終話(前編)「ハルシェイアの話」
「……」
寮に戻っても、ハルシェイアとメイアは無言だった。部屋に着くと二人は、荷物をメイアは机に、ハルシェイアはベッドに置く。ハルシェイアは制服から着替える気も起きず、そのままベッドに座った。
「あ、あのね、メイア…」
少し間を置いて意を決したようにハルシェイアはメイアに話しかける。すると、メイアは優しく微笑んで、
「なにかしら、ハル?」
と言うと、静かにハルシェイアの横に座った。
「メイアに、話したいこと…ある、の…」
「うん」
「話さなきゃ、って、思っていた。でも、言えなかった…」
「なぜ?」
「怖かった――嫌われるんじゃないか、って、怖かった」
ハルシェイアは本当の自分のことを知ったメイアがどう思うのか、すごく怖かった。でも、それを伝えなくてはいけないとも思っていた。
決心はついた。セラフィナに話しているとき、自分で変わらなきゃと思えたから。
にもかかわらず、この部屋に帰ってくるまでずっと言いたくても言えなかった。
メイアには嫌われたくない。メイアだけではないジンスにもベティにもリスティにも、ジグルットにも、そしてセラフィナにも嫌われたくない。嫌われるのは怖かった。
「私ね」
そこでメイアが唐突に話し始めた。それも、ハルシェイアにはとても意外なことを。
「ハルが怪我した夜、剣を持ってハルが寮の外へ出たの、気づいていたのよ」
「…えっ…?」
驚いて思わずベッドに手を突いて、半立ちの状態でメイアを返り見た。
(…メイア?)
そうやって見たメイアはどこか寂しそうに笑っていた。
「ううん、その前から、あの日、寮に返ってきてから変だったことも。だから、デボネさんに階段から落ちて怪我したと聞いたときも、素直には信じなかった」
メイアはハルシェイアの眼をしっかりと見る。ハルシェイアもそれに合わせるようにゆるゆると立って、メイアに向き直った。でも手は震えていた。
(メイア、知っていた…?そんな……)
「それでも、私は何も知らないわ。ハルが何をしていたのか、何をしたのか、知らないわ」
(私が…何をしていて、何をしたか…)
「正直、私はハルシェイアが何をしていたかなんていうことはここでハルと一緒にいることに関係ない、と思っている。でも――」
(……関係、ない?――でも…?)
ハルシェイアはそう言って静かに歩いて近づいてくるメイアが怖かった。「でも――」の後になんと言われてしまうのか怖かった。
(あぁ…、わたし、怖がって、ばかり…)
確かに魔物と対峙しても、万の敵と戦っても怖いと思った。でもこれほどではなかった。
ハルシェイアの目の前にメイアが立った。ハルシェイアは思わずぎゅっと目を瞑ってしまう。
そして――手が、ハルシェイアの右手が温かい何かに包まれた。
「…えっ」
目を開けると、目の前に合ったのはメイアの真摯な微笑み。そして、右手はメイアの両の手で包まれていた。
「――私は知りたい。ハルのことが、大好きなハルのことが」
メイアの言葉には、迷いも嘘もない。真率な言葉だった。
「…ぁ」
突端に恐怖が消えて、嬉しさが無性にこみ上げてきた。メイアが、大好きだと言ってくれたことに。そして、メイアが自分のことを信じてくれていることに。
(じゃあ…、私、は…?)
メイアみたいに、メイアや、ジンス達のことをこんなに信じていたのか。――信じていなかった。
「…ごめん、メイア、ごめん、私、わたし!」
ハルシェイアは自分でも何でそうしたかは分からなかった。気づくとメイアに抱きついて泣いていた。
「ハ…ハル…?!」
飛びつくようにしがみつき突然泣いてしまったハルシェイアに眼を白黒させつつ、メイアはハルシェイアの後頭部を優しく撫でる。
「――ハル、こちらこそごめんね。突然、こんなこと言って混乱させて」
「ううん、悪くないよ…メイアは悪くない。悪いのは、私…だよ。私、最後のところでメイア達のこと、信じていなかったの。メイアみたいに信じていなかった…!」
「それは違うと思うわ…これは秘密の話なのよ。誰でも秘密はあるわ…それを友達だから簡単に話すことでも、信用信頼の話でもないと思う。私がハルの事を知りたいと思うのは我が侭で、話して欲しいと思うのは私の…」
そこまで言うとメイアは首を傾げ、そして、溜息をついた。おそらく、それ以上言うと偽りになりかねないと彼女は思ったのだろう。だから、メイアは正直な望みをハルシェイアに伝えた。
「ごめんなさい、ハル――わたし、我が侭を言って良いかしら?」
ハルシェイアはすぐ目の前にあるメイアの顔を一瞬眺めて――静かに頷いた。
「――ハル、あなたのことを教えて下さい」
それを目の前にしたハルシェイアはほんの一瞬だけ、たったそれだけ纏ったあと、泣き笑いの顔で言う。そこで始めて、ちゃんと自分のことを伝えられる気がした。
「……メイア…ありがとう」
「…はい」
嬉しそうに微笑んだメイアはそんなハルシェイアを優しく抱きしめた。
「私が、生まれたのは旧エンコスのヅズという場所…でも、私はあまりその事が覚えていないの」
物語の出だしはそんな感じであった。
「…ヅズという村が無くなったのは、三歳のとき。その直後、村に立ち寄ったお父さんに拾われたの」
二人はベッドに横に手を繋いで並んで座り、そのおかげかハルシェイアはあまり緊張せず話せていた。
「お父さんの名前はガンジャス・エステヴァン。もうちょっと、東だと、けっこう有名な傭兵、知っている?」
「いえ…ごめんなさい」
「ううん、気にしないで、メイア、もっと西から来たんだし…――その後は三年ぐらい旅暮らしで、旅のこと、それに戦うことも教えてくれた…というより、それしか、教えられないような人、だから」
ハルシェイアが苦笑気味に微笑むと、メイアは柔らかく頷いてくれた。あのあと、すぐにハルシェイアは顔を引き締めた。少し、緊張したように。
「……最初に…人、殺したのは五歳の時、お父さんが率いる傭兵隊の裏を掻いて、その留守中に街を襲った野盗だった…」
それは殺人というより実際は事故に近いものであった。襲ってきた野盗の一人を偶発的に返り討ちにしたのだ。
「その後、私、目に付く敵を殺して、殺して、殺して…」
このことはハルシェイアにとっては幸運でもあり不運でもある。ガンジャスやその傭兵仲間がハルシェイアの戦闘技術の飲み込みの早さを面白がって彼女に色々と仕込んでいたこと、魔法による身体強化の使い方に天賦の才があったこと、この二点により五歳の幼女が一人前に戦えてしまったのだ。これが彼女のその後を決定することになった。
そんな血なまぐさい話をメイアは表情を変えることなく落ち着いて聞いてくれていた、それに、握ってくれているメイアの手が温かくて嬉しかった。
「私は、そこで思ったの。人を殺すことに、心も、道徳感も痛まず、こんな風に――これで、お父さんの役に立てる、と――。だから、次の時から仕事に連れっていってと、せがんで…当たり前だけど、反対されて…。でも、わたし、その時、勝手についていっちゃって、そこで黒姫の主になった…。そうしたら、お父さんが、一緒に仕事をすることを許してくれた、傭兵の仕事。その時は嬉しかったよ」
「ハルは…お父様が大好きなんですね」
メイアのその言葉にハルシェイアは素直に頷く。それは間違いなかった。
「お父さんは強くて、かっこよくて、温かくて、それで凄く、優しいの…よく子供を戦場に出すなんて非情だ、って言われるけど、そんなことないんだよ…それは私が望んだことで、お父さんは本当にそれが良いと思っているわけじゃないから」
ハルシェイアは話すとき、前半は嬉しそうで、後半は半ば申し訳なそうだった。どちらにせよ、彼女が養父に強い親愛の情を抱いているのが目に見える。
「それで、六歳の時、ジャヴァールに移ったんだ。私も、よく知らなかったけど、お父さん、昔、陛下と何かあったらしくて、その縁で」
ここで、ハルシェイアがいう「陛下」とは、現ジャヴァール国王にしてモルゲンテ皇帝ルネスのことである。後の史料では、ジャヴァール国王としてはルネス二世、モルゲンテ皇帝としてはルネス一世もしくは恵文帝ルネスと記される事になる人物である。
「傭兵としての実績もあったから、いきなりジャヴァールの将軍になった」
「あら、ということは…ハルはジャヴァールの将軍息女?」
「今は上級将軍…でも、そんな大したものじゃない、よ?」
改めて友人にそんなことを言われて、ハルシェイアは少し照れたように俯いた。
「ふふ、しがない田舎士族の娘にすれば、大したものよ、ハル」
「め、メイア、そんな言い方」
「でも、事実」
メイアは茶目っ気たっぷりにウインクする。ハルシェイアはそれを見ると、ちょっと不満げに頬を膨らませ、そして二人揃って吹き出した。
「――それで、そのあとは多分、メイアも知っていると思うけど…」
「ジャヴァールの統一戦争…?」
「うん…、私も最初はお父さんの従者として参加して――たくさん、斬った」
何を、とは言わない。国同士の、人同士の戦争だ。斬るものなど決まっている。メイアもそんなことは聞かず、ほんの少し、はたもすれば気が付かないほど小さく驚いたように口を緩めた後、唇をしっかり結び、黙って聞いていた。
「開戦時は七才…ううん、まだ六才だった、かな――普通なら戦えるはずがない、そもそもの戦場にいるはずがない――そんな存在、一種の怪談、だった、かも…?でも、そんな存在が実際そこにいて、人を斬っている。だから“白い死神”って呼ばれちゃった」
ハルシェイアは自嘲気味に微笑んで、メイアはそれを見て何とも言えない表情で彼女の手を握る自分の手にちょっとだけきゅっと力を入れた。
「……誰かが言っていったんだ、この戦争で一番人を殺した人間は、“白い死神”だって。多分、合っていると思うよ…本当にいっぱい、殺したから、私」
ここまで来てハルシェイアの言葉はひたすら淡々と語られて、感情というものが全く見えなくなっていた。当然の事を当然ように語っているように。いや、まさしく当然の事を当然ように語っているのだ。
「私は、“白い死神”。誰が言い出したかは分からないけど、多分、本当だと思う。私は人を殺すこと、何とも思っていない。人を殺してもまったく心が痛まない、そんな経験したことないの。最近、デボネさんに言われてその事に気が付いたの。私は殺すことをしない人間になりたいと思ってここに来た、自分ではそう思っていた。でも、デボネさんは言ったの、それは『殺すことはいけない、という知識から、周りから人を殺す人間と思われるのが嫌だから』だったんじゃないかって」
ハルシェイアはそこで手をぎゅっと握りしめる。ハルシェイアの中で何かが切れたのか、急に感情が高ぶったように何かを我慢するかのように唇を引き締めた。それから怯えたように口を開く。
「――多分そうなんだ、変えたくて来たのに、あの魔剣に冒された男を殺しても、それに対して何も感じなかった、だから…!」
ずっと、漠然とハルシェイアは不安に思っていた。宮廷でも、戦場でも、そこで会う人々と自分のズレ…自分が周り違うことを変だと思って、自分が違うことが怖かった、その時には気づけなかったけど、今は分かる、多分そうだったのだ。だから、変えたくて、学園にアステラルテに来たのに、自分は結局変わらない。
あの魔剣に操られた男クスペルを殺して、今日もダッテンを一瞬殺すことを考えた。
(そうだ…こういうの…)
そんな自分のことを表す言葉。思いついたその瞬間、言葉になっていた。
「――だから、私、怪物、なんだよ。きっと、変わらない、私、殺すことしか、できな…」
「…それは、嘘よ、ハル」
慟哭に近くなっていたハルシェイアの言葉を、メイアの強い、それでいて優しい調子の断言が遮る。
「嘘じゃ…」
「私は、ハルと喋ったし、笑ったし、勉強したし、食事もした。私の知っているハルは決して怪物などではないわ」
「でも、私は…いっぱい殺したんだよ?怖くない?…気持ち悪くない?」
「怖くも、気持ち悪くもないわよ、ハル。私はね、士族の家系の出身。代々、戦場で、もしくは治安維持と称して、それこそ多くの人を殺してきた家系。ハルのことを人殺しと罵るのであれば、私は人殺しの子孫であると自分を貶めなくてはならない、それは先祖に対する冒涜であり、私という人格に対する冒涜でもあるの――だから、私はハルのことを気持ち悪いとも怖いと思わないし、思いたくはない。それにハルは変わりたいとおもっているのでしょう?」
メイアの語りは力強くまっすぐで綺麗だった。そのメイアという人間を表すかのような言葉にハルシェイアは聞き入ってしまった。メイアは、戦場における人殺しを、肯定も否定もせず、また決まり切ったように仕方がないことだとも言わない。
そして、メイアはふっと表情を和らげて言った。
「それ以上に、私はハルのことが好き」
「ぁ…でも」
「でも、も何も、これは私の気持ち――それにハルの背後に屍の山があったとしても、今、私達の間には温もりしかないでしょう?」
ハルシェイアの左の手をメイアは両の手で包む。本当に温かいと、ハルシェイアは思った。
「ハル、話してくれて、ありがとう」
メイアは改めて優しく微笑んだ。
「ぁ、あ……――メイア…メイアは、優しいね。こんな、私に勿体ないよ…でも、メイア、聞いてくれて、ありがとう…。え、っ!」
ハルシェイアの言葉が終わるとほぼ同時に、ハルシェイアは横からメイアに抱擁され、ぽすっという柔らかな音ともに一緒にベッドに倒れ込む形となった、
「め、メイアっ?」
「ふふ、私こそ、こんなに凄く強くてそれ以上に可愛いハルには勿体ないわ。でも、そんな私と友達でいてくれる?」
「あ、うん…もちろん。私こそ…いさせてほしい…な」
「ええ、これからも宜しくしてくださいね、ハル」
「め、メイアも、これから、よろしく、ね」
その後、二人で顔を見合わせて笑い合った。
もちろん、これでハルシェイアの気持ちが晴れたわけじゃない。劇的に変わったわけでもない。それでも、ハルシェイアはこの学園都市でやっていけると、初めて確信できた、そんな気がした。
(メイア、本当にありがとう…)
とても気分が良かった。だから、その後、メイアの話や、その他たわいもない話をしているうちにうつらうつらしてきて――
「おーい、ハル、メイア、夕飯できたぞー。…あれ。返事がない?」
「まだ帰っていないんじゃー?」
「こんな時間にかぁ?――ん、開いてる?」
「あれ、ホントだ――おじゃまぁ――あっ…」
「ベティ、どうした…って、おわぁ、ななななな、なんでっ、抱き合ってねてんだよー!め、メイア、うらやまし過ぎるぞ!あたしも、混ぜろ!」
「じゃ、私もー」
今回は難しかったです。
前の話をかなり修正したから、内容がかなりずれてしまって、直すのに一苦労。
他にも表現が陳腐ならないようにとか、心情が矛盾しないようにとか…巧くいっているでしょうか?
そもそも、第二章はこんなシリアスな話ではなかったはず…何故こうなった…?
書けば書くほど、自分の未熟さが露呈していきます…orz