事実と空想6
外は涼しい風が吹き、秋の気配も感じはじめていた。もうショータもとっくに頭を冷やした頃だというのに、ノゾミは意地を通した。
アズミとは三ヶ月くらい音信不通が続いている。こちらから取ろうと思えば、取れないこともないが、ノゾミのことがあって、何度も取ろうとしても、やめた。こんなことはアズミが東京に行くと言い出した時以来だ。
ノゾミは自分のせいでそんなことになっているとは知らずにオレの顔を見るなり、大学に連れていってと頼んだ。こんなことになるなら、連れていくのではなかったと後悔した。
仕方なくノゾミを連れて、大学に行った。後期の授業が開始され、人の出入りが多くなっても、ノゾミは困惑した様子もなかった。キャンパス内でばったりサエに会った。
「その子が不登校の子?」
いつもなら、無視をするのに、今日はノゾミがいたので、サエの方から話しかけてきた。オレがそうと答えるのと同時にサエは口を開いた。
「家出してるんだって。お兄ちゃん、落ち込んでたよ。犬が死んじゃたとかで」
「プリンスが?」
ノゾミの顔色が変わった。
プリンスというのはノゾミが可愛がっていたペットの名前だ。ノゾミが小学校の時に誕生日プレゼントとして両親が買ってくれた小型の室内犬だった。ノゾミは弟のように面倒を見ていたが、それを置いて、出てきた。
ノゾミが家出してから脱走したという連絡が何度かあって、その都度ノゾミは帰ろうか迷ったが、次の日くらいに戻ってきたという報告があって、帰るのをやめた。最近ではこのプリンスが家族が連絡を取る唯一の手段となっていた。
「帰らなくていいの?」
オレはそれしか言えなかった。ノゾミは泣くのを我慢して、首を振った。
「あの人がウソついてるのかも」
その時にはもうサエの姿はなかった。確かにサエは素直ではないところがある。ノゾミにもそう見えたのだろうが、サエがわざわざオレ達に声をかけてきて、ウソをつく理由はなかった。オレには事実をそのまま伝えているようにしか見えなかった。
「やっぱりうちに帰る」
しばらくキャンパス内を見て回っていたが、今日はちっとも楽しくないらしく、そんなことを言い出した。
「先輩のところじゃなくて?」
ノゾミが頷いたのを確認してからうちへと送った。
プリンスは死後だいぶん経つのかその姿はなかったが、ノゾミの部屋はプリンスの写真でいっぱいだった。学校でのいじめや兄の家庭内暴力にノゾミが耐えられたのも、このプリンスのおかげだろう。そして、学校に行かず、うちの中で一人で過ごしても、寂しくなかったわけだ。
ノゾミはうちの中には自分の世界を作っていた。その世界でプリンスはノゾミを救ってくれる「白馬の王子様」だったに違いない。ノゾミは自ら楽な道を選ばずに「悲劇のヒロイン」を演じているわけだ。ノゾミが初めて電話をかけてきた時にオレのことも「白馬の王子様」みたいだと言った。
ノゾミにとって今は「悲劇のヒロイン」を演じるのには最高のチャンスでもあったが、涙一つ見せなかった。プリンスは自分が世話しないから、どこかに預けてあると両親の帰りを待った。
両親が帰ってくるまでオレは付き合った。帰ってきた両親はノゾミがいなくなったうちの中でショータはプリンスに当たっていたのだろうと話した。
ある日、両親が帰ってきた時にはすでにぐったりしていて、冷たくなっていたそうだ。その晩、ショータは帰ってこなかったと言う。その事実を知ったノゾミは余計に帰ってこなくなるだろうと思って、連絡ができなかったのだと。
ノゾミはそこで初めて涙を流したが、一向に泣きやむ気配もなかった。もういいですよと両親が声をかけてくれたので、ノゾミを置いて帰ろうとしたら、自分を一人にしないでと必死に引き止めた。ノゾミの涙はいつからかウソ泣きに変わっているのは分かっていた。
「落ち着いたら、先輩のうちに荷物取りに行くから」
それだけ約束して、外に出た。玄関前には入りづらそうにしているショータの姿があった。ショータはオレの顔を見るなり、殴られるとでも思ったのか、逃げ出した。




