第2話「騎士ジグルット」
十五分ほど南へ歩くと、再び広場状となっている交差点が見えてきた。ここでは南北に大路が貫き、道の北西(これついてはさきほどハルシェイアはラルゴン大学という標識を見ている)と南西には大きな学校と思われる敷地、北東にはルーベイ区庁と掲げられた古くて立派な建物があった。
(このあたりで道を聞いた方がいいかも…で、でも、どの人に…?)
しかし、少し引っ込み思案なところがあるハルシェイアはなかなか声をかけることができず、暫くその場で佇んだままキョロキョロ見渡していると、西の道の方から男の人が彼女の方へ近づいてきた。
(え…っと?)
その男は、歳は二十歳には満たない程度、短い黒髪で中肉中背、ラフな格好だが左に実用的な剣をぶら下げていた。殺気は…無い。
その若い男はハルシェイアの前まで来ると、目線を合わせるためか膝を曲げて彼女に声をかけた。
「君、こんな所でどうしたの?道がわからないのかい?」
若い男は暖かい声で、ハルシェイアを瞬時に安心させた。顔も特別何があるわけではないのだけれど、妙な愛嬌が自然とにじみ出していた。
(なんか…ちょっと懐かしい気がする)
「ん、どうしたの。気分悪いの」
「ぁ…ご、ごめんなさい。そういうのじゃないの…えっと、道がわからなくて…それで」
ハルシェイアは顔を赤くして恥ずかしそうにうつむいた。でも、青年はそんなことは気にせず笑顔で言った。
「道、何処へ行きたいんだい?」
「…アルベタイ地区の第三学校第二女子寮…です」
それを聞くと、青年はちょっと驚いた顔した後、また優しい笑顔になった。
「それは…ちょうど良かった。僕もそこに行く途中なんだよ」
「え、でも…?」
その名が示す通り、ハルシェイアが行きたいのは男子禁制の女子寮だ。そこに男性である青年は何の用があるのだろうかと、彼女は青年を見上げて訝しんだ。
すると青年もそれ気が付いたように肩をすくめて、
「妹がいるんだよ、偏屈な妹でね…最近、学校へ行っていないというから一応様子を見に行こうか、と」
と苦笑いしながら答えた。その答えでハルシェイアはとりあえず納得した。
「あの…妹さん、学校行っていないんですか?」
「ああ、いつものことだよ。言っただろう、偏屈だって、その時の気分で登校しないんだ、うちの妹」
「は、はぁ…?」
(学校って、そんなものでいいのかなぁ?)
生憎、これから初めて学校に通うハルシェイアにはよくわからなかった。
「まぁ、妹のことは置いておいて――ここで話していても仕方ないから一緒に来るかい?」
「あ、お願いします」
ハルシェイアは今までの会話等からとりあえず彼のことを信用して良いと考えていた。とりあえず、をつけるのはある意味職業病に近いものがあるが、それでもまさに渡りに舟である。
「荷物は大丈夫?」
「あ、平気です、大丈夫です」
さすがに一応の信用はしたとはいっても道ばたで会った初対面の人間にカバンを預けるほど彼女も不用心ではない。通常の荷物はともかく、入学関係の書類や自分の愛刀が何処かへ行ってしまったら大変なことになる。だからハルシェイアはやんわりと断った。
「そうかい?つらくなったらいつでも言ってくれよ」
(本当にいい人、かも)
その後はたわいもない話をしつつ、再び十五分ほど歩く(その間にも何回か荷物の心配をされたがハルシェイア全て断った)と、さほど広くない、緩やかな坂道に接したすこし大きめのアパートメントに着いた。三階建てで 一階が石造り、二階、三階が木造、ちょっと古いが、良い意味で生活観があった。門についた木札には小さく「第三学校第二女子寮」とある。
「ここ、ですか?」
「そうここだよ」
青年はそういうと門に入り、玄関前の紐を引いた。中からベルの音が聞こえ、暫くすると「ちょっと待ってね」という声と愛もが聞こえてきて扉が開いた。
「あら、騎士ジグルット、またエルケのことで――それに…?」
出てきたのは女性。金髪できれいな碧眼、背は高め容姿は清楚そうだが、服装は若干露出度が高かった。しかし、元来の容姿や雰囲気も相まって、妖艶というよりも不思議な清潔感を漂わせている。その女性は青年――ジグルットの隣りにいたハルシェイアをちょっと怪訝そうに眺めた。
「あ、あの、私、ここでお世話になります。えっと、ハルシェイア・ジヌールです」
ハルシェイアはぺこりと頭を下げた。すると女性も得心がいったように挨拶をする。
「ああ、着いたのね、ちょっと遅かったから心配していたのよ。私は寮監のデボネ・ケティネスよ、これからよろしくね」
デボネがまるで女神のような笑顔を浮かべたので、ハルシェイアは「きれいな人だなぁ」と少しほおを赤らめる。
すると…
「ハルシェイア……ジヌール?」
と、聞こえる呟き。この場にいたもう一人ジグルットだった。ハルシェイアもデボネも不思議そうに彼の顔を覗く。
(あ、そういえば、私、このお兄さんに自己紹介してなかった…)
ハルシェイアは今更と言えば今更なことに気が付き、改めた名を名乗ろうとした。が、先にジグルットのほうが先にハルシェイアに訊ねた。それも何か期待に満ちたような表情で。
「もしかして…ハルシェイア、ヅズ村――旧エンコス王国にあったヅズ村を知ってはいないかい?」
その名前を聞いて、ハルシェイアがピクリと反応した。彼女はその村を知っていた。その村は…
「――私の、生まれたところ、です。で、でも、村はもう…」
そう彼女の村はもう無い。魔族軍(正確には魔族は魔族でもクラージュ公国残党軍だったらしい)の奇襲にあって全滅した。生き残りも居ないはずである。少なくともハルシェイアはそう思っていた。
だが、ジグルットがそれを覆す。いや、この瞬間の前までジグルット自身もハルシェイアと同じように考えていたのかも知れない。
ジグルットは言う。驚きと興奮、歓喜を含んだ声で。
「知っている、知っている!僕もあの村、出身なんだ。隣りの家に黒髪で翠の眼をした可愛い女の子がいた。僕はその女の子を、妹と同じ歳で、妹のように思っていた。その女の子が、ハルシェイア・ジヌール――」
「え、…うそ?」
正直、村が滅びたのはハルシェイアが三歳の時、正直、記憶にあまりない。ただ、そういえば、隣のお兄さんが遊んでくれた気がする。どんな顔かも覚えていなかったけれど…。
眼を白黒させるハルシェイア。そんな彼女をしり目に、その前にいたデボネが興味深そうに言葉を洩らした。
「へぇ…こんなこともあるのね。あれ、でもその女の子、黒髪だった…って、これは聞かない方がいいかしら?」
「あ、いえ…髪の色は村が無くなったとき、変わっちゃったみたいなので…」
「瞳の色は変わっていない――生きていてくれたのか…」
ジグルットはいまいち状況が飲み込めていないハルシェイアの瞳を覗き込んだ後、屈んで優しく抱き留めた。
「え?え?え?」
「良かった、本当に良かった」
(ど、どうすればいいの?…えーと)
戸惑ったように目線を泳がせていると、デボネが助け船出してくれた。少々、呆れたように。
「騎士ジグルット、彼女は荷物を持ったままよ。びっくりしちゃっているみたいだし。荷解きさせてあげたいと思うのだけど…それに話なら中でもできるでしょう?」
それを聞くと、ジグルットは我に返ったようで、自分の行動を恥じたように顔を赤くしていた。
「あ、ああ…いや、すまなかった。うれしくて、つい…。本当にすまない…」
「あ、い、いえ、平気です。私も、故郷の人が生きていてくれて、嬉しいです」
「はい、はい、だから、続きは中で、ね」