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バナ友

 あれは昨年の雉島課長代理がまだ係長だった頃の話。


 更衣室の中。


『来年は、課長ですね』

 

『そうか? まだまだ会社側にはなれんだろう』

 

『いやいや、もう間違いなしでしょう』

 

『そうですよ! よっ、課長』

 

『そ、そうか?』


 直属の部下ではない他部署の人間のお世辞に乗せられて、課長代理はすっかりその気になっていた。


『ふふっ、来年は課長か……私も頑張らないとな。景気づけとご褒美に良い椅子でも買うか……イタリア製のいいヤツを――』


 このロッカーの向こう側で、ゴリラはその独り言を聞いてしまっていた。


 それは偶然だった。


 たまたま寝坊したことで雉島課長代理と同じ時間に出勤したことで、聞いてしまった話。


『ウホ……』


 ――だから、今自分が使うことを躊躇っていたのだ。


 しかも、あの時耳にした話によると、イタリアから空輸で運ばれてきた何十万もする本皮の椅子というのも気乗りしない大きな要因にもなっていた。


 とはいえ、ゴリラのバナナ型の椅子だって知り合いのデザイナーに頼んで作ってもらった特注品だ。


 価格だってそれなりするし、数万ではきかない。


 しかし、元来温厚な性格の彼からすると、自分が雉島課長代理と同じことをすることに抵抗があった。


 これがゴリラの思いやりであり、倫理観だ。


「ウホ!」

 

「いやいや、大丈夫ですって!」

 

「ウホウホ……」

 

「自分がされて嫌なことはしたくない?」

 

「ウホ」

 

「それに立ってでも仕事は出来るから大丈夫?」

 

「ウホウホ」


 このままでは座る椅子がないというのに、なかなか首を縦に振ろうとしなかった。


 そんな状態に犬太は、自分の考えを真っ直ぐにぶつけた。


「だから、もういい? そんなのダメっすよ! ゴリラ主任はなんも悪くないんっすから! それになんていったって、フリーアドレスオフィスなんです。気にすることはないですって」

 

「ウホウホ?」

 

「大丈夫です! もし嫌なこと言われたら僕が言い返しますから!」

 

「ウホ……」

 

「こういう時くらい頼って下さいよ! それに“目には目を”なら、“椅子には椅子”っすよ!」

 

「ウホ!」

 

「はい! じゃあ椅子を移動させましょう」

 

「ウホウホ!」


 その言葉が届いたゴリラは、見つけた立派な椅子を自分の椅子とし始業時間を迎えることとなった。




 ☆☆☆




 時刻【8:30】


 カフェグストの前にあるお気に入りの場所で、ゴリラは、上司である雉島課長代理と対峙していた。


 雉島課長代理のフルネームは、雉島千鳥(きじしまちどり)。身長165cmで年齢は55歳。


 皆と同じように、この会社の紺色と白色のカラーリングの作業服を着ている、小柄で少し頬がコケているがどこにでもいる普通の男性だ。


 ただ、いつも頭に老眼鏡を乗せている。


「ゴリラ君、これは一体どういうことなんだね?」


 物凄い剣幕で、自分が買った椅子を指差し問いただしている。


 その有無を言わせぬ勢いにゴリラは、またもや困っていた。それにその態度が気にくわない犬太を含む出社してきた部下たちまで、余計な一言を口にしてしまいそうな雰囲気をしている。


 すると、ゴリラの前に座っていた犬太が席を立ち、声をあげた。


「いや、これはアンタが――」



 その時。



 同時にゴリラも素早く席を立ち、その大きな黒い手で犬太を制止した。


「ウホ」

 

「で、でもっ!」

 

「ウホウホ……」


 自分の為に行動しようとしてくれた部下へ優しい笑顔を向け、今度は見るからに怒っている課長代理に応じた。


「ウホウホ」

 

「違う、椅子に座っていることをとやかく言っているわけじゃない」

 

「ウホウホ?」

 

「それも違う! バナナをここで食べたことなんてどうでもいい!」

 

「ウホ……」

 

「違う、別に君を責めているわけじゃない。その……私の椅子は一体どこにあったんだね?」

 

「ウホウホ!」

 

「は? 物置き部屋にあった? 私はあれを探していたのだよ……私はてっきりゴリラ君、キミが嫌がらせでもしたのかと……」

 

「ウホ!」

 

「俺はそんなことはしない? では……誰がこんなことを……」


 ゴリラとの会話の中で、雉島課長代理は自分が勘違いしていたことに気付き始め、真犯人を探そうとしていた。


 すると、同じテーブルに着いていた女性社員が恐る恐る手を挙げた。


「あの……土曜日に来られた業者の方では?」


 その女性の名前は、猪狩誠いのかりまこと28歳。


 男性のような名前をしているが、ベリーショートが似合う小柄の女性で、犬太の2年先輩でもある。


 そんな彼女の一言を受け一瞬にして、静まり返るオフィス。


 見つめ合うゴリラと課長代理。


 そして、2人は1つの答えを導き出していた。


「ウホ?」

 

「そ、そうだね。私は日曜日に会社へ来た」

 

「ウホウホ!」

 

「ああ、業者は土曜日にこのオフィスを整理しに来た」

 

「ウホウホ!」

 

「うむ……君の言う通りだな。私の勘違いだったようだ……すまない」

 

「ウホウホ」

 

「いや、よくはない。結局、部下に気に入られていく君を見て嫉妬していたのだろう……情けない話だ」


 表情を暗くし肩を落とす、雉島課長代理を前にしてピリピリとしていた部下たちも同情の目を向けている。

 だが、1人だけ……いや! 1頭だけ、違う視線を送っていた。


 その主は、霊長類最強のゴリラ。


 彼は落ち込んでいる友達を気遣うあたたかで、母親が悩みを抱えている子供を見守るような視線を向けていた。


 そして、ゆっくりと立ち上がるとテーブル下に置いていたリュックから何かを取り出した。


 その手には、自分用に持ってきた最後のフィリピン産のモンキーバナナ一房が握られている。


 それを頭を垂れて落ち込む課長代理へと差し出した。

 

「ウホ」

 

「私にくれるのか……」

 

「ウホウホ」

 

「だが、私は君のことを疎ましく思っていたんだぞ?」

 

「ウホ、ウホウホ」

 

「いや、さすがに勘違いでした。だけではすまされんだろう……部下のことを疑ったのだからな」

 

「ウホウホ」

 

「な、なに? 誰だってそんなことはあるから、気にしません。そんなことより、バナナを一緒に食べませんか? だと?」

 

「ウホ!」

 

「いや、しかし」

 

「ウホウホ」

 

「笑顔になれるからと、言われてでもだな……」


 ゴリラは自分が疑われたことより、嫌がらせを受けて悲しい気持ちになったことよりも、目の前で落ち込む上司のことで頭がいっぱいになっていた。


 だから、目の前で落ち込んでいるこの人を元気づけてあげたいと思い、自分が一番大好きなバナナを遠慮する課長代理へ強引に手渡したのだ。


「ウホウホ!」

 

「これで俺と雉島さんはバナ友だから、もう何も気にしないって? 全く君は……」


 彼の言葉とバナナを受け取ったことで、悲愴感が漂っていた雉島課長代理にぎこちない笑みがこぼれていた。


 そんな様子を見ていた犬太を含む部下たちは、心を打たれてしまい涙していた。


 だが、ゴリラ本人はなぜ泣いているのかわからず、慌てふためいている。


「ウホ?! ウホウホ!? ウホ?!」


 どうにか泣きやます為に、部下たちの頭を撫でたり、励ましたりしているが全く効果がない。


 その上、手元にはバナナがないので余計に焦ってしまう。


「ウホ……」


 困り果てていたゴリラに声を掛けてきた人物がいた。

 

「ゴリラ君……」


 それは先ほどやり取りをしていた雉島課長代理だった。

 課長代理は手渡されたバナナ一房を彼へ差し出した。

 

「これを」

 

「ウホ?」


 ゴリラは首を傾げていた。

 せっかくバナナをあげたというのに、それを返してきたからだ。


「みんなで食べれば、全員バナ友だろう? それに笑顔にもなれるんだ。一石二鳥だろう?」


 だが、雉島課長代理の言葉を聞いて意味を理解した。この人も自分と同じ気持ちになったことを。


 ゴリラはそれが嬉しいのか、白い歯を見せて子供のような笑顔を見せている。


「ウホウホ!」

 

「ふふっ、そうだ。君の受け売りだな」

 

「ウホ!」

 

「ああ、私と君は真のバナ友だ」

 

「ウホウホ」


 今までのやり取りが嘘のように、仲良く会話している2人を見ていた部下たちも笑みを浮かべていた。




 ☆☆☆




 そして、この後。



 このオフィスには甘い甘いバナナの香りと朗らかな人間たちの笑い声。


 ウホウホという楽しそうなゴリラの声が響いていましたとさ。



 ウホウホ

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