第10話「ヴェルツ・ライネル事件」
聖暦五三二年十月二十五日、「ヴェルツ・ライネル事件」と呼ばれたアステラルテのその後を左右することとなる重大な事件は、たった一人の貧しい労働者の死、いや殺害が発端となった。殺されたのはヴェルツ・ライネル、ライナ伯国系移民の二世で教会被官人として同じくライナ系教会被官人身分のアザラ商会の労働者として働いていた男だった。
事の次第は次のようなものだ。殺害される三日前(十月二十二日)、ヴェルツら仲間数人は、レガー通りにあった某飲食店において、現市長の甥で、市警本部総長デナハート・グラニートの次男ネラス・グラニートら数人に侮辱されため、ネラス等に暴行を加えた。それは駆けつけた警衛兵たち(このうち一人をアラス・マルベイに比定する説もあるが不詳)によってその場は抑えられることなる。この時は双方に非があったと判断されその場では何事も起きなかった。
しかし、当時アステラルテ大学政治学科一年で、移民排斥論者でもあったネラス・グラニートはそのことを逆恨みし、三日後の夜、家人や縁故のあった現役警衛兵等数人とヴェルツ・ライネルを探しだし、彼に私刑を加えた上で殺害した。その遺体は翌朝には発見される。
その行為を目撃した者も居たのだが、その証言は意図的に黙殺され、市警本部が下した見解は『仲間内での乱闘の末の殺人』。遺体発見の翌日、二十七日には犯人としてヴェルツの労働者仲間で、先の暴行事件にも関わった三人を含む七人が逮捕された。
もちろんそのようなことで事が納まるはずはなく、その当日には七人が拘留されたルーベイ区警へ容疑者と親しい者やライナ伯国系移民、その他縁故の教会被官人達が殺到し七人の解放とネラスの逮捕を主張し、一方でヴェルツの雇い主だったアザラ商会は教会を通して聖堂派議員に七人の不当逮捕とネラスの父親であるデナハート市警本部総長の弾劾を訴えた。
しかし、さらに翌二十八日、市警本部は総長の命により衛士隊を出動させ、区警前に集まっていた群衆を強制的に排除、双方にけが人が出て、数人がさらに逮捕されることとなる。この“弾圧”は瞬く間に広がり、城内・城外を問わず移民系住民が集まり、その二日後(三十日)には市警本部が取り囲まれる事態に発展した。その際、城外軍門兵隊は門を群衆に開放しており、この急激な抗議活動の広がりは聖堂派である城外軍にパイプを持つ教会が裏にいたという指摘もある。
十一月一日、市警本部は騎士庁、並びに騎士団に対して問題解決を訴えるが、騎士団は動かなかった。二日、デナハート市警総長の長男が騎士団長を務める第三騎士団が団長の独断で出動し、それをやはり専断で動いたジグルット・カティ円卓騎士が率いる第十円卓衛兵隊他、第二、第五、第十二円卓衛兵隊が教会兵と連携してそれを停めるという椿事も起きている。
結局、三日になって議会はデナハート市警総長の非を認めて罷免を決定、司法院はネラス等事件に関わった人間の逮捕を騎士庁に通告、即日第一騎士団がネラス等を逮捕した(同時に第三騎士団長は騎士庁第二資料室長に降格左遷される)。
この事件は学堂派でも排斥主義者と呼ばれる過激派の暴走とも、そういった傾向のある人間による私怨による事件とも言える。しかし、この事件の後々への影響は大きく、学堂派全体が大きく圧迫され、アステラルテ市内における聖堂派、ないし教会の台頭を許すこととなり、約三年後の学聖動乱の近因となっていくことになる。
〔聖暦八二二年版『アステラルテ市史』通史編巻一より抜粋〕
もちろん上のことは後々の歴史家により叙述されたことだ。残された種々の史料から考察などを加えて再構成されたものに過ぎない。歴史とは常に仮説であり、全体の一部であり、曖昧模糊とした何かなのだ。
だから、歴史の中でその事件に立ち会った万人にはその数だけの視点が存在し、その多くは未来へ向かって剥落していく。社会総体としては別としても、それら一つ一つの断片は既に後代の歴史家たちには埒外のことであり、もし取り上げられるとすれば小説家たちの虚構の中だけである。
この時の、この事件におけるハルシェイアもそのような断片な側の人間である。比較的中心に近くいたが、深くは関わることのないその他大勢の一人だ。
そういった間接的、直接的にこだわらず当事者達にとっては後々の歴史などとは全く関係ないことだ。そこで日々暮らしていくしかないのだから。
そして、何を言いたいかとといえば、要するに例え歴史に残されることがなくとも、彼らにとって大変なことは大変なのだ、ということだ。
話は未だ区警前の弾圧の後、城壁内へ入るための各門へ民衆が終結しつつあった十月二十九日のルーベイ区警第六警衛小隊屯所でのことだ。
刻は既に夕刻。
「………」
「………」
「………」
現在、第六警衛小隊屯所内にいるのは三人、ハルシェイアとアルテとバガルである。そして一様に疲弊したように机へ突っ伏している。
「……え~と、今のは大司教、宛…だっけ?」
「違いますよ、それはもう終わりました。今のはタゲリューズ議員……」
机に頬を付けたまま気が抜けたような声でアルテが訊ねると、気怠そうにちょっとだけ顔を上げてバガルが答える。そしてまた突っ伏す。
ハルシェイアはそんなやり取りを聞いてはいたが、疲労はピークに達しており顔を上げることができなかった。
何故、こんなことになっているのか。
理由は簡単だ。ヴェルツ・ライネル殺人事件とその関連の騒動に伴い、発端となった暴行事件について改めて調書を作ることとなったのだ。しかも何通も。
「なによ…お偉いさん同士で見せ合うなり、写し合うなりすればいいのよ…」
そう、そういうことなのだ。市警、騎士庁、司法院、議会だけではなく、制度上、公的機関に資料請求が出来る機関・人物がこぞって調書を欲したのだ。具体的には教会や大司教個人、各議員などだ。
そのために目撃者に再度確認や、新たな証言者探し、その上で調書を改訂して関係各所へ配布…これが何通もだ。さらに言えば、並行して証言を集めている。そして新たな証言が出れば追加分を同じ数だけ作成しなくてはならない。
そんな作業を元から少ない人数でこなさなくてはならないので、学校が休みの日の今日、ハルシェイアも朝からずっと机に向かって報告書作成を強いられていた。
ただ作業自体は昨日からであり、定時で帰れるハルシェイアと違い、他の正規のメンバーは誰も帰れない状態になっている。ちなみにここに居ない隊長と副長代行は通常の巡回に加えて証言集めに出ているが、これもローテーションで休みは殆ど無いのだ。
「え~と…あと…なんだっけ?」
「なんでしたっけ?」
アルテとバガルの疲労の色は非常に濃い。もう限界に近い。今居ない二人もハルシェイアが見た限りそのような様子だった。
「あの…次はイバーフ議員の、です…」
「あ~そう、だったわね…――あ、でも、こんな時間だし――」
とアルテが壁掛けの時計を見れば、四時半を回っている。そして、軽く嘆息。
「ハぁ~、とりあえず出来た分を届けに行った方が良いかな。隊長達も帰ってくる気配もないし」
紛糾している議会が何時終わるか分からないが、一旦閉会となると、各議院の屋敷に直接届けなくてはならなくなる。今ならまだ議会の受付で一括して渡せるはずだ。
調書の写しは現在、十通分。昨日と午前中で主要機関への提出が終わっているので、全て個人宛で、議員――比較的大物の――が九通、教会――大司教宛が一通だ。
「確かにそうですねー、えぇ」
バガルが非常に面倒くさそうにアルテの意見を肯定する。そして、アルテも面倒くさげに頬杖をついた。
「はぁ、そうよね~じゃあ…、そうしようか」
気怠そうに言った後、アルテは一拍をおいて言葉を続ける。
「ん、じゃあ、ハルは私と議会院へ。バガルは留守番で隊長達が帰ってきたら、聖堂の方へ」
「えー留守番ですか…」
居残りと聞いたバガルが軽口を叩くが、アルテは何故かニヤリと笑う。
「休憩していてもいいのよ。まぁ仕事したいってなら別だけど」
「あぁ~…留守番で良いです」
「よし。で、ハルは?」
「ハイ…大丈夫、です」
そう言うとハルシェイアは机に立てかけていた愛刀に手を伸ばす。これさえあれば、あとはすぐに出ることできる。
「うん、じゃあ行こうか――と、その前に包んじゃわないとね」
アルテは言いながら報告書の束を封筒へ入れ始めたので、ハルシェイアもそれを手伝う。素早く九通の調書を一つ一つ封筒に入れ、その後大きな二つの封筒にそれらを分けて入れた。五つ入った方をアルテが、残りをハルシェイアが持った。
「じゃあ、行きましょうか。ハル、忘れ物ない?」
「えっと…平気、みたいです」
「じゃあ、改めて行きましょうか。じゃ、バガル、あとよろしくね」
バガルに手をヒラヒラ振りながらアルテはカウンターを回って入り口から出て行く。
「はいはい、いってらっしゃい」
「あ、いってきます」
ハルシェイアもぺこりと残るバガルに会釈をしてからアルテの背中を追った。
お久しぶりです。
そして、にもかかわらず半端内容で半端なところで切ってしまい申し訳ありません。
切り所がここしか思いつかなかったorz
しかも今回、投稿しようと見なした際、日本語として成り立っていないところも多くて、何か体調が悪いときに書いた時よりもひどいぐらいという有様。
必死で直したのですが…間違っている所があれば指摘お願いします。
一ヶ月ほど空けたのに、あんまり書き溜め出来なかった…。うーん。
頑張らねば。
では、よろしければ、また次回。