第6話「宴」
その夜、アステラルテの市壁内でも東縁部に近いある住宅街。少し古くなって荒れているものの舗装された石畳で覆われた細い道に、似たような小さな住宅が並んでいた。
人は誰も通らず、辺りも寝静まり何の音も聞こえない。闇という湖に沈んだようであった。
その変哲もない住宅の一つ。そこは外見は他とほぼ変わらないし、一見すればすでに寝静まっているように見える。しかし、深夜にも関わらず一段上がった場所にある扉には鍵がかかっておらず、また魔法に敏感なものがそこまで近づけば「遮音の結界」がかかっていたことに気が付いたはずである。だが、幸か不幸か、それらに気が付いた者はいなかった。
中を覗けば…そんな静寂とは無縁の世界、鉄臭さと生臭さ…壁にはべったりと血がこべりつき、四人の人間がいた――いや正確には、2人の生者と3人の死者、である。
立っているのは男のみ…禿頭に病的なまでに青い肌、やせこけた顔、瞳には狂気に満ちていた長身の男。右手に大剣を持ち、返り血を浴びて、左で何か掴みそれを食いちぎっていた。
「や…や、めて…」
男の足元には若い女がか細く息も絶え絶えに声を出した。仰向けに倒れ、表情は悲しみも痛みも恐怖もすべて通り越したように呆然とし、顔は血と涙濡れていた。そして、生きているのが不思議なぐらい腹部には大きな穴が開き、命が刻々流れ出るように血が溢れてきていた。
女にはなんでこうなったのは分からなかった。結婚して、子供ができて、郷里に残してきた母とこちらで同居も決まった。今日の昼、その母がやってきて、夫も交えて夜遅くまで話が盛り上がった。そこまでは幸せだった。すごく幸せだった。
それが変わったのは来訪を告げるノックの音。こんな時間に?と夫が警戒しつつ、扉に向かった。その直後だった。扉の方から獣の鳴き声のようなものが聞こえたのは。
そして見に行った…そこで見たのは真っ赤になって床に倒れた“何か”と、知らない男。
そこで女はわかってしまった、理解してしまった――殺人鬼だ、と。自分には関係ないと思っていた。なのに、そう思った瞬間、自分の顔に熱い液体がかかった。床に何かが落ちて転がった。それは母の顔をしていた。
その時、男が何か呟いたが、女自身の悲鳴にかき消されて聞こえなかった。もっとも、例え聞こえたとしても女には既に理解する思考もなかった。ただ逃げなければ、自分のためにも、お腹にいる子供のためにも。
すぐに裏口に向かおうと男に背を向けて逃げる。が、すぐに背中に鉄を当てられたような熱さと激痛が走り倒れ込むが、咄嗟にお腹を庇い仰向けになった。男は慌てることなく、まるで作り物のように口だけで笑うと、無言でその腹に剣を立てた。女が泣き叫んでも、やめず腹をかっさばくと、お腹に手を突っ込み、それを引きずり出した。
それは目の前で男が食らいついているそれ。幸せの象徴だったはずのそれ。何よりも大切にしていて、されるはずだったそれ。そうそれは――
「や………めて、食べ、ない、で…私の…赤、ちゃんっ…!」
男はその言葉に一瞬、動きを止める。そして、見下ろす女に言った。
その言葉に意味はない。そんなことは訊いてもいない…でも、男は言った。
「オレ、つよいだろ?」
それが、子供のように自慢げに笑った殺人鬼の顔が、薄れ行く意識の中で女が見た最後の映像だった。
某友人には、こんなの残酷描写じゃない、温い、とか言われそう…。
どうでしょうか。