(18)死神
ーーそして、帳の自宅リビングルームにて。
カーテンの隙間から差し込む陽の光で、死神は目を覚ました。
猫に変身したお陰で、昨夜はフワフワの毛布に包まれリビングのソファーで最高な眠りについた。その肌触りのよさに、今もゴロゴロと毛布の上で体を転がしている。
ただ、猫でいるのも良い事ばかりではなく、猫を前にすると冷静でいられなくなる帳に捕まり散々モフられる羽目になる。昨夜も寝落ち寸前の意識の片隅に、しつこくモフられ続けた記憶があった。
夜型だと宣言していた帳は、昨夜何時まで起きていたのだろう。今はまだ寝室で眠っているようだ。
死神は猫の体でしなやかに伸びをしてから、その変身を解いた。
床に散らかった書籍や衣服を踏まないように歩き、リビングのカーテンを開ける。外は快晴の青空が広がっており、バルコニーへの扉を開けると気持ちの良い風が入ってくる。
「よし」
死神はリビングを見渡し、どこから掃除を始めようかと考える。このままでは物が多過ぎて掃除ができない。
だからと言って勝手に捨てる訳にもいかず、死神は考え込んでいた。
しばらく散らかった物を眺めていると、それらは大きく分けて、書籍・衣類・その他雑貨の三つにグループ分けできる事に気付いた。
死神は、同じグループの物を一つの場所に移動させる事から始めていく。
まずは本棚に入りきらない書籍を壁際へ積む。珈琲に関するものや、死神にはよく分からない「株式投資」や「デイトレーダー」などと書かれた書籍が沢山あった。
「次は……」
散らかった衣服をソファーの上に集めて畳み、帳から昨夜教えてもらった洗濯機の使い方のメモを開く。
脱衣スペースまで移動すると、洗面台の横に洗濯機があり、その横がバスルームになっていた。洗濯機の近くにあるカゴの中には、タオルを含めた衣服が山盛りになっている。
メモを見ながら洗濯機を操作する。
「洗剤……これと、柔軟剤……これを入れる」
洗い・すすぎ・脱水・乾燥。
猫に変身する事しかできない死神に比べ、この機械は何役にも姿を変える。洗濯機の有能さに驚きと敬意を覚えた。
「よ、宜しくお願いいたします!」
有能な洗濯機様に土下座してから、死神はリビングまで戻ってきた。散らかった書籍を積み重ね、衣類を畳むだけでも、部屋の中が随分と整って見える。
部屋が整うにつれて、気持ちまで整っていくような気がして、やはり自分は綺麗にする事が好きなのだと死神は改めて実感した。
「さて、次は!」
その他雑貨をいったん書籍の横に集める作業に取り掛かる。リビングのあちらこちらに、電化製品の空箱がたくさん転がっていた。
「これは……スチーム・アイロン? 説明は……ここに書いてるのか。服をハンガーに掛けたまま手軽に皺を伸ばせ、高温スチームにより服に着いた臭いも消せる」
空箱の説明を読むだけで、この電化製品も洗濯機同様に有能である事が分かった。落ちこぼれの死神と違い、電化製品たちのスペックの高さに嫉妬を覚える。
「これを使って衣服の皺を伸ばせるのか」
珈琲店での帳の皺の無い美しいシャツやエプロンを思い浮かべて納得した。それにしても、この本体はどこにいったのだろう。
まだまだ色んな物が沢山リビングに溢れており、その度にこれはどんな物なのだろうと興味を惹かれ片付けの手がとまってしまう。
「ダメだ。まずは無心で物を集めよう!」
集中して、死神は書籍・衣類・その他雑貨を、それぞれ一つの場所に集める作業を完了させた。
そのタイミングを見計らったかのように、洗濯機が完了の合図を告げる。
洗濯乾燥後の爽やかな香りがする衣類を、ソファーの前のローテーブルの上に畳んで並べていく。
そして、片付けの最中に見つけたスチームアイロンの本体で、アイロンをかけてみる事にした。
箱の中の説明書通りに水を入れ、しばらく待ちボタンを押すと、一気に熱い蒸気が噴射される。白いシャツの皺が綺麗に伸び、死神はウキウキしながらエプロンやジャケット、ハンカチ、色んなものにアイロンをかけた。
ピンと張った美しさを見ていると、心まで爽やかになるような気がする。
ふとリビングの壁掛け時計を見ると、針が正午を指していた。
「もう、こんな時間だ」
帳はまだ眠っているのだろうかと気になり、死神はアイロンの電源をオフにして帳の寝室の扉をノックしてみた。
「帳さん……おはようござ……もう早くないか。こんにちは、お昼になりましたよ」
しばらくして部屋の扉が開き、ぼんやりと眠そうに欠伸をした帳が出てくる。
珈琲店にいる時のスタイリッシュな姿からは想像もできないほど、髪はボサボサで薄っすらと髭も生えていた。
「おは……う……ご……僕は……シャ…………」
まだ夢うつつなのか、声も小さく、後半は特に何を言っているのか分からない。
フラフラと足を進めバスルームへ向かって行ったので、恐らくシャワーを浴びてくると言っていたのだろう。
この人、午前中は使い物にならない人だ。
死神はそう思った。
暗くなり夕闇が降りる事を『夜の帳が降りる』と表現する事があるけれど、夕暮れ以降から本格的にエンジンの掛かる彼には、この苗字がぴったりだなと死神はクスリッと笑った。
扉が開いたままの寝室をそっと覗くと、リビング同様にかなり散らかっている。
思わず掃除をしたい衝動にかられたけれど、許可なく寝室に入るのは失礼だと思い死神は扉を閉めてリビングに戻った。
しばらくして、寝起きよりも随分整った帳が濡れた髪を拭きながらこちらへ歩いて来る。それでもまだ眠いのか、大きな欠伸をしていた。
「帳さん、まだ眠いのですか」
「今日は死神さんがいるので、頑張って早起きしたので」
「え? 普段は何時まで?」
「だいたい午前六時頃に寝て、午後二時頃に起きます」
確かに、普段より二時間も早起きだ。
ミネラルウォーターを飲んで一息ついた帳は、リビングに目を向け驚きの声を上げた。
「え? いつの間に?」
「今朝、頑張りました」
「すごいですね。大変だったでしょう」
「大変でしたが、とても楽しかったです」
「は? たの? 楽しい?」
帳は死神の言葉が理解できないと言いたげな目で、こちらを見ている。
「はい、楽しかったですよ。後で、本当に必要な物と不必要な物をチェックして下さいね」
死神がそう言葉を付け足すと、帳が分かりやすく面倒臭そうな顔になり、死神から視線を逸らした。
「あ……。えーっと、とりあえず、全部いるので置いておいて下さい」
「誤魔化しましたね! 絶対、何年も使っていない物があるはずです。チェックして下さい」
逸らされた視線を合わせるように、死神は帳の正面に移動する。
「いや、そもそも僕がお願いしたのは掃除なので……」
「これは掃除の前段階です! 物を減らして下さい!」
「や、でも……。確かに散らかってましたけど、どこに何があるかは把握していたんですよ」
「片付けられない人は恐らくみんなそう言います!」
「あーー。えっとぉ……。と、とりあえず! 今は朝昼兼用のブランチにしませんか? ふわふわのフレンチトーストを作りますよ!」
「フ、フレンチトースト?」
「ええ。食べたくないですか?」
食べたい。
どんな感じのトーストなのか死神は知らなかったけれど、帳が作るものなら美味しいに決まっている。
「それから、薄切りにしたトマトとモッツァレラチーズに特製ドレッシングをかけたサラダ。カリカリのベーコンと目玉焼き、そしてコクのある深煎りの豆を使ったアイスコーヒーにしましょう。もちろん無料です!」
死神の頭の中が美味しいもので埋め尽くされていく。しかも無料だ。
「後で絶対に荷物のチェックをして下さいね。で、ですがとりあえず! 今はブランチにしましょう!」
美味しいモノの誘惑には勝てなかった。
「ブランチを食べながら、また死神さんのお話を伺いましょうか。続きがありますよね?」
問われて死神は笑顔で頷く。
「劇団員の雨宮さん。彼の歌を聞いたのですが、とても素晴らしかったんです。本当は、夜の公園で茂みから急に飛び出して驚かせる悪戯をしようと思い身を潜めていたのですが。あまりに素敵な歌声だったので、聞き惚れてしまいました〜」
「それは僕も聞いてみたいですね」
キッチンに立ち手際良く動きながら帳が返事をする。調理を始めた途端に、スイッチが切り替わったように帳の雰囲気が凛としたものに変わったような気がした。
「彼のミュージカルの日に、私が関わったうち五人の人々が顔を合わせる事になるんです」
死神のお喋りに合わせ、サラダがカウンターに置かれ、続いて目玉焼きとベーコンが並ぶ。そして、初めてのフレンチトーストが死神の前にやっきた。
「うわぁ〜!」
しっとりと柔らかそうなクリーム色の生地に、こんがりと焼けた表面。その全体に、雪のような白いパウダーが散りばめられている。
「卵とミルクを混ぜたものに浸してから焼いているので、こんな風にフワフワになるんです。そこに粉砂糖をまぶし、それから……最後にこれを乗せて、完成です」
帳がその真ん中に、バニラアイスをトッピングした。
その瞬間、熱々のフレンチトーストの上で、冷たいアイスがじゅわっと溶けだす。
「うわぁ、うわぁー。うわ〜!」
ついに、死神の語彙力がゼロになってしまった。
フレンチトーストとは、なんて魔性な食べ物なのだろう。見た目だけで、こんなにも心を幸せにする。きっと、食べればもっと幸せになる。
死神がフレンチトーストに夢中になっていると、帳が最後にグラスを差し出した。
「特製アイスコーヒーです」
見ると、透明な氷ではなく、コーヒーと同じ闇色の氷が浮かんでいる。
「コーヒーを凍らせた氷なので、溶けても味が薄くならないですよ。一口目から最後まで、じっくり同じ美味しさを味わって下さいね」
死神はグラスを受け取り、帳の気遣いが詰まった闇色の氷を見つめる。
「さあ。食べながらお話の続きを伺いましょう」
「はい!」
死神が笑顔で頷くと、グラスの中で氷がぶつかり、まるで死神の心に呼応するように、カランッと、とびきり軽快な音を響かせたのだった。




