第7話「アステラルテの騎士」
「えっと…ここ、かな?」
ハルシェイアはメモに記された地図と実際の建物を比べながら呟いた。建物は高い壁に囲まれて、立派な門によって閉ざされている。門越しに見ると石造りの四階建ての古い四角い砦にいくつかの建物が付随していた。門横には、「騎士庁本部別館『騎士堂』」とある。
何故、ハルシェイアがこんな所にいるのか、それはデボネとの昨夜の会話に遡る――
「…ジグルットさんと改めて話したいんです」
それを聞くと、デボネは優しく笑った。
「それで?」
「今日、会わずに帰ってもらっちゃいましたし、それに――」
「それに?」
「――以前の私を知りたいんです…私は村の記憶も産みの両親の記憶もほとんどありません、だから――」
「――未来のためにも過去のことを知っておきたいのね」
「……はい」
ハルシェイアがはっきり答えると、デボネはそそくさと立ってペンと紙をとって何かを書き始めた。何が何やらわからないハルシェイアは戸惑った。
「あ、あの…?」
「ちょっと待ってね」
「あ、はい…」
その言葉通り、ハルシェイアは大人しく待つことにする。暫くして、デボネが肯き、
「できた、どうぞ」
と、その紙をハルシェイアに手渡した。
「えっと…これ?」
見ると、書かれていたのは簡単な地図のようで、幾つかの場所に点がついてその場所の名称が記されていた。
「騎士ジグルットが良く行くところ、もとい緊急連絡先一覧――うちにはエルケ、騎士ジグルットの妹が住んでいるから。大抵は騎士堂内か――あそこは寮もあるからね、あとは上級研究院いることが多いみたい。そこにも居なかったら実家だと思うけど…フランジの方だから少し遠いわね」
デボネは洒落っ気たっぷりに片目をつぶる。
「明日にでも訪ねてみれば?」
――ということがあったのだ。それでとりあえず、メイア、ジンスと寮近くの喫茶店で朝食をとった後、一人一番可能性が高い騎士堂へ来てみたのだ。
来てみたのだが…
(ど、どうしよう…)
ハルシェイアは躊躇っていた。別にここに来てジグルットに会う勇気が無くなった、というわけではない。門がある、その門は閉じているが右横の通用門は開いている。しかし、というか、当然というべきか、槍を持った衛兵が門の前に二人、通用門の所に一人、通用門をくぐったところに兵士の詰め所らしき小屋があった。
その兵士たちが門の前で佇んでいる少女を怪訝そうに見つめており、当の少女であるハルシェイアはその視線にちょっと臆してしまったのだ。
するとそのうち門の前にいた兵士の一人が、ハルシェイアのほうへと寄ってきた。
「何か騎士堂に用かな?」
「え、あ…はい、騎士ジグルットに会いたくて」
ハルシェイアがそう言うとその兵士は呆れたように溜息をついた。そしてぼやきながら言う。
「はぁ、またか…帰った帰った、騎士ジグルットは君のような子に会う時間は無い」
何が「また」なのかハルシェイアには分からなかったが、一応正当な理由はある。なので、ハルシェイアは控えめながら抗議の声を上げた。
「え…でも」
「ん?約束であるのかな?」
「あ…ぅ」
確かに約束はない。ハルシェイアが勝手に来ただけだ。
「なら、大人しく帰るんだな。そういえば…この間しつこかった女の子は一日牢屋で反省のあげく停学になったなぁ…」
兵士はわざとらしく脅しまでかけてくる。ハルシェイアはその気がないのにも関わらずそんなこと言われて、流石にちょっと腹が立ったが、それ以上に困ってしまった。しかし、在、不在ぐらいは聞きたくて、
「あ、あの、騎士ジグルットは騎士堂に今いらっしゃるのですか?」
と聞いてみたが、兵士はそれを聞いてまた溜め息をついた。
「なぜ君に言わなくてはいけないのかね?…とにかく、逮捕されたくなければ早く帰ることだ」
「で、でも…知り合いで」
「君みたいな子はみんなそう言う…しかし、しつこいな君は」
業を煮やした兵士は、ハルシェイアの腕を乱暴に掴もうとした。
(っ!)
「え?」
しかし、次の瞬間、地面に倒れているのは当の兵士であった。兵士は何が起こったのか分からず目を白黒させ、他の兵士達も呆気にとられたが、事態を認識すると一気に緊張した。ハルシェイアが条件反射的に伸びてきた腕を掴み一気に投げ倒してしまったのだ。
「あ…」
一拍置いてからハルシェイアは自分がものすごい失敗をした気が付いた。
「あの…ご、ごめんなさい」
動転したハルシェイアは一歩下がって頭を下げて謝ったが、もう許してくれるような状況ではなかった。門前に居た一人が槍を突きつけながら近づいてきており、もう一人が詰め所に呼びかけていた。
(これは…けっこうまずいことに…?)
護身用に小型の隠しナイフは持ってきているが、流石に使うわけにはいかない。逃げるべきか、大人しく投降するべきか――それとも…そこまで考えて心中で首を振る。そんなことをしたらこの街に居られなくなる。そうやって判断を迷っているうちに兵士は3人から6人、倒してしまった兵士も槍を杖代わりに立ち上がるところだった。
空気は剣呑である。ハルシェイアはもう混乱してどうして良いか分からない。神様なんて信じていないハルシェイアだったが、誰かに祈りたい気分だった。
その時だった。願いが通じた…のかもしれない。
「これは…何の騒ぎですか?」
通用口から出てきた男が不思議そうに兵士達に訊ねた。20代前半頃の長身の男で黒く長い髪を後ろで束ねていた。十分、美青年と言えた。軽装だったが剣を下げており、騎士堂から出てきたことから騎士なのだろう。
(あ、あれ…この人、どこかで…?)
事態が変わったことに少しホッとしつつ、出てきた男に既視感を覚える。が、思い出せない。
「あっ、これは騎士シブリス。また騎士ジグルットのファンが…」
「ああ、なるほど…僕のファンなら大歓迎なんですが。しかし、それにしては雰囲気が悪くないですか?」
「あ、いえ…」
流石にこの兵士は仲間の兵士が小柄な少女に倒されたことを彼の名誉のためにも、またその光景に現実感を覚えていない所為もあるのか、口ごもった。
それを見たシブリスは不思議そうに首を傾げる。
「?」
そして、彼はハルシェイアを見て、瞠目した。そして、心底驚いたように声を上げる。
「中佐、なんで…ここ、に?」
「え、中佐…?あ…」
その言葉に周囲がざわめく。そして、愕然としつつ、ハルシェイアはそこで自分を中佐と呼ぶ目の前の騎士が誰だが思い出していた。
「あ…あの…?アデルフィーン男爵?」
フルネームはシブリス・コムアス(男爵)=アデルフィーン、ジャヴァールの位では大尉一等騎士。ジャヴァール帝国大将軍――人臣ではジャヴァール軍の最高位――ブランデル・エルムド(侯爵)=アデルフィーンの次男であった。一度、戦場で一緒になったことがあった。
互いに何でこの人がここに居る?と、固まって動かないジャヴァールの二人。今度は兵士達がどうしていいのかわからなかった。
「それで中佐…ではなく、大佐になられたのでしたね…なぜこのアステラルテにおられるのですか?」
あの後、場をシブリスに取りなしてもらい、ハルシェイアは無事中に入ることができた。今はジグルットのいる第一訓練場へ向かっていた。
しかし、だというのにハルシェイアの気持ちはいまいち晴れていない。
「あの…大佐って呼ばないでください。敬語も…私は単なる留学生…なので」
理由は目の前のシブリス――というよりも、ここに来る前の自分を見て知っている人間。もっともこの気のいい年上のお兄さんが不用意に言いふらすとはハルシェイアは思っていない。もちろん何かの拍子で喋ってしまうかもしれないが、それは彼の責任ではないわけで、ハルシェイアの中での問題であった。
「…敬語というか、丁寧語は地なんですが…では心持ち、ということで良いですか、エステヴァン子爵?」
そう言ったシブリスの口調は既に自然体に柔らかくなっていた。それに、ハルシェイアは安心した。
「あの、爵位も…ハルシェイアでお願いします…えっと騎士シブリス」
「僕も呼び捨てでいいですよ、ハルシェイア。それで、留学ってジャヴァールからわざわざ…ってこれは僕が言うことでもないですね」
「あ…じゃあ、やっぱりシブリスさんも?」
「12の時に」
シブリスは何故か苦笑いしたよう顔で肩をすくめた。本人が言ったようにわざわざ遠いジャヴァールから留学しているのだ。ハルシェイアのように何か思うことがあったのか、何か事情があったのか…ハルシェイアは訊ねなかった。
「でも…エーデレユスとの戦いの時…」
「一時帰国ですよ。祖国の大事な時に次男とは言え大将軍の子供…学んだことを活かしてみたいというのもあって、休学して参戦してんです」
「あ、そうか、それで…」
ハルシェイアはシブリスの説明に納得した。そういえば、と凱旋式や皇帝戴冠式で彼の姿を見かけなかったことを思い出す。
(あの時にはもうこっちに戻っていたのかな?)
「そう、それで。しかし、あの皇太女殿下がよく君を手放しましたね」
「エディにはなんとか許してもらって…」
それが一番大変だった、とまではハルシェイアは言えなかった。養父母は最初こそ驚いて止めたものの、すぐに後押ししてくれた。義兄(養母の連れ子)はそもそもハルシェイアには興味がない。両親の賛成もあって皇帝陛下の許しもすぐに出た。最後まで反対したのはハルシェイアより四歳年長の皇太女のエディ――ジャヴァール王国五代国王にしてジャヴァール氏によるモルゲンテ帝国初代皇帝ルネスの長女、皇太女エディスティン・ラルス・ジャヴァール――であった。結局、最後にはそのエディも折れて、晴れてハルシェイアはこのアステラルテへ出発できる運びとなったのだ。
そこまで思い出してハルシェイアは軽く微笑んだ。色々あったが、どちらにせよエディが部下としてだけではなく友人として思いやってくれたのが素直に嬉しかったのだ。
そんなハルシェイアを不思議そうにシブリスが見下ろしていた。それに気が付くと、ハルシェイアは居住まい正す。
(そういえば――)
と、ハルシェイアは先ほどから気になっていること訊ねてみることにした。
「…そういえば――なんでシブリスさんはアステラルテの騎士なんですか?」
それが不思議だったのだ。シブリスが二重に騎士なのか、と。
騎士は一言に騎士と言っても大きく分けて二つの意味が有る。一つは実態の有無を問わず身分としての騎士、二つに実態のある特権的軍人としての騎士。もっと昔には一社会階級としての騎士も存在したが現在は有名無実と化して久しい。
ここでハルシェイアが言う騎士とは軍人としての騎士である。シブリスはジャヴァールでは一等騎士の身分と権限を得た軍人であったし、アステラルテでも今、ハルシェイアが見た感触では兵士達に名誉的ではない実態的な力が働いているように思えた。一階級として、騎士が働いた時代においては複数の主をもったこともあったようではあるが、ここでは時代も場合も違う。なので、ハルシェイアにはこれが疑問だったのだ。
「ああ、それはですね、この街では市民権や領民権を持っていなくてもアステラルテ市内の学校に在籍または卒業して十年以内の者は公職に就くことが出来るんですよ。この街は歴史的に外部の優秀な人材を取り入れて発展してきた…ということらしいですね」
ハルシェイアはそれを聞いて納得する。こうやって留学生にも公職の門戸を開き、それによって自動的にそのものには市民権が与えられる。都市民として定着する。仕組みはわかりやすかった。しかし、彼女はそれとは別に感想を持った。
「……諜報活動、しやすそう」
「…まったくですね」
ハルシェイアの率直な呟きにシブリスは声を潜めて苦笑しつつ首肯した。その後、さらに声を小さくして茶目っ気たっぷりシブリスが言う。
「“夜烏”や“舞雀”を寄越さないでくださいね、大佐殿」
「…動かさないし、休職中なので動かせないし…それに“舞雀”はどっちにしても、私の権限では動かせない。えっと、大尉殿、と返したほうが…?」
シブリスが頷くように微笑んだ。
2013/06/09 脱字修正
(誤)「それで中佐…ではなく、大佐になられたでしたね…なぜこのアステラルテにおられるのですか?」→(正)「それで中佐…ではなく、大佐になられたのでしたね…なぜこのアステラルテにおられるのですか?」