眠りについた。




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