第7話「戒め」
最初の方は少しややこしい説明文となっております。
ご了承下さい。
そして事が終わり、野次馬も閑散してきたとき、ハルシェイアは店の聞き込みを終えたアラスに訊ねた。
「あの…、結局、どういう事、だったのでしょうか…?」
まだハルシェイアは事件の全体像が見えていなかったのだ。というのも、野次馬達は「喧嘩だ」と言っていたような気もするのだが、ハルシェイアが実際見たのは結局片方が一方的にのされている様子だった。
そんなハルシェイアの疑問に対するアラスの答えは少し唖然としてしまうものだった。
「喧嘩、だな、一応。しかも、最初に喧嘩をふっかけたのは、叩きのめされた方だったらしい…」
「……、えっ?!」
一瞬、理解が遅れた。それは、言っては悪いがあまりにも間抜けすぎるし、同情も出来ない。
「酒の勢いだろうが、あいつらは生粋の城内人、それも過激な思考の大学派の学生で、ライナ伯国出身の労働者である連中を訛りや生まれをからかったらしい――それであの始末だ」
体力のないお坊ちゃんたちが筋骨隆々の肉体労働者に勢いで喧嘩を振ったらしい。なんともはた迷惑な話だ。
大体の経緯は分かったが、その中で聞き慣れない単語があった。
「大学派?」
当然、何かの派閥なのだろうが、政治的なものなのか、それとも学問的なものなのか検討がつかなかった。
「ああ、そうか。この街に来て日が浅かったな」
アラスは頷くと、丁寧に説明し始めた。
簡単に言えば市議会内の派閥争いの二つの派閥ことである。
このアステラルテ市政の最高機関は市議会であり、現在、その議会は大きく大学派と聖堂派、それに中立派に分かれ、そのうち大学派と聖堂派が対立状態にあるのだ。この対立、もう長年、すでに子、孫と世代を重ねて続いているのだが、元々は半世紀以上前の教会被官人課税問題に端を発している。
当時、近隣のレヴィナ王国とデナイ大侯国がデキ地方の旧貴族領を巡るデキ紛争が起きていた。その争乱の余波を懸念したアステラルテは鎮圧・仲介のために教会軍と共にデキ地方に出兵。その際、当初の想定以上に出兵が長引き、それと共に戦費がかさむこととなってしまう。結果、財政を圧迫、そのため財政の回復を目指して様々な政策がなされたのだ。その一つがそれまで課税対象では無かった教会被官人に対する課税措置だった。
教会被官人は古くは聖奴とも呼ばれ、戦乱等で教会に保護された難民・孤児が教会で奉仕を行ったことに端を発し、現在は一つの身分として確立し世襲も多い。そして、その籍はイステ教会が管理し、例えどこに住もうとその土地に税を払う義務はなく、教会への奉仕・寄与がその代わりとなる。
しかし、教会被官人の中にはその身分のまま、高位の僧侶や教会騎士を輩出する家や、教会の庇護やネットワークを用いて財を為す者も多く、このアステラルテにおいては後者の数は比較的多い。またそう言う者でなくとも教会の後ろ盾により安定した生活を送っている者も少なくない。
当時、改革を担っていたアステラルテ市議会議員の一部やアステラルテ大学を中心とする学者たちはこれに目を着けたのだ。
しかし、当然、この動きは実際の課税対象になる教会被官人や既得権益を奪われかねない教会の反発を招き、これを受けて教会に近い議員達が反対を表明、議会を二分する騒ぎとなった。結局、この時は教会被官人たちが市に対して善意の寄付を行うという形に納まり、恒久的課税処置までには至らなかった。このため両者のわだかまりが残る形になってしまったのだ。
その後もこの五十年強の間、アステラルテ大の政治学者を中心に課税すべきの論が何度も出されて、それに応じる形で議会にも何度も法案が提出されたが、そのたびに反発を受けて流れるということを繰り返している。
こういった中で大学派と聖堂派と呼ばれる二つのグループが形成されていったのだ。
ところが、時代とともに別の問題がそこに加わる。移民問題だ。
元々、学園都市・交易都市という性格上、人の出入りが激しく、また外部の優秀な人材を取り入れて、代々の都市貴族とともにエリート層を築いてきた。それはエリート層に限らず、西部アルナジェン最大の都市であるアステラルテには労働従事者や行商人、傭兵などの流れ者たちを引き付け、その一部は定住することも多い。さらに外部から来たエリート達の中に郷里の知遇をアステラルテに招き便宜を図る、といったようなことも行われ、そういった者達は故郷との交易などで商業面における成功者となったものも少なくない。
そして、そういった移民系住民の少なくない数が教会被官人の立場で活動している。税よりも安い奉納金や奉納物、奉仕等によって、市民とほぼ同等の受益を得ているのだ。
このように移民系の人々が増えた結果、元々の市民と様々な軋轢を生むこととなった。結果、市民の中、とくに中・上流層の若者たちが市民至上主義とも言える思想に迎合し旧来の都市貴族が多い大学派と密接になり、その一方で貧しい移民系住民は喜捨などを通じて自分達の代弁者として教会へ帰依し、また故郷を同じくする移民系エリート層を巻き込んで聖堂派支持を強めていくこととなる。
また近年ではイステ教会が汎アルナジェン的に教会の影響力を強める傾向にあり、アステラルテ大司教と聖堂派がそういった教会の活動のアステラルテにおける窓口になっている面もある。それにより、独立志向のある旧来市民の反感を買い、新たな火種になりつつある。
それはともかくとして、こういった派閥争い影響は議会のみならず各所に見え、例えば治安組織では市警が大学派、城外軍が聖堂派の影響が強く、また大学ではアステラルテ大学と東大学が大学派、聖学堂大学が聖堂派に属している。
最近ではアステラルテ大学や東大学の古い市民の家系出身の学生の中には外来人の排斥を唱える者も少数ながら存在し、そこまでは行かないものの何らかの規制をかけるべきだという論調も少なからずあり、今回の事件もそういった背景があるのである。
(……平和、って思っていた、けど…色々と事情、あるんだ…)
説明を受けたハルシェイアは一見平和そうに見えた街の一面を知って、少し認識を改めるべきだと思った。
「――それよりも、だ」
一通りの説明を終えたアラスが語気を強めた。それが自分に向けられたことに気がついたハルシェイアはびくりと肩を震わせた。
「さっきのは良くないな」
「…あ、あの?」
「容疑者に白刃を向けたことだ。何故か、わかるか?」
やっぱりと思う。あの時は身体が反射的に動いてしまったが、またやってしまったとハルシェイア自身思っていた。そして、率直に答えた。
「……危ない、から?」
「……正解でいいだろう。だが、ハルシェイア、誰が危ないと思った?」
「容疑者の人、が…?」
何故、わざわざそんな聞くのだろうと首を傾げる。刀を向けられたのはあの男だ。だが、そのハルシェイアの答えをアラスは否定する。
「違うな」
「え?」
「危ないのは、君の方だ――君の身の安全だ」
「……あ」
「君は事務員として雇われて、武器は自衛のためだ。犯人の捕縛は君の仕事ではなく、私の仕事だった。さらに言えば、必要以上に容疑者を危険に晒したり市民に恐怖を与えるようなやり方はアステラルテでは推奨されない――ここはジャヴァールではない」
そのアラスの言葉はハルシェイアが完全に失念していたことだった。今の自分は臨時の事務員、それも中等部に入ったばかりの少女に過ぎないのだ。
さらにそのアラスが最後に言ったことが気になった。言われた瞬間、何かヒヤリとしたものが背中を走ったのだ。
(ジャヴァールでは、ない…?それって……)
「隊長…あの、もしかして……私の、こと…?」
「――あぁ、悪いとは思ったが、この間の事件の後、調べさせてもらった」
「………」
迂闊だった。それはそうである。目立ち過ぎた。調べられるのは当然だった。
ハルシェイアは思わず立ち止まってしまう。そんな様子を見せた彼女にアラスは同じく立ち止まって言う。
「一つ聞く。この街に来たのは任務か?」
「……いえ、本当に留学です」
「そうか、ならいい」
それだけだった。アラスの鉄面皮は読みにくい。信用してくれたのか、それともこの場はそういうことにしてくれたのかはわからない。
(でも…そっか、…他の人から見れば、任務、って見られちゃうこともあるんだ…)
初めてそんなことに気がつき、今更ながらハルシェイアは自分のことをよくしらないのだということを痛感する。ジャヴァールでのハルシェイアを知っている人間から見れば、ジャヴァール軍の大佐で、皇太女の懐刀で、独立近衛連隊隊長…そんな人間が帝国から遠く離れた地に単独でいることのなんと不自然なことか。
「………」
「どうした?」
「…あ、あの…その……、そういう風に、任務とか、そんな感じで見られちゃうん、だな…って…」
そこで、アラスが何故か実感のこもったような溜息をついた。
「……意外と自分では気がつかないものだ。そういうことは」
「そう、ですか?」
「私も意外と有名らしいからな」
おそらく先ほどの事件で逃げようとしたライナ人の労働者が自分の顔と名前を知っていたことを思い出したらしい。
そう騎士アラスは有名だ。そのことをハルシェイアは断片的にシブリスや昨日アルテに聞いて知っていた。一兵卒からたたき上げでありながら盗賊退治やエンコス遠征で活躍し、騎士叙任まで到った実力の人。それはハルシェイアが思ったアラスの第一印象と期せずして同じ、いや必然的に同じというべきかもしれない。
“強い”――むしろ“勁い”。頑強な大きな岩のようだと思った。それは養父に感じる物と似る経験に裏打ちされた強さだ。
「アルテさんも、シブリスさんも凄い人だって、言っていました。私も、最初会ったとき、強い人だと、そう、思いました」
「買いかぶり過ぎだ。魔法もろくに使えないし、学もないからな――だが、その言葉は有り難く頂くとしよう」
アラスの精悍な顔が一瞬だけで和らいだ。きっとこれがかれの微笑みなのだろう。
それに気がついたハルシェイアは何故か逆に恥ずかしくなって頬を赤らめたが、すぐに訊かなくてはいかないことを思い出した。
「あ、あの…そういえば…その…私のこと、みんな知っているのですか?」
「私のこと…?ああ、ジャヴァールでの君のことか?」
「あ、はい」
「知っているのは私とアルテ伍長だけだし、必要がなければ話すつもりもない」
普通に接してくれたアルテの名前が出てきて、少しハルシェイアは驚いたが、同時に詮索しないでくれたアルテに対して素直に感謝したかった。
「ありがとうございます」
「いや、構わない。調査させた人間が言うことではないが、人の出自を勝手に喋るものではないからな――」
そこまで言ってアラスの雰囲気が変わる、冷たいわけではない。だが、とても真剣で、静謐で、より重厚な感じに。なにか嫌な予感がする。
「――だが、二つ…いや一つだけ、聞きたい」
「……」
ハルシェイアの背中がぞくりとした。
そうやって発したアラスの声も雰囲気に合わせるように変わっていたからだ。低く静かなのに空気を震わせるような重い声。こんな声で話されることだ。きっと凄く重要なことで、そして、きっと重たい話だ。
だが、続けてアラスが言ったことはハルシェイアの想像を超えていた。
「一月半前の事件、犯人を殺したのは君か?」
「…っ?!」
まるでそれこそ切っ先を突きつけられたようなそんな感覚だった。背中を冷や汗が伝う。
「もしそうであるならば、私はハルシェイア・ジヌールという少女を捕縛しなければならない。そして、状況的に正当防衛は認められない……」
そうなのだ。あの犯人が死んだのは城外、それも深夜だ。城内の学校に通う城内の寮に住む少女があんな所に居るわけがない。居たとしたらそれは何らかの目的があってのことだ。さらに言えば、その少女は並の少女ではない。正当防衛は成り立ちにくい。
アラスの質問は、その形さえ問いの形をとってはいるがほぼ断定と言って良かった。
そして、それは正解なのだ。
ハルシェイアは犯人を殺しに行ったのだ。子供じみた安い復讐心に駆られて。奪われた“小母さん”との再会の代替行為として――殺しに行ったのだ。
それは曲げることの出来ない事実であり、明確な不法行為。最も有名な重罪、殺人罪が当然に適用される事例なのだ。
そんな簡単なことを今更、彼女は思い知る。自分は法的に立派な殺人犯なのだと。
(私、は………?)
愕然とした。自分の意識の低さに、殺人を通常化する思考に。それを変えることがこの街に来た一つの目的だったはずなのに。
「私…、私…、私…」
相変わらず人を殺すことに罪悪感は湧かない。だが、法を犯してしまったことに初めて酷い罪悪感と嫌悪感を抱いた。同時にこの街で会って、彼女に仲良くしてくれた、よくしてくれた色々な人たちの顔が思い浮かぶ。
軽率では済まない行為。そんな事実をまさに突きつけられた瞬間だった。
「答えは?」
この一言、万の敵兵を惨殺した死神はたった一言で追い詰められた。ハルシェイアは体を震わした。目の前の男を斬って何食わぬ顔で逃げる、そんな発想はそもそもない。
だから。
「私っ……、わたし…私が、私が、殺した……殺したくて、殺したんだ……」
消え入りそうな、それでいて透き通ってハッキリ聞こえる声でハルシェイアは認めた。
その瞬間、何かが終わった気がした。いや既に破綻していたのだ。それを気がつかされただけ。
(ごめん、メイア。ごめん。ジンス、ベティ…ごめん――みんな…)
ハルシェイアは項垂れた。しかし、不思議と涙は出なかった。そんな資格は自分にはないと思ったのだ。
その様子をじっと見つめていたアラスは深く、ただ深く息をついた。
そのアラスの長い息にゆっくりハルシェイアは顔を上げた。その半分泣いているような顔にアラスが厳粛に告げる。
「そうか。なら貴様は市法で裁かれるべきだ。そう言う行為をした――」
「…っ」
改めて説かれて、体が震えた。反論は出来ない。理屈でも感情でも。認めることしかできない。
だが、アラスはそんなハルシェイアの様子に反して何故か表情を緩めて、こんなことを付け加えた。
「――本来なら、な」
「………え?」
「状況証拠と自白のみ。アステラルテの法ではこれだけは立件できん。それ以前にすでにあの事件は犯人の自滅で片がついてしまっている……公式にはそんな殺人事件は発生していない」
一瞬、ハルシェイアの理解は思いつかなかった。
(つまり……逮捕、されない?)
だが、ハルシェイアは喜べない。無かったことにはならないことを実感していたからだ。
そして、逆を言えば、事件として公にされていれば、容赦なく職務として捕縛していたということだ。
「その…」
「……次はない。自分がやったことはそう言うことだと自覚しろ、言いたかったのはそれだけだ」
「はい……」
その言葉はハルシェイアの胸に重く突き刺さる。これは見逃されたわけではないのだ。自身の罪を直視し、反省するというのが刑罰の一面だとするならば、その点においては刑が執行されたのも同じ事だ。それがアラスの意図なのだろう。
(だから…)
だとするなら、この仕事、続けるわけはいかない。ハルシェイアはそう思った。
「私、仕事…」
だが、アラスはそんな彼女の言葉を遮った。
「このまま、続けることだ」
「でも……」
「強制はしない。償えとも偉そうなことは言わない。だが……」
そこでアラスは言葉を切った。あまり話し上手ではない様子のアラスのことだ、「償い」という言葉を先に使ってしまったので上手い言葉が出てこなかったのかもしれない。
少しでも市民の安全のために役に立つべきだ。そういうことなのだろうとハルシェイアは思った。
そして、続ける言葉は
「……あの、働かせて、いただけるなら…働きたい、です」
「そうか…ならいい」
その話はそれで終わりだった。それだけ言うとアラスは歩き始めた。ハルシェイアはそれをただ追った。
これはハルシェイアの心に一つしこりが出来た瞬間だった。この夜のことはきっと彼女は生涯忘れない。一生、戒めとして呪いとして悔恨として、思い出すことになるだろうし、そのたびに苦しく悲しい気持ちになるだろう
これはアラスが与えた厳しくて、それでいて優しい刑罰だ。それをハルシェイアは噛みしめる。
そして、ハルシェイアの心に何か新たなものが生まれ始めた瞬間でもあった。
これより後、六年してハルシェイアが帰国するまで、この第六小隊での彼女のバイトは続くこととなるが、それはあくまで後々の話である。
二週間ぶりです。お待たせして申し訳ありません。
今回は前半でグダグダとアステラルテの派閥争いを、後半で第一章で落としていたことで入れておきたかったことをここで入れてみました。
まぁ、なんと言いますか、一章のハルシェイアは正義の味方でも何でもなく、極論単なる危険人物で、殺人犯なわけです。
そんな事実を突きつけてみました。
反省点はもう少しアラスに叱ってもらっても良かったかなぁと言う点。
うーん、精進します。
次回は出来たら一週間後にしたいですが…未定です。すみません。
よろしければ、また次回に。