月に願いを
私は信じる。必ず、私の願いを叶えてくれるところがあることを――
私は願う。必ず、私の大切な姉の病が治ることを――
私は誓う。必ず、私の名の下に――
私の姉は重い病気なの。小さい時からの天性的な病気。医者からも治る見込みが無いって言われてるんだけど私は信じたくないよ。
姉は小さい時には私を思いっきり可愛がってくれたし、優しくしてくれた。そんな姉が私は大好き。
でも今は――眼を開けることがやっとなの。歳を取る毎に弱ってきて、医者からは余命二年だなんて言われている。
私は、そんな姉を救いたいの。今度は私が恩返ししたいの。でも、どうしていいかわからないの――
こうして日常は無情にも、過ぎ去っていくの――
でも私は、ある日突然、こんな会話を耳にしたの。それは私の通っている学校帰りのことだった。下駄箱で上履きから履き替えようとしている最中のこと、向かいの下駄箱で二人の女の子が互いに向き合いながら話しているのを偶然聞いてしまったのだった。
「ねぇ知ってる?」
「なになにぃ?」
「この京城市にあるあの高い山知ってるよね? 月氏山。そこにある泉って十五夜の月の夜になると、何でも願いを叶えてくれるんだってぇ~」
私の心臓が高鳴った。
――まさか。
そう疑ったのである。聞き間違えでは、と思い再び両者の会話を聞き入ることにした。
「えぇー、それじゃあそこに行った人って全員願いを叶えてもらえてるのぉ?」
「でもね、願いを叶えて貰えたっていう人は、残念ながらいないの」
「どうしてぇ?」
「何かね、十五夜の夜に泉に着いたのはいいんだけどさ、着いた瞬間月が隠れちゃって何の意味もなくなっちゃったのよねぇ」
「月が隠れちゃダメなの?」
「そーみたい」
私の心臓は、発作を起こしたみたいに苦しく、そして一つの希望が満ち溢れていた。心の中が全て花畑で、そこを思いっきり走り回っているかのよう――
その話を聞いた後、私はすぐさまそこを離れ、急いで家に帰った。息を切らしても、その泉のことで頭が一杯で、休むことなんて忘れていた。
家の廊下をドタバタと大きな足音を立てながら、ベットで寝ている姉の下へ向かった。
「おねぇ~ちゃぁ~ん」
私は思いっきり姉の部屋のドアを開けて部屋に入ると、そこには点滴を打ちながら仰向けで寝ている姉の姿があったのだった。
姉は私の声に気付いたのか、ゆっくり、そして弱弱しい声で静かに発声した。
「きっ……ちゃん……おかえり」
「ただいま、お姉ちゃん」
きっちゃんていうのは姉が私を呼ぶときに使うの。友達もほとんど使うんだけどね。
今更だけどさ、私の名前は希望って言うの。何だか恥ずかしい名前なんだけどさ、もう慣れっこだよ。うん、今になっては気に入ってる。
私は満面の笑みを漏らしながら姉の顔を覗きこんだ。姉は一時であったけど、私に微笑み返しをしてくれた。苦しいのはわかってるのに――
それがちょっと私としても冷めた心になった。せっかく、せっかくお姉ちゃんを救えそうな手立てが見つかったと思ったのにな。
――でも、笑ってくれてありがとう。大好きだよ、お姉ちゃん!
夜になって今日の新聞を開いてビックリたことがあった。何と明日がその十五夜の日だったのである。今まで月の月齢なんて考えたこともなかったのに、このときばかりは、血眼になって新聞に釘付けになってた私。そこの部分だけをはさみで切り取り、部屋の机に豪快に張った。これで明日は忘れまいと。
多少私の心は舞い上がっていたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
翌朝、学校の教室に入ると、私に話しかけてくる一人の少女が現れた。
「きっちゃん、どうしたの? 何か悩み事かなぁ?」
「へっ?」
私はいつもの平常心で教室に入ったつもり、いつもの顔で少しぶっきらぼうの。いつもの、いつもの……
続け様に私は発言した。
「な、悩み事なんて、な……ないよ!」
「うそぉ、きっちゃん。顔に出てるよ。顔は笑っても、心が泣いてるよ」
「……」
私は黙った。何て返したらいいのかわからなくなった。どうしてだろう、この少女にはいつも私の心が見透かされているように、ピントはずれなこと無く言ってくるのである。
彼女の名前は天野月姫といって、クラスメートで私の友達。でも、ちょっと変わった子かな。
「月姫ちゃん、どうして……どうしていつも私のことを読めるの? どうしてわかっちゃうの?」
私は思いの滝を月姫ちゃんにぶつけた。信じられなかった。だって、月姫ちゃんってどこからどう見ても普通の女の子だもん。服装や体格に変わったところなんて一つもない。でもどうしてだろう、いつも――見張られているような、何でも知っている月姫ちゃん。不思議な子――
「んふ、いいの。気にしないで。ほとんど当てずっぽに言ったの」
月姫ちゃんは朗らかに笑い、そして温かい声で言ってくれた。
「当てずっぽが何回も当たるわけないよ。一体どうなってるのよぉ」
私はへたり込んだ。別にここにきてまでこんなに苦悩するつもりはなかったんだけどなぁ。月姫ちゃんに言われてから何だか急に奈落の底に叩き落されたかのよう、彼女には全て見えてるんだ。私の悩み、性格、そして行動に起こそうとしていることもスベテ――
ならいっそ、こうすればいいんじゃないの――
「きっ……ちゃ……ん?」
月姫ちゃんが寄ってきては不思議そうに顔を覗かせる。私はさっと立ち上がって彼女の肩に手を掛けた。
「月姫ちゃん!」
「――えっ、な……何?」
彼女は一瞬ドキッとしたかのように驚いていたがすぐに立て直した。私は一歩引かず力強く声をかける。多分、いやきっと、月姫ちゃんは私の言いたいこと、わかってるよね。
「今日の夜……いや、夕方から、月氏山に行かない?」
「月氏山って……京城市の一番高い山のこと?」
「……そう」
その瞬間だった。月姫ちゃんの口が、少し笑ったかのように見えた。もしかしたら――やっぱりもしかしたら、月姫ちゃんは私が言いたいこと、わかっていたのかな。
そして、ゆっくりと彼女は口を開け、微笑みながら答えた。
「――いいよ」
私はふと、月姫ちゃんに満面の笑みを見せた。野に咲き誇る一厘の花の様に、澄み切った純粋な顔を――
私と月姫ちゃん。二人だけでこの月氏山に入るのは初めてのこと。月氏山は元々、月氏という武士の一族がここに城を建てたことに由来しているんだとか。それでその城下町として栄えたので、この町は京城市。京は町を表して城は月氏の城を表すって、前にお父さんが言ってたっけ。
まぁそんなことは正直どうでもいいんだけどさ、噂になっていた十五夜の夜になると願いをかなえてくれる泉。その泉の名前が――
――月光水源。
「月姫ちゃん、月光水源までどのくらい時間かかると思う?」
「んー、わからなぁい。でもこの道を登っていけば着くと思うよぉ」
月姫ちゃんが指す道。それは傾斜が大体三十度前後、時間が経てば経つほど登るのが厄介になりそうな傾斜角だった。でも彼女はニコニコしていて、微笑を絶やさなかった。一体何がそんなに嬉しいと言うのだろうか。
「じゃ、早速行こうよ」
「ちょっと待って」
月姫ちゃんが私の袖を掴んで止めた。
「どうしたの?」
「これ……私が作ったお守り。きっと叶うといいね。お願い事……」
月姫ちゃんには全てがお見通しなのかな。でも、心配してくれてるだけで私は嬉しいよ。それにこのお守り――何だか暖かい感じがする。
そのお守りを胸ポケットにしまい。私たちは登り始めた。最初は緩い坂道と、体力が続いていたおかげか、笑いや話も幾分できた。でも登るにつれ、息が切れ、傾斜も高くなっている。
「も……もう、だめかもぉ、足がぱんぱ~ん」
私の足、特に親指がジンジンと痛む。疲れから少し眠たくもなってきたし。空は夕暮れからあたり一面真っ暗になっていた。登るのに夢中で気付かなかったよ。足が警笛を鳴らしている。もうダメだよ――っと。
でも、私はあきらめない。だって、だって私は必ず”月光水源”を見つけるんだから。そして、お願いして、お姉ちゃんの病気を治すんだから!
私は必死で足を前に動かした。足ががくがく震えて、今にも倒れそう。でも、私は歩く、道ある限りずっと――
「きっちゃん、無理しちゃだめだよ……」
こんな時、傍に来て心配してくれるのは月姫ちゃんだった。私の腕を持って、月姫ちゃんの首にあてて担いでくれる。一緒に歩こう、この道を。
きっと月姫ちゃんも一杯一杯なんだと思う。冷や汗が首筋に流れ、私の腕に滴り落ちた。
「月姫ちゃん……」
私だけじゃない。辛いのは私だけじゃないんだ。私は何処かで、一人で突っ走っていただけなのかもしれない。ただ闇雲に、途方も無い暗闇を――
でも今は、一人じゃない。共に分かち合う友達がいるから。私は辛くない!
どれくらい歩いただろうか。時間なんて、わからない。辺りは漆黒の闇が漂っている。歩けど歩けど道ばかりの深い山野奥地。
しかし、それももう終わり、私たちの目指す所は迫っていた。
「あっ……あれ!」
「――やっと……着いたのね……」
私達はようやく月光水源に辿り着いた。その場所は、暗闇なのにどこか明るい、珊瑚礁の海のような、エメラルドグリーンに輝いていた。
「これが……月光水源……キレイ……」
「ええ、ほんとに」
私達二人は疲れていることに気付かず、息を殺してその泉を眺めていた――
十五夜の夜、月が昇れば満月。月夜が辺りを照らし、私は願い事を叶えるの。何だかロマンティックだけど、ここで一つ気になることがあるのよね。
(――泉に着いた瞬間、月が隠れちゃって何の意味も無くなっちゃったのよねぇ)
突如思い出したあの時の会話。どうしてだろう足が竦む。もうすぐ、もうすぐ私の大好きなお姉ちゃんの病気が治るのに。
「ねぇ月姫ちゃん」
「何?」
「十五夜の月ってさぁ、もう南中にあってもいい頃なんじゃないかなぁ」
嫌な予感がした。最悪のストーリーを過ぎらせてしまった私。いやにあの時の会話が気になってしかたがなかった。
「……」
月姫ちゃんは喋らなかった。急に微笑が止まり、沈黙の面目になった。
「つき……ちゃん?」
私は月姫ちゃんの顔をじっと見る。しかし変わらない。冷たい視線のみ。さっきまでの笑いは何処にいったの――ねぇ、月姫ちゃん。
十五夜の月が南中にあってもいい時間。雲はまばらに見える程度。しかし月が隠れるほどの大きさも無い雲ばかりだった。
「どうしてなの……ねぇ……」
私は膝を付いて絶望に満ち溢れてしまった。そうするしかなかった。そう認めるしかなくなった。どうして、どうして、どうしてどうしてどうして。
頭の中で、同じ言葉がぐるぐると回って、離れない。
――どうすればいいの?
それしか考えられなかった。あの時の会話が――嫌になるほど響く。本当に――どうすれば――いいの?
でも、その時だった――
「大丈夫だよ、きっちゃん」
「――つ――月姫ちゃん!?」
私の目の前に、月姫ちゃんのにっこり顔が映った。さっきまでの冷たい表情のように、何も映さない鏡のような顔とは、今は違う。何か――何か自信に溢れているような、そんな気がするよ。
「私が……私が必ず、きっちゃんを助けてあげるね」
「えっ――」
どういうことだろう。私には、月姫ちゃんが何を言ってるのかわからなかった。でもなんだろう、この安心感。心の底から守られてる。そんな感じが――する。
その瞬間だった。私の周りが急に輝き出し、見るもの全てが真っ白に見えてしまった。
「えっ……」
そして私はもう一つ、見たものがあった。それは――
「つ……き、ちゃん? う……浮いてるよ」
私の目の前にいた、私のクラスメートの、そして私の友達の、あの月姫ちゃんが浮いているのだった。眩い光を発し。両腕を掲げ、光と共に上空へ昇ってゆくのが見える。そして、私の心に語りかけてくる声が聞こえてきた。
――きっちゃん、きっちゃん。月光水源に願いを――
私はその声が誰の声なのかすぐにわかった。光を纏った月姫ちゃんは空高く、小さい点の様にしか見えなかった。それでも私は、月姫ちゃんの言われた通り、月光水源へ歩み始めた。
「――わぁ」
月姫ちゃんが発した光は月光水源へ降り注いだ。それはまさに月明かりの雨。そしてその光は鮮やかな、暗闇でも輝いていた水面は光度を増し、見る者に溜息を与えるほどだった。
「月姫ちゃん!」
私は一息深呼吸をして、一思いに叫んだ。そして両手を合わせ、目を静かに瞑った。そして祈る一想いの希望――
――私の大好きな、大好きなお姉ちゃんの病気が――治りますように――
その瞬間、泉のほとりから蛍の光のような光の玉が無数に私を包み込んだ。そして私の意識は――眩い真っ白な光の中で、薄れてゆくのだった。
薄れてゆく意識の中で、ふと眼を開けると、真っ白な光の中で、何処かで月姫ちゃんが、微笑んでるような気がしたの。
――そっかぁ、月姫ちゃんが――お月様だったんだね――
そう思うと、私は光の中で、深い眠りについてしまった。
目が覚めると、私は自分の部屋にいた。寝巻き姿で――ベッドの上。何事も無かったような――朝。小鳥のさえずりが――響く。
私は幾分呆けて寝癖がちらほら目立っていた。
「あっ――えっ!」
状況が掴めなかった私は取り合えず驚いた。何でだろうという台詞を幾度となく心に刻み込みながら階段を下りてゆく。
「――そうだ、お姉ちゃん」
私は寝巻きのまま廊下を一直線に全力疾走した。角に足をぶつけたものの、何とか大丈夫な勢いだった。ゆっくりと、姉の寝ている部屋のドアを開けてみた。すると――
「あら、きっちゃん。どうしたの? 早くしないと学校遅れるよ!」
部屋の奥のタンスの前で制服に着替える姉の姿があった。私はおかしくなりそうだった。だってあれだけ大掛かりな点滴用具器具も一切無いし病室用ベッドも無い。あるのは勉強用机と着替えようタンスと――ベッド。
私は夢でも見てるのだろうか。たしかにそう思えてくる。あの、あの、あの瞬間から――いや、そんなまさか。でも、私が願ったことじゃないの。
「お姉ちゃん、病気は……もういいの?」
「えっ、何言ってるの。病気なんて風邪以外なったことないわよ」
その瞬間、私の心は凄く高鳴って、むずむずしていた。急に胸いっぱいに嬉しくなってきて、涙が溢れてきた。
「――おねぇちゃ~ん!」
私は一思いにお姉ちゃんの胸元に抱きついた。姉の匂いは小さい時から大好きだった。あの優しくて、私を可愛がってくれた、あのお姉ちゃんの匂いだ――
「もぅ、きっちゃんたらぁ、どうしたのよぉ」
お姉ちゃんがあたふたしながら私を見ている。私は顔を見合わせて精一杯微笑んだ。
「何でもなぁ~い!」
そういうと、私は笑いながらお姉ちゃんの部屋を後にしました。学校の登校時間も間近ということもあって、私は急いで支度をし、学校へ行きました。
いつもの日常が私を迎え入れてくれた。私は微笑みながら、教室の戸を開けていつもの時を実感する。そして――
「きっちゃぁ~ん!」
「つ……月姫ちゃん」
月姫ちゃんが私の傍に駆け寄ってくれました。何がそんなに嬉しいのかといいたいくらいの満面の笑みで。
そして続け様に私は発言しました。
「月姫ちゃんが叶えてくれたの?」
「ん、何がぁ?」
「いや、もういいの――」
やっぱり夢だったのかな。でも――どうしてかな。疑心が私の心を貫く。
その時だった。私の右ポケットに何か入っている。手のひらサイズぐらいの大きさだった。私は月姫ちゃんから身体を反らして、ゆっくりそのポケットの内容物を見ると、それはなんと――月姫ちゃんからもらった、大切なお守りが入っていたのだった。
そう、それは月氏山に登る直前に、月姫ちゃんから貰ったお守り。これでわかったよ、月姫ちゃん――
「どうしたの。具合でも悪い?」
月姫ちゃんがきょとんとした顔で私を見る。そんな私は、精一杯の笑顔でこう言った。
「何でもないよー!」
そして月姫ちゃんにはもう一つ言いたいことがあったけど。言うのやめる。その代わり、心で言わせてもらうね。月姫ちゃんなら、きっとわかってくれると思うから。
――月姫ちゃん、ありがとう。そしてこれからもずっと、ずっと私たちを見守っていてね。私たちはずっと、ずっと、友達だよ。
夜空を見上げると月が見えた。その月を見る度に私は、月姫ちゃんの微笑が見えてしまいそう。そして、月に願いを捧げてしまうの。
今日も私たちの町を、月が静かに照らしている――
2つ目の短編小説の投稿となります。
こちらは13年くらい前に書いたものになります。多分初めて短編を書いた作品かもしれません。
ダッシュがやたら多いなと見てて思いましたが、読んで頂ければと思います。