バナナと仕事
15分後、時刻7時40分。
駅近くにある日本国内有数の大手電機メーカー桃上本社。
敷地面積は48万㎡。東京ドーム約10個分。
そこには部署や部門ごとに分かれた4階のビルがあり、1号棟から10号棟まで存在していた。他にも食堂やカフェ、グランドに簡易的なジムまで完備されており、なんと従業員数は約10000人だ。そして、就業時間は8時30分から17時15分。
月平均残業時間25時間で、フレックスタイム制が導入されており、入出門ゲートでは、24時間体制で守衛が駐在し、静脈認証と社員証がなければどんな身分であろうと入ることはできない厳重なセキュリティが完備されている。
それだけではない、広大な敷地内では、自動運転のシャトルバスが行き来しているのだ。
至れり尽くせりといった完璧な職場である。
そして、何を隠そう、ここがゴリラの職場である。
でも、ただ働いているだけじゃない。彼はなんと――ゴリラながらも、人間数人を部下に持つ主任なのだ。
いわゆる、出来るサラリーマン……いや、サラリーゴリラといったところだろう。
そんなシゴデキゴリラは腕を振り歩いて、入出門ゲートを通って守衛に挨拶を交わす。
「ウホ!」
「おはようございます! ゴリラさん」
柔らかい笑顔を向け挨拶を返すその人は、定年を迎えてシルバー人材から派遣された、四角い眼鏡が似合う人――竹林勉65歳だ。
服装は青色の守衛服、左胸辺りに桃の形をした金色のバッチを付けている。ゴリラはここでもバナナ友達――通称バナ友を作っていた。
彼は入門ゲートを覗き込むと背負っていたリュックから、フルーツを保護するネットキャップを被せたバナナを一房取り勉へと差し出した。
「ウホ!」
このバナナは、忙しい人でも食べやすい小ぶりなサイズのフィリピン産のモンキーバナナ。酸味が少なく、比較的食べやすい品種で、彼はいつも、ひと房は自分に。もうひと房は、笑顔にしたい誰かのために持ち歩いているのだ。
「これはまた、いいバナナですねー!」
勉の目が輝く。
その様子を見て、ゴリラも思わず笑顔を浮かべたかと思えば、強引に手渡した。
「ウホ」
ただ、バナ友が喜ぶ姿を見たいゴリラの癖みたいなものである。
「い、いいんですか?! 頂いても?」
「ウホウホ」
「自宅にまだたくさんあるから、大丈夫? ですが、毎回こういった物を頂くわけには……」
「ウホ!」
「俺があげたいからあげる?」
「ウホウホ」
「バナ友だから? いやー、本当にいつもありがとうございます。3時のおやつにでもします」
「ウホ」
「はい、お気をつけて!」
「ウホー!」
ゴリラは子供のような笑みを浮かべて、入出門ゲートから更衣室へと向かった。
時刻7時45分。
無数のロッカーが並ぶ、社員証がないと入れない更衣室の中。ここで昨年度、行われた会社の経営方針の話が話題にあがっていた。
「あー、そう言えば今日からだっけ? 席が自由になるやつ」
「そうだな、今日からだったと思う」
「まじかー、まっ好きな場所で仕事できるからいっか」
「だな、どうせなら綺麗な人の近くがいいよなー」
「ははっ、確かにな」
ゴリラの後ろで、他部署の若手社員二人組が話をしている。この二人がいうように、今年度から会社のオフィスがフリーアドレスオフィスとなっていた。
だが、仕事熱心な彼にとっては些細なことでしかなかった。
場所が変わろうが仕事が変わろうともやることは同じ。目の前のことに集中すること。ゴリラはそういうスタンスで、今まで勤め上げてきたのだから。
「ウホ」
紺色と白色のカラーリングの作業服へと、着替え終わった彼はロッカーに備え付けられた小さな鏡で、身だしなみをチェックする。持ってきた櫛でヘアスタイルの乱れと作業服にシワがないかなどをだ。
そして、何くわぬ顔で更衣室をあとにした。
時刻7時50分。
1号棟2階にある工程管理課のオフィスへと、いつも通り誰よりも早く到着したゴリラは、入口近辺に設置されたカフェグストの前で立ち尽くしていた。
「ウホ……」
ゴリラの日課は、ホットのカフェラテに自前のバナナシロップを入れてひと息つきながら、メールのチェックをすること。そして、1日のスケジュールを決めていき、就業前には、万全を期して仕事にのぞむ。しかし、その完璧なるゴリラ的スケジューリングが壊されてしまった。
これが人間であれば、何もこだわることなく席を移動したりできるので、問題はなかった。
だが、彼はゴリラ。
席が自由になってしまったが故に、その筋肉隆々な巨体にフィットしていたお気入りのバナナの形をした椅子が、どこかへ移動してしまい困り果てていたのだ。
これはゴリラにとって大きな誤算だった。フリーアドレスオフィスになったところで、人間の皆が自分の三人は腰を掛けることのできる馬鹿でかい椅子を使うわけがない。
そういう甘い考えが頭の片隅にあったのかも知れない。
だから、更衣室での会話を聞いた時、他人ごとのように感じたのだろう。
仕事をするのに場所なんて関係ないと。
しかし、現実は違った。
ゴリラである彼にも、平等にフリーアドレスオフィスは適応されていた。
「ウホ……」
頭を垂れて落ち込むゴリラ。
「ゴリラ主任、どうしたんっすか?」
飄々とした口調で、そんな彼に話し掛けるのは同じく紺色と白のカラーリングの作業服、耳に掛かるほどの髪の長さに、ゆるふわパーマを当てた糸目の青年。
今年、入社5年目となる犬嶋犬太、27歳だ。
背丈はゴリラほどではないが、175センチメートルは優に超えており、それなりに筋肉もついている。
犬太にとって、ゴリラは一人の社会人として尊敬すべき上司で、筋トレに励む生物としては憧れの存在である。実はゴリラとメンター制度でメンターとメンティとなった関係でもある。
「ウホウホ!」
「まじっすか……あのバナナのやつっすよね?」
「ウホウホ……」
「ですね、ちょっと探してみますか」
そんなゴリラが困っていることを放ってはおけず、犬太は彼と協力してまだ誰も来ていないオフィス内を捜索することにした。




