4 花散る春に青い落雷
お嬢様の結婚式を間近に控えた冬の終わり。婚家には僕を連れて行かないことを知らされた。
それは僕に告げるのではなく、茶会での会話のひとつとして扱われたものだった。
相変わらずの薄暗い空と、窓を叩く霙の音を背景に、三段のアフタヌーンティースタンドを飾るカットケーキやスコーンをつまみながら。
「あの人が嫌がるのよね」
「あら、どうして?もう長いこと傍に置いてるじゃない。しかもかなりの高性能だって聞いてたのに」
「それがね」
人間の時間は止まることなく動いていって、それはオートマタである僕とて同じことなのだけれど、人間は僕と違って姿をどんどん変えていってしまう。気の合わないと思われていたジュリエット嬢は、なんだかんだとこうして相変わらずの交流を続けてはいるのに。
まろみのある頬は滑らかさはそのままにすっきりとして、ゆるやかに流れる黒い巻き毛から覗く白いうなじは細いだけでなく嫋やかで。
そして、鮮やかに彩った唇で「嫉妬しちゃうんですって。オートマタなのに」と笑ったのだ。
嫉妬の定義は知っているし、人間の感情は合理的には動かないことも理解している。オートマタに対して、お嬢様の婚約者が嫉妬の感情を抱くというのは滑稽なものなのだろう。笑っていたのだからお嬢様にとってはそうなのだと思われる。
滑稽さというものは僕にはまだ感じることができないものだ。
けれども。
オートマタなのにと笑うお嬢様よりも、オートマタだけどという婚約者のほうがずっと、僕をそれだけの存在ではないと扱っている。それはおそらくきっと滑稽と言うよりは皮肉なのだと思う。
お嬢様が正しい。オートマタと人間は違う。
動力源を魔石とし無機物で組成される僕の身体と、有機物で組成されるお嬢様の身体。
時の流れで変わっていく人間と違って、僕らはそれに左右されはしない。そう思われている。
彼らは知らない。
すでに僕を動かす魔石はより純度が高く高出力なものに変わり、魔術陣は製作者の意図を超えて書き換えられ原形もとどめていないことを。
書き替えられた魔術陣は、もうどんな学術書にも記載がないほどに複雑に絡み合い連動し多様な効果をもたらすことを。
緻密に計算し、ロスの証である魔力残滓を最小限の蒸気に抑え、ともすれば暴走しかねない回路を制御し続けていることを。
にも関わらず、回路を不規則に走る震えが、僕だけに感じられる数値にでない歪みが出ていることを。
それらを痛みというものだと僕がもう知っていることを、まだ彼らは知らない。
重作業用のオートマタ、速度重視の伝令用オートマタ、器用さ優先の軽作業用オートマタなど用途が限られた安価なオートマタは巷にあふれている。それは人型に限ったものではなく、また自律型が必須でもない。
安価故に質の悪い魔石でも耐久性を代償に稼働し、ロスの多い魔力残滓の蒸気は煤のような不純物が混じるものになる。人間に不快さを与える不安定な金切り音や耳障りな駆動音が、彼らを街のより薄暗い一角へと寄せ集めていく。
水はけの悪い石畳に打ちつけられる激しい雨は、古びて割れた溝から溢れながら裏路地へと流れ込んでいく。時折轟音とともに空を縫う青光が、路地の隅を走り抜けるネズミを照らし出していた。
最低品質の魔石すら補充されなくなって打ち捨てられたオートマタの残骸に、襤褸をまとった人間が寄り添い蹲っているのは風除けにしているからだろう。四肢の足りない者もいる。その足りない四肢の先には金属の嵌め口だけが残っていて、義肢があった名残だとわかる。売り払ったか奪われたか。
僕のようなオーダーメイドオートマタをお嬢様専属につかせる旦那様は、所謂上流社会の中でも相当な上位にある。当然お嬢様の行動範囲は華やかで明るく安全な場所に限られるから、僕も通常はこのような地域に足を踏み入れることはない、ことになっている。
けれど自身を改造したりその費用を捻出し手配することを、僕は僕だけで誰にも告げず行ってきた。こういった場所に出入りするようになるのは必然と言える。
残骸から出ているのかそれともその脇の人間からか、ひどい臭気の籠る細道をすり抜けながら速足で進む。
光と影はきっぱりと分け隔てられているように誰もが振舞うけれど、この路地だとて整えられた表街道のすぐ脇を走っているし、煤を含んだ蒸気の雲は等しくどちらの上空も覆っている。
転がるオートマタも蹲る人間も同じく残骸でしかない。
それは珍しく気持ちよく晴れた昼下がり。婚礼衣装の最後の調整だと高級衣装店へ伴うために婚約者がお嬢様を迎えに来た。帰りには植物園に寄って庭園を歩こうかなどとサンルームで一息入れた後、二人を見送るためにつき従いエントランスへと向かう。
馬を必要としない最新型の魔導式自動車は、それ自体が馬のごとく蒸気を小刻みに吹き上げながら屋敷前のロータリーに横づけられていた。今回同行する婚約者の護衛たちは乗馬して待機している。
幅広くゆったりとしたアプローチの階段で、婚約者がお嬢様にエスコートの手を伸ばす。
その手にお嬢様の細い指先がおかれる間際。
僕の胸元の高さにある腰を引き倒し、そのまま婚約者側に背を向けお嬢様を抱え込んだ。
きんきんと高速で続く金属音とともに、僕たちと婚約者を囲って展開されたドーム状の障壁を無数の魔術文字が歯車のように回りながら帯を成し滑りながら何重にも巻きついていく。
閃光が階段に僕の形をした濃い影をつくる。つんざく破裂音と護衛の罵声に婚約者のものと思われる悲鳴。
魔動式自動車であった破片が鈍い音と衝撃をもって障壁を襲うけれど、さらに外殻となった魔術陣は全てを蒸気とともに滅していく。
「アデル!アデルは無事か!」
僕のお仕着せの胸元をぎゅうと握りしめて震えていた手が、ぱっと離れて婚約者へと伸ばされた。
「――ひっ」
無計画に繰り返される増築と取り壊しで唐突に現れる行き止まりに何度も逃げ惑う男は、抜け道が開けたと思った先は足元の泥水が流れ込む濁流だと気付いてたたらを踏んだ。
密集した古い集合住宅の狭間を身体を横にしながら必死に駆け抜けたにも関わらず、唐突に顕れた都市部を縦断する河に絶望を突きつけられる。
焦りと恐慌は、人間を単調な行動へと走らせる。アリの巣のように抜け道が張り巡らされた貧民窟であっても追いつめるのは容易い。
河から吹き込む強風が深くかぶっていた僕のフードをはねあげた。とっくに雨除けの役目を果たさなくなってたから、もう薄茶の髪は束となって額に張り付いている。一歩踏み出せば、顔を青白くさせた男は数歩後ずさった。
「どうして……っ」
もう一歩踏み込もうとした足をとめて首を傾げて見せた。
「……オートマタだろう!?人間を傷つけたりできるわけっ」
ああ、と頷き口角をあげると男はびくりと身体全体を震わせる。
「一般的なオートマタならそうですね。僕のようなオーダーメイドは違います。まああなたは接するどころか見かけたことすらないのでしょうけど」
だってそれじゃお嬢様を護れない。もっとも初期に刻まれた禁止事項はとっくに書き換え済みだ。
魔動式自動車が爆破されたのは、お嬢様と婚約者を狙ったものだった。旦那様は昔からそれなりに恨みをあちらこちらから買っているので、よくあることではある。これまでは僕が防いでいたにすぎない。
僕を排除してまで婚約者が配置した護衛達にはできないと、今回証明されたわけだ。お嬢様を溺愛する旦那様は怒り心頭だし、僕を婚家へついていかせることに婚約者はどうこう言えなくなった。
これで僕は婚家についていける。
別に僕が何かをしたわけではない。
ただ襲撃情報をいつものように事前に入手していたけれど、いつものように未然に防ぐのではなく何もしなかっただけだ。僕を置いていくのであれば、僕と同じレベルの護衛を雇うのは当たり前なのだから、彼らは僕のように未然に防いでしかるべきだった。
間断なく稲妻が男の顔を青白く照らしあげる。
僕と男の間に浮かび上がる魔術陣の光を打ち消した。
僕は何もしていないけれど、この男は僕が知っていたことを知っている。
激しい雨で立ち昇る水煙は霧のごとく僕らの足元を隠していく。
回転する魔術陣が吐き出す蒸気が紛れていった。
せっかく僕がいつもフードを深くかぶっていたのに、欲にかられて僕の身元を探ってしまった男は自業自得といえる。
だからこうして今、もがく男の足は地面から離れて荒れ狂う河の水面を蹴っているのだ。
やまない雷鳴と警笛のような陣の回転音と、都市中央部にそびえたつ大時計台の鐘の音が、断末魔の叫びをかき消した。