9月1日
——と微かな音も鳴らさずに、デジタル時計は0:00を無感情に表示する。僕はただ常夜灯から零れる橙色の光を眺めているだけで、逃げるための勇気を踏み出せずにいた。僕がこうしているうちに、どれほどの時間が過ぎ去っていっただろうか。締め切ったカーテンからは昼夜の生み出す呼吸すら感じることができないが、世間というある種残酷な事実が常に僕を急かし続けていた。駅のプラットホームに止まった電車が再び走りだすように、僕たちの生活も過密ダイヤに従わざるを得なくなる。こんな僕にでもまだ、ルールを破ることに罪悪感は抱くようで、不必要な不安感が心臓を闊歩していた。
カレンダーの破れる音がする。そして、心臓の張り裂ける音がする。この嫌悪感は何に対して湧いているのか? どうせ自分を憎んでいる、ようで社会を憎んでいる、ようで自分を憎んでいる。込み上げる静かな吐き気。誰にも聴かせられない叫び声。何が悪いとか、何が正しいとか考えるのも、もう馬鹿馬鹿しい。諦めというか、生命に対する無条件降伏だ。
ドアノブに新たな扉を結んで、その扉をコンコンとノックする。こんな強度で十分か? さらに強くなる呼吸。込み上げるのは自分の弱さ。「こんなだからダメなんだ。」って、もうとっくに気づいてるよ。最後の頑張りだからと言って、自分を奮起させる理由にはなり得ない。もういっそのこと、最初から無かったことにしてくれと、五回ぐらいその操作を繰り返す。また感じる扉の向こうの世界。首の痛みは許容範囲内だ。
今日は9月1日。この日には昔、大きな震災があったという。その震災で、何棟の建物が壊れたか、何人の夢が壊れたか、何人の明日が壊れたか、何人の普通が壊れたか。「その当時、同い年の子も被災したんだろうな。」とか考える。名前も顔も知らない誰かの泣き叫ぶ声が、生きたいと思う気持ちが、頭をつんざくようによぎる。
かといって、僕の現状は変わらない。でも僕の弱さの理由として使わせてもらう。都合よくとか言って強がるけど。扉の向こうで待つ名前も知らない彼らに合わせる顔が無いし、向こうでも苦労はしたくないから。