第6話「アラスと一緒」
ハルシェイアが外に出ると時刻は六時を過ぎて、夕陽が殆ど傾き、黄昏時も終わろうとしていた。第六小隊の担当地域はロス・ロイテ公園北の大体五百メートル四方の範囲で、確かにこの人数でカバーするのは難しい広さであろう。
この地域はちょうど中央を走る市庁通りで南北に分けられて、あと二時間ほど帰寮しなくてはならないハルシェイアのため、今日廻るのはその北側のみとなった。
この北側区域、特にその西側には、レガー通りとダルホス通りが交わる辺りを中心に市内有数の飲食店街が形成されている。この辺りの飲食店の特徴は値段が安く、がっしり食べるというよりもお酒を中心に供する店が多いということ。主な客層としては市内在住の低所得者や学生で、また東のクリール門や南東の聖教門から北のルイシュテン門に向かう道すがらにあるため、行商人も多い。門近くほどではないが附属するように宿屋街も出来ているほどだ。
そのように賑やかな街であるが当然、それと比例するように問題も多く、畢竟、治安も悪くなる。第六小隊はそんな地域も担当しているのだ。
(これは…結構、大変…かも)
改めてハルシェイアはそんな感想を持った。この広い地域に、こういった歓楽街の存在。この人員は確かに厳しい。というか厳しすぎる。
そんな考えを抱きつつハルシェイアが今歩いているのがまさにレガー通りだ。両側に並ぶ飲食店には既に早めに飲み始めた老若男女(とは言っても、店員以外は男性が殆ど)で活気に満ちている。飲み屋の間には様々な屋台も建ち並び、その双方から何とも言えない良い匂いが漂っていた。
ハルシェイアは様々な街を旅してきたが、ここまで多彩で混沌とした飲食店街はあまり記憶にない。よく見れば、アルナジェン中の多種多様な料理屋も集まっているようだ。多くの地域から出身者を抱えるアステラルテならではの特色かも知れない。
とにかく歩けば歩くだけ色々な臭いを嗅がされる。合間一瞬、腐敗臭がすることもあるが、そのほとんどが食欲をくすぐるような芳香ばかりだ。
(……お腹、空いて来ちゃったなぁ。………今日の夕ご飯、どうしよう?)
昨日は帰る前に屯所で近くにあるお総菜店のものをご馳走になっている。しかし、今日は外に出てしまい、帰ってからでは遅くなるだろうし、同居人のメイアにも迷惑かけるかもしれない。
だからといって、食べないという、選択肢はない。こう見えても、ハルシェイアは育ち盛りだし、特別に健啖家というわけではないが、食べるという行為は大好きだった。
でも、今は仕事中。付き添いとは言え、警邏中。気を、引き締めないと…などと、ハルシェイアが思っていると、
「何か食べるか?」
と、まるでそんなハルシェイアの思考を読んだかのようにアラスがそんなことを聞いてきた。
「え…、あ、あの…?」
「時間がないだろう?」
「あ、はい…」
先述の通り、時間がないのは本当だ。渡りに船である。
でも、いいのかな、と思う。けじめはつけるべきではないか、と。
そんな懸念が表情に出ていたのか、アラスがそのハルシェイアの内心に答えてくれた。
「誉められたことではないが、な。食べる時間がないのは私もなんだ――兵士の最大の敵は空腹である、とも言うしな」
「たしか…、レルラ・ヘレゼット?」
ハルシェイアが自信なさげにつぶやいた「レルラ・ヘレゼット」はルーデレイナ(大陸西部)十六王国時代に存在したデバイド王国の将軍である。隣国との戦争中、兵粮が不足したにも関わらず必要とする量を送らなかった本国に対して、「兵士の最大の敵は空腹であり、王国の最も手強い敵は軍隊の飢餓である!」と将軍が国王の使いに言い放ったという逸話が残っているのだ。もっともこの類の格言はそれ以前にも使用された例があり、レルラによって創作されたものではないとされている。それでも一般的には、この言葉は「レルラ・ヘレゼット将軍の格言」として有名だった。
「そんな、名だったかな。すまんな、学がないんだ」
「あ…いえ、その…」
余計な一言だったかもしれないとハルシェイアは後悔したが、アラスはまったく気にせず軽くながして先を続ける。
「ともかく、軽く腹ごしらえをする。いいな?」
「あ…えっと…、――はい」
ハルシェイアは少し逡巡した後、こくりと肯いた。
(多分…、お酒飲むわけじゃない、し――)
けじめ云々よりもなんとなくだがとても合理的に気がしたし、何より上官が良いというのだから何の問題もないはずだ。辺りの香ばしい匂いでお腹空いてきていたのも事実。それに今の言葉はほぼ断定だ。もしかすると、本当は何かを食べたいけど言い出せないハルシェイアを気遣ってくれたのかもしれない。
素直に従い、アラスを追って辿り着いたのは店と店の間にある立ち飲みの屋台だった。屋台は木製で簡易の屋根、五人ギュウギュウに立っても少しはみ出してしまう狭いカウンターに車輪がついて、おそらくこの時間になるとどこからか牽いてくるのだろう。屋台の中には、店主らしき六十ほどの痩せた老人が前で客と接しつつ串物を焼いており、その斜めで後ろでは似ているのでその息子だろうか三十前後の男が屋台から台を引き出して何か作業しているようだったかハルシェイアからはよく見えなかった。
「親爺、アレボとハラク・ポルを二つずつ」
慣れた様子で屋台に辿り着いたことからみて、予想をしていたが行き着けらしい。慣れた様子でアラスが注文すると、はげ上がった頭の店主が親しそうに応じる。
「あいよ。いつものバラは?」
「これから見回りでな、軽く済ませたい」
「そうかい…と、こりゃあ可愛いお嬢さんだね?」
老人はハルシェイアを見ると顔を綻ばせて言う。
「あ、あの…ハルシェイア・ジヌール、です。よ、よろしくお願いします」
「うちの新しい事務方だ。今、管轄の把握のため案内している」
「なるほど、なるほど…、それじゃあ新任お祝いだ、お嬢さんの分はサービスするよ」
「え、でも……?」
ハルシェイアがその好意に戸惑うとアラスが何故か苦笑した。
「なに驕るつもりだったからな、私の懐が助かる」
「あ…ありがとうございます」
正直に言えば、手持ちはほとんど無いのでちゃんと払えと言われても困ったことになってしまうハルシェイアは、素直にご馳走になることにした。
背の低いハルシェイアにとってここのカウンターは少々高めであったが、アレボは塩味の鶏肉と芋から出来た団子が焼かれた串物で、ハラク・ポルはカップに入った根菜のスープとどちらも手に持って食べられるものなので、ハルシェイアには少し高いカウンターでもさほど苦にはならなかった。
(あっ…、おいしい…)
アレボは見た目以上にボリュームがあり、ハラク・ポルはさっぱりとお腹を潤す。そしてどちらも素材のうま味を良く引き出していてとても美味しかった。
だから、時間もないからと黙々と食べた後、一言その事を伝えた。
「あの…美味しかった、です。ごちそうさまでした」
「そりゃあ、よかったわい。お嬢さんに似合うような高級な料理じゃないけどな、喜んでくれたなら料理人冥利尽きるなぁ」
高級云々の下りはよく分からなかったが、それでお爺さんと後ろの男の人が笑顔になってくれたので、野暮かなと思って聞き返さなかった。
「隊長、ありがとうございました」
「何、これも隊長の義務だ――すぐに動けるか?」
「はい、大丈夫です」
「では行くか――」
と、アラスが自分のお代をカウンターに置いた、ちょうどその時だった。
――…!?…!!――
――……!!!!――
――!…!……!――
罵声と悲鳴、物が壊れ、割れる音――
『?!』
それらが通りの向こうの方から聞こえ、二人も素早くそっちへと顔を向ける。見れば遠くの方で人だかりが出来はじめている。
「なんでしょう…?」
「――いくぞ」
そう告げるとアラスは駆け足気味で歩き出した。ただ大きな歩幅なのでどんどんと人ごみをかき分けて行ってしまい、出遅れた形となったハルシェイアは慌てて追いかけた。
できかけていた人混みをかき分け、辿り着いた先で見た光景は酷い有様だった。そこはオープンになって席が道路にまで突きだしているような飲食店であったが、窓ガラスはいくつか割れ、テーブルや椅子が倒れ、食器や料理が散乱していた。その店の正面にあった屋台はあおりをくらったのか横転している。
そして、若い男達が殴り合っていた。いや、二人ばかりの男が四人の男性に一方的に殴られていた。明らかにがたいが良い男達のグループが、大学生なのだろうか肉体労働とは無縁そうな男達を襲っているようにしか見えない。
ただ、野次馬達は『喧嘩だ』と騒いでいる。よく見れば、横転したテーブルの側や道の真ん中に顔が血塗れの男が二人ばかり――こちらも身なりの良いが体をよく動かしているとは言えないような若者たち――倒れている。
おそらく喧嘩なのだろう。ただし、双方の経験が違いすぎたのだ。
横のアラスもその事を一瞬で把握したのだろう。軽く溜息をついた後、大きく息を吸った。
「やめろっ!!!」
一喝。
空気が震える。
同時に風が吹き抜ける――。
そして、男達の手が面白いようにピタリと止まり、揃ってアラスを見る。そして、「やべぇ」「騎士アラス…っ」と慌てたように、掴んでいた胸ぐらを離して踵を返そうとして……
「――――――止まって、ください」
と、男達は涼やかな声と共に目の前で黒刃を見た。アラスの咆吼の虚を突いて、瞬発的に男達の横まで移動していたハルシェイアが刀の切っ先を男の一人の首筋に突きつけていたのだ。
それは男達から見れば小さな少女だ。その大きな身体でちょっと体当たりするだけで飛んでいってしまいそうな小さな少女だ。
「っ……」
だが、剣先を向けられた男はハルシェイアの綺麗過ぎる冷たい瞳と目が合い、萎縮したように硬直する。男は小刻みに震えていた。
他の三人も先頭だって逃げようとした仲間が動けなくなったことに戸惑い足を止め、そこで初めて周囲を見渡して自分達が大きな騒ぎを起こしたことに気がついたのか、熱が冷めたように肩を落とす。
ハルシェイアは逃走の意志が無くなったと判断し、息をついて刀を納めた。同時に剣先を突きつけられた男は腰を抜かして、ドサリと尻餅を付く。
そこでハルシェイアには思いもかけないことが起こる。野次馬達からワアと歓声が響いて、二人の警衛兵、特に年若い――むしろハルシェイアの早業を賞賛したのだ。
「嬢ちゃん、かっこよかったぞー!」
「すごいわぁ!」
「流石、騎士アラスんとこの若いのだ」
人を打ち倒してこのような素朴な賛美を受けたことのあまりないハルシェイアは目を白くさせながら、
「あ…、ぇ、その…?」
と何だか気恥ずかしくなってはにかんだ。程なくして一部の証人を残してアラスが野次馬を解散させたので、ある意味ハルシェイアは助かるのだが、一方で人混みを仕分けながら解散させているそのアラスの背中が何だか一瞬不機嫌に見えたような気がして、なんだが不安になった。
それが自分に向けられていたような気がしたのだ。
(私、なにか…?)
よくよく考えれば色々考えられる。勝手に移動のため魔法を使ったし、剣術も披露した――もしかすると被疑者に重傷ないし死亡させるような行為だったかもしれない。
(そもそも…私、こんなことして良かった、の?)
この都市にきた当初の目的まで遡りハルシェイアは懊悩に陥りそうになった。が、
「ハルシェイア、けが人のようすと被害の状況を見ろ。私は事情を聞き出す」
「――あ、はい」
と普通通りのアラスの檄が飛んできて、そんな悩みはとりあえず吹っ飛んだ。仕事はまだあるのだ。
その後、指示通りのびてしまっている二人の様子を確認して――見た目よりも怪我は軽かった――、ハルシェイアは近くにいた人とけが人の介抱や被害の確認に回り、アラスは逃亡の意志を失った加害者や意識のある被害者、両者が飲んでいた店の人間や客に経緯の聞き込みをした。
それから、半刻ほどして被害者側は駆けつけてきたアルテとバガルに付き添われて病院に運ばれ、加害者側も氏名住所を控えた上で帰されることとなった。
この事件はこれ単独であればありふれた酔っぱらい同士の喧嘩に過ぎなかった。
しかし、これが後に大きな波紋を巻き起こしていくことになるのだが、この時、ハルシェイアもアラスも知るよしもなかった。
というわけで、一週お休みしてしまい申し訳ありませんでした。
しかも先週よりも今週の方が忙しいとか…orz
それはともかく、今回、初めて本格的にハルシェイアがアラスと絡みました。
意外と初めてです。一章では挨拶程度で、間章ではあっていませんし、前回も少しだけだったので。
なんとなくアラスパパ…な感じで書いております。
次もおそらく再来週ぐらいに…ストックが少なくなってきたもので…。
それでは、よろしかったら次回。
2010/10/12修正(メッセージによるご指摘)
・「他の三人も戦闘だって逃げようとした仲間が」→「他の三人も先頭だって逃げようとした仲間が」