第8話「訓練場にて」
第一訓練場は騎士堂本館の背後北側にある別棟の一角にあった。土と砂が丁寧に敷かれた長方形の区画で、20名ほど男性が剣の訓練を行っていた。一対一の試合形式を四組同時に行い、それに一人ずつ審判がついている。他の人間は立ったり座ったり、見ていたり歓談していたり…そのような状況であった。
それを見たシブリスは苦笑いしつつ小声でハルシェイアに言う。
「ぬるいでしょう?」
ハルシェイアは控えめに頷いた。
「この街は平和なんですね」
そして皮肉ではなく、少し羨ましげにそうぽつりと呟いた。それにシブリスは目を見開いて驚いた後、複雑そうにハルシェイアを見つめる。
そうしていると、一番近くにいた男性がこちらに気が付いた。汗を拭っていたので打ち合いの直後だったのだろう。
「騎士シブリス?それに…?」
なんでこんな所にこのような女の子が居るのだろうと、その男は不思議そうにハルシェイアを見た後、すぐにシブリスを放っておくのは失礼と気が付いたのか、シブリスに訊ねる。
「どうなされたのですか?それにその子は…?」
「この子は僕の知り合いの子。騎士ジグルットと会う約束があったみたいなんで、ここまで案内してきたんですよ」
「はぁ、騎士シブリスがわざわざ…?あ、いえ、失礼しました」
「いや、気にしていないですから…それより騎士ジグルットは?」
「あ…あちらに」
少し緊張気味の男が指し示す方では、一人の男がもう一人をうち倒していた。その男は倒した男に二三言葉をかけると肩の力を抜き一息ついた。
(あ、ジグルットさん…よく見ると結構格好いいのかなぁ)
ハルシェイアは先ほどの門番が言っていた騎士ジグルットのファンという言葉を思い出しながら、そんなことを思った。ジグルットは顔の造作そのものは十人並みだが、仄かな愛嬌と均整がとれよく鍛えられた身体、そして騎士らしい佇まいが彼を魅力的に見せていた。
「あぁ、ちょうど訓練中だったみたいですね――騎士ジグルット!」
シブリスが少し声を張り上げてジグルットを呼んだ。それにジグルットも気が付いたようで、こちらを見た。
「…あれ騎士シブリス、今日は非番で、は…え?!ハルシェイア?!」
ジグルットはハルシェイアに気が付くと急いで駆け寄ってきた。他の兵士や騎士達は何事かとその三人を見つめ、ハルシェイアは気負って俯いてしまう。
「やあ、騎士ジグルット、ハルシェイアが君に会いたいって」
シブリスがそう言うと、ジグルットは不思議そうに二人を見た。
「ハルシェイア…呼び捨て?――まさかハルシェイアまで?」
ジグルットは呟いた後、何かに気が付いたようにシブリスを殺気立って睨め付ける。心なしか木刀を握る手の力が上がったよう思える。
「ん…?え?――あ?いやいやいやいや、いくら女性とは言え、流石にこの僕でも手を出しませんよ。そんなことをしたら本気で故郷に帰れません」
何を怒っているのか察したシブリスは身の錆とは言え、その言い掛かりに慌てて反論する。ちなみにその場合、故郷に帰れないのは冗談でも例えでもない。
その必死さからジグルットも自分の懸念が杞憂に過ぎなかったことに気が付き素直に謝罪した。
「あ、いや、すまなかった。変な誤解をしてしまったようだ」
「いや…これは僕の日頃の行いが――」
シブリスも謝るが二人の間に微妙な空気が流れる。流石にいたたまれなくなって、原因であるハルシェイアが恐る恐る声を上げた。
「あ、あ、あ、あの…」
「あ、ごめん、ハルシェイア…わざわざ訊ねてきたくれたのに」
そこでジグルットが向き直ってハルシェイアに笑いかけた。
「あ…いえ、私も突然押し掛けてしまって」
「ううん、うれしいよ――この後、時間あるかな?訓練終わってから、どこかで…私の執務室がいいかな。そこで話そう――それでいいかな」
「はい」
ジグルットの提案にハルシェイアは頷いた。元々、荷物はそんなに多くなく荷解きは昨日のうちに終わっているし、日用品等の買い出しは明後日の制服の試着と一緒に行うつもりだったので、今日は本当にやることはなかった。
「じゃあ、ハルシェイア、その間はどうするんだい?」
「えっと…」
どうする、と聞かれても、このような初めての場所、さらに引っ込み思案なハルシェイアにはどうして良いのか本気でわからない。彼女は助けを求めるようにシブリスを見上げた。それにシブリスは応える。
「うーん、そうだねぇ…ここで訓練を見学させてもらうか、僕の執務室でお茶を飲むか――が妥当だと思いますが?」
「ハルシェイアはどうする?」
ジグルットが訊ねる。
(うーん……)
正直、どちらでも良い気がした。ただ、ハルシェイアの事情を知っているシブリスとは少し話を詰めておきたいと思っていた。
(そうすると、シブリスさんとお茶かな?)
「じゃあ、シブ――」
「失礼します、騎士ジグルットはいらっしゃいますかっ!!」
ハルシェイアが口を開きかけた時、彼女たちの背後の扉を開けて、兵士が駆け込んできた。ハルシェイアはビクっと縮こまる。対してジグルットは途端に顔をキッと引き締め、ハルシェイアに「ごめん」と一言断ると、兵士に向き直った。
「ジグルットは私ですが、なにか?」
「はい、また被害者が――」
ジグルットの顔が厳しくなる。見ると、シブリスも苦々しげな顔をしていた。
(また、被害者…ということは、昨日、デボネさんが言っていた?)
ハルシェイアがそう予想すると、ジグルットが裏付けるように聞き返した。
「例の、殺人鬼の…?」
「はい…男性一人、女性は若い女性と初老の二人で、その――」
「その?」
「女性は妊婦だったらしく――」
兵士は苦渋に満ちた表情で口ごもる。ハルシェイアはそれだけで何があったか、想像がついた。ジグルットも、シブリスも気が付いたのか、怒りで顔を歪ませていた。
(妊、婦…?)
だが、ハルシェイアは何かが記憶に引っかかった。最近、何か聞いた気がする、と。同時に、まさか、とも思う。杞憂にしか過ぎないはずだ、と。
「それで場所は?」
ジグルットが訊ねる。兵士の答えは――
「ルーベイ区オタブ地区アデン街フルハス邸、です」
『なんて顔してんだ、縁起が悪い。同じ街にいるんだいつでも会えるさ、娘の家は都市北東部オタブ地区アデン街、フルハスという家だ…まぁ私も行ってないからどんなとこかわかんないけどね』
『え、えっと、オタブのアデン街、フルハスさんの家ですね』
『そうそう、もう一回言うかい?』
『いえ大丈夫です、覚えました』
『ヒュー、流石学生さんだね…おっと、ほんとにもう行かなくちゃね、じゃあね、お嬢ちゃん』
『あ、はい、また』
小母さんの彫りの深く頑固そうで、それでいて凄く優しい顔がハルシェイアの頭を過ぎった。自身でも気づかないうちにハルシェイアは誰何するように兵士に対して声を張り上げた。
「今、アデン街フルハス邸って言ったの?」
トーンの低い、それでいて人に強烈な印象がのこる、そんな声だった。その場にいたものが目を見張る。
問われた兵士はそこに居る場違いな少女がそんな問いを発したが、そんな場の空気に呑まれてすぐに、
「アデン街フルハス邸…間違い、ありません」
と肯定した。その肯定を聞いてハルシェイアは静かに目を閉じた。
「まさか…もしかして、知り合いかい?」
『と、そうだ、身重の娘が待っているんだ、あたしは急がないと』
「……はい、多分、その初老の女性――妊婦のお母さん、だと思います。ここまで来る馬車で一緒でした…ずっと」
「ハル、シェイア…?」
ジグルットの質問にハルシェイアは周りが不思議がるほど至極冷静に答えていた。シブリス以外は、それはこのような非日常的な凶悪な事件に衝撃を受け混乱し、考えが追いつかない故にそのように見えているのだと理解した。
しかし、シブリスは知っていた。この少女が、場が凄惨になればなるほど極めて冷静になっていったことに。そして、その時、彼女が、彼女の行動と反比例するように酷く儚げに見えることに。
その彼女の放つ雰囲気に訓練場が呑まれていた。その中で最初に抜け出したのは、意外にも駆け込んできた兵士だった。彼は自身の職務を思い出し、ジグルットに聞いた。
「あのっ、それで、どうしますか?騎士ジグルット」
「あ…あぁ、そうだったね、すまない…。私も現場に向かうよ。君は前に現場に伝えに行ってくれ。詳しいこともそちらで聞く」
「了解しました。お待ちしています。それでは、失礼しました!」
兵士はそう言って、急いで退室した。それを確認すると、ジグルットは部屋の中央に向き直り言う。
「今から、我が第七円卓衛兵隊はルーベイ区オタブ地区アデン街フルハス邸へ赴き、現場指揮、捜査を行う。十分以内に軽武装の上、厩舎に集合、以上!」
「「はっ」」
その命令に応じて、部下達が一斉に敬礼し、その後、慌てて訓練所を出ていった。
ジグルットは次にハルシェイアの方を向き、この後、時間が取れなくなった事に対して謝罪の意を伝えた。
「ハルシェイア、すまない。わざわざ立ち寄ってくれたのにも関わらず…だが、凶悪な犯人は必ず僕が捕まえてみせる。その、妊婦のお母さんの無念、晴らしてみせるよ――では、準備もしなくちゃ行けないのでこれで。でも、来てくれて嬉しかった――」
そう言うと、名残惜しそうに、そして申し訳なさそうにジグルットは出ていった。
ハルシェイアはそれを静かに見送ると、他には誰もいなくなった訓練場でシブリスを見上げ言う。
「…私も、行きたい。現場に」
「え?現場に…?」
ハルシェイアは肯く。
「確認したいの…本当に、あの小母さんなのか。それに――」
「それに?」
その問いかけにハルシェイアは薄く笑うだけで、シブリスの質問が答えられることはなかった。そのハルシェイアの様子に、シブリスは彼女がこれ以上聞いても話してくれないことを察して、それ以上訊ねはしなかった。
「それで、僕にどうして欲しい、と?」
「あ、あの…そこまで行く方法を教えて欲しいの。まだこの街に来たばかりで分からないから…」
「あぁ、なるほど…。なら一緒にいきます?」
「え、でも…」
「さっきも暇つぶしに街に出ようと持っていたぐらいなので――それに馬でないと厳しい距離…僕だったらここの馬使えますよ」
確かに、それは渡りに舟かもしれないと、ハルシェイアは思った。最初はシブリスに地図を貰うか、道順を聞くかして、風属の魔法“軽”と“跳”を使って屋根伝いに抜けていこうと思っていた。が、どの国、どの都市でも原則として緊急時以外の魔法使用は禁止であるため見つかるのは具合が悪い。入学前に退学は御免だけれど、そうでもしなければ到着は全て片づけられた後になってしまう。
(小母さん…)
「シブリスさん、お願いしても良いですか?」
「了解、ハルシェイア。僕としてもかわいい子と一緒に行けるのは嬉しいよ」
シブリスは無駄にさわやかに笑いかけた。先ほどのシブリスに対するジグルットの剣呑とした雰囲気の意味を、しっかり理解していたハルシェイアは珍しく呆れたように、
「……父さんに殺されちゃいますよ」
と、ハルシェイアが世界で最も強いと思う人の顔を思い出して呟いた。
やっと、事態が動きました(汗