第8話「ハルシェイアの思い、セラフィナの思い」
時間が経って日が傾き始めた頃、ハルシェイアはメイア、リスティと一緒に校門へと向かっていた。ちなみにハインライとケインは、勉強で凝った身体をほぐすとか何とか言ったケインがハインライを引きずるようにして闘技場に行ってしまい、ここにはいない。
よくよく考えれば、この女子三人だけで下校するのは初めてである。
「つまり、ハルはジグルット様と幼なじみで、シブリス様とはご友人と…?――な、なんと羨ましい!」
ジグルットとは確かに幼なじみではあるものの、その記憶はほとんどなく、シブリスに至ってはジャヴァールでは戦場を共にしたものの、直接の上下関係にはなかったので、その時は面識程度で、実際の親交はここ半月のことである。ただ否定するほどの差異ではないので、ハルシェイアは曖昧に肯いた。
「あ、うん…多分、そう、なると思う…」
こんな話になったのはメイアがリスティに昨日の話をしたからである。話の当初では、ゴリウス人達の横暴さに顔をしかめたが、騎士二人が登場する段になると途端に嬉々として興奮し始めた。なんでも、円卓騎士友の会の名誉会員らしいが、どういう会なのか、ハルシェイアはよく分からなかった。
「こ、こんど、私も…ああ、でもそれは規約違反なってしまいますわ…!」
(規約…?)
(友の会の…でしょうか?)
一人、盛り上がるリスティにいまいち付いていけず、ハルシェイアとメイアは苦笑い気味に小声で話す。
そんなことをしている時だった。甲高い声が三人の足並みを止めた。
「お待ちなさい!」
見ると道の先に長い金髪の女子生徒――セラフィナ、それにその側付きの二名――黒髪で長い髪のアステラ、肩まで伸ばした栗毛のハルニー――、今まさに話していた昨日からんできたフェデク達がいた。但しその中にダッテンの姿は見えなかった。
「待ちくたびれましたわ…」
「……まさか…ずっと?」
おそらく昼で授業が終わった後、ずっと張っていたのか、よくよく見れば、彼女らはセラフィナを含めてげんなりと様子だった。それは、たしかに酷く待ちくたびれたことだろう。
「すぐに来ると思いまして…――こほん、それはいいですわ。問題は昨日の件です」
セラフィナを守るように囲んでいる少年達が勝ち誇ったようにニヤニヤ笑っている。だが、疲労の影が見えるせいか、若干、苦笑いに見えなくもない。
「誇り高きゴリウス貴族の血筋のものに当たっておきながら、謝罪もせず、あまつさえヴェン如きが無礼な言葉を吐くなど天をも畏れぬ愚かな行為…ですが、わたくしも悪魔ではありませんわ。だからここで平身低頭、心の底から謝罪を繰り返せば、不問としますわ。さぁお謝りなさい」
セラフィナが居丈高な口調で命令する。同時に彼女はすぐ足元を指さしていた。土下座しろということなのだろう。
「謝罪はしません」
そんなセラフィナの言葉をはっきりと拒絶したのは、メイアであった。
「…今、なんと…?よく聞こえなかったのですけれど?」
信じられないといった体でセラフィナが聞き返す。あれだけ、明白に言ったのだ。聞こえているのは明かである。少年達も怒気を滲ませつつざわついている。
「先に無礼を働いたのは、そこに居られる先輩方です。こちらの謝罪の機会を奪ったのもそうです。それに、昨日の件は既に片が付いているはずです。だから謝りません」
「なっ………―――」
「なんですか、摂政様の孫姫であるセラフィナに口答えなど…!?」
「ぶれー、ぶれーよ」
再度答えたメイアの言葉に、驚きのあまり二の句が継げないセラフィナに代わり、アステラ、ハル二が抗議をする。
「例え無礼でも、私に謝る気はまったくありません」
「な…、わたくしの、わたくしの命令が聞こえないというのっ?!!」
セラフィナが本当に驚いたように、そして何処か焦ったようにわめき散らす。それを見たリスティが呆れたように、溜め息をついて、
「馬鹿、ですわね…」
と小さく呟いたのをハルシェイアは聞いていた。
でも、ハルシェイアは、それは違うような気がした。セラフィナの焦りはそういう類の焦りではない。もっと、そう切実なものに感じたのだ。
(…ぁ…もしかして、やっぱり…?――)
「わたくしは、セラフィナ・ムアラベー・ティムリス・カースティルヌですのよ。私の祖父は誇り高き太陽帝国正統ゴリウス国王アルテイト陛下の、偉大にして聡明な摂政デルバリトリウス大侯爵アグリッパ・デスタリオン・エカティン・デルバリトリウス・カースティルヌで、父は――」
「――でも、ここはアステラルテなんだよ」
セラフィナの長くなりそうな口上に、凛とした声で口を挟んで止めてしまったのは、前があるリスティでも、メイアでもなく、ハルシェイアだった。
ここでハルシェイアは、言わなくちゃ、と思ったのだ。誰でもないセラフィナのために。
一見、大人しそうなハルシェイアのこの大胆な発言にその場にいた全員が驚いたように彼女を見つめる。そんな、視線に尻込みせず、ハルシェイアは言葉を続けた。
「セラフィナには、従わせる力がある、と思うよ」
続いた言葉は逆にセラフィナの在り方を肯定するもの。静かにハルシェイアの話すことを聞いているメイアを除き、皆怪訝な顔でハルシェイアを見たが、ハルシェイアは気にしなかった。というか、緊張のために必死すぎて気にすることができなかったのだ。
「でも…――あのね…力ある人の言葉は一種の魔法なんだって、私の友達が言っていた。その言葉一つ、指先一つで、たくさんの人を動かせるし、たくさんの人を救えるし、たくさんの人を殺せるの」
「殺せる」という言葉に、何人かが息を呑んだ。アルナジェンでもルーデレイナでもここ五十年はエンコス事件を除いて大きな戦争はない。もちろん、小競り合いや盗賊、魔獣は存在するが、この場にいるのは比較的治安の良い地区にすむ上流階級の子女が殆どで。「殺す」「殺される」とは縁遠い。しかし、言葉一つで人を殺せるという事実を改めて突きつけられ、大なり小なり衝撃を受けたのだ。それは都市貴族のリスティも例外ではない。
「うん、殺せるの…でも、その魔法は、人を通すことでしか発揮できない。多くの人を通せばそれだけ大きな力になるし、誰も聞くことがなければ、誰も聞かなければただの戯れ言になっちゃう」
そこでハルシェイアはセラフィナへ改めて向き直った。セラフィナがぴくりと震える。それを見て、何か凄く悪い事をしているのではないかそんな気がした。でも、ハルシェイアは言葉を続ける。
「――私、ゴリウスの摂政様なんて知らないよ。それに、ここはゴリウスじゃなくてアステラルテ。だから、私は摂政様の孫姫様の命令は聞く必要ないし、聞かない。それはメイアも、リスティも同じ――そんな魔法、通用は、しないんだよ。それにこんな魔法、セラフィナの価値じゃないよ…ホントは気づいて、いるんだよ、ね?」
問われたセラフィナは何か反論しようと口をまごまごと開け閉めするが、結局言葉にはならず、心なしか顔が青ざめているようにも見えた。
その他の取り巻き達はハルシェイアの「摂政様なんて知らない」発言に対して口々に「無礼」「野蛮なヴェンが」など侮蔑や抗議の声を出していたが、ハルシェイアは完全に無視し、セラフィナは俯くだけで反論はせず、そして、彼女は間を置いてから口を開いた。
「……そう、かも…しれません、わね」
と、彼女は絞り出すような声で自嘲気味に言う。その様子に、彼女の取り巻き達だけではなく、リスティやメイアも驚いた様子だった。普段の絢爛で自信過剰で高慢な彼女とは違い、非常に疲れたような顔をしていた。
いや、本当はずっとそんな顔をしていて、普段は元気で、ついでに傲慢な、そんな自分を取り繕っていたのかもしれない。
そしてそのセラフィナの顔が崩れて、今にも泣き出しそうな顔になる。
「でも、なら、わたくしは、私はどうしたらよかったの?私は…それしか与えられていないわ。与えられることと命令することしか与えられていないわ。どれもこれも、誰も彼も行き着くところは『摂政様』『お祖父様』――結局、私はお祖父様、摂政の孫という価値しかないのよ」
それは、口調自体は淡々としたものではあったが、実際は慟哭そのものであった。
その言葉に、思うところがあったのか。アステラ、ハルニーを筆頭にばつの悪そうな顔をする。それを抜き打ち的にセラフィナが見て、見られた彼女らは慌てて目を伏せ、セラフィナは諦めにも似た自嘲的な笑みを浮かべた。それだけ、彼女たちの態度は雄弁にセラフィナの慟哭を肯定していた。
彼女たちはセラフィナのことを、セラフィナ個人ではなく、あくまで摂政の姫として見ていたのだ。
その様子を見ていて動揺したのは無責任なことにセラフィナに説教してしまったハルシェイアだった。こんなに持ち込むとは思っていなかったのだ。
(あ、あれ、私、どうしよう…やっぱり、すごい酷いこと…言っちゃった…?でも――)
意外とも思えるセラフィナの慟哭に、そのきっかけであるハルシェイアですら驚いた。セラフィナはまったく道理の分からない、頭の悪い娘ではない。それどころか、父祖の権力にあぐらをかくという怠慢を享受すると同時に、それに対する矛盾を本能的であれ察し、鬱屈させていたのだ。むしろ本人が気づかないうち、周囲がイメージするセラフィナ像に乗っかり、それを演じることでその不安を払拭しようとしていたのかもしれない。
ハルシェイアは初めてここで、ただの少女たるセラフィナの姿を垣間見たような気がした。
そこで思い出すのは、やはりエディのこと。確固たる自分を以て命令を下す少女の姿。ただ、それをどう伝えるべきか。
(…そもそも、私…ほとんど、エディの受け売り…だ…)
「……あの、その、自分で何かすれば、良いんだと思う…。命令するこしかさせてもらえないなら、命令すればいいんだよ、私の好きにさせて、って…」
ハルシェイアは自信なさげに一つ提案した。自信なさげなのは、ここにきて友人の受け売りであることに気付いて恥じたこと、それにセラフィナに明確な好意を抱けた所為で少し普段の調子に戻ってしまったというのもあった。
ハルシェイアは少なくともプライベートにおいて肯定的な相手には好かれたい気持ちから途端に物怖じしてしまうのだ。逆に仕事やどうでも良い人間には割と色々と言えてしまったりする。先ほどまでセラフィナに対する態度はそれに近い。
「で、でも、お祖父様もお父様もお母様も…!」
「だ、だけど…今、アステラルテで一番偉いゴリウスの人、セラフィナ、でしょ…?」
「……えっ?」
セラフィナはすごく意外なことを言われたような顔する。ハルシェイアも自分の言ったことに驚く。エディの話を出してまででも、最初からハルシェイアが言いたかったことはこれなのだが、この時点までその気持ちは明確ではなかった。そして、それを通してあることを悟る。
(いっしょ、なんだ…私も、セラフィナと……だからカテル先生、私を…)
その言いたいことが、丸々自分にも当てはまることに思い当たり、改めてカテル先生がこんな遠い場所に自分を推薦してくれたのかをハルシェイアは理解する。
故国では自分でも意識しないしがらみが多すぎる。それが、踏み出そうとする一歩を強くからめ取る。実際、それは幻想。動こうと思えば動くのに、動けなくなる。
ここではジャヴァールもゴリウスも直接は関係ない。しがらみが少ない。自身に内在するそれさえ解ければ、容易に踏み出せる。
(…多分、そういうこと、なんだ…)
自分は偉そうに言える立場ではなかった。けど、言う権利はあった。ハルシェイアも、変わるために、自分で変わらないといけないから。
「私は、言ったよ。ここはアステラルテだって。摂政様も、セラフィナのことも知らない人でいっぱい。だから、ここはいくらでも、好きに出来るよ?――私も、そう、するから…ねっ?」
そう、たったこれだけ。なんとなく、セラフィナを見ていてハルシェイアはずっと思っていたのだ。なんだか彼女が不自然で歪なことを。それは、自身が違う意味で歪んでいるからこそ、気が付いたのかもしれない。
最初はそれがなんだかハルシェイアには分からなかった。もしかすると、自己紹介をちゃんと聞いていたら、もっと早く分かったかもしれない。
ハルシェイアは権力を馬鹿みたいに振りかざす人間は嫌いだ。でも、何かそれとは違う気がした。違ったのだ。
そのセラフィナは唖然とした様子で暫くハルシェイアを見つめた後、一度俯いてから顔を上げて言う。唇が震えていた。
「わ、私、は…――」
それは弱々しいが決断だった。
しかし、それは続かなかった。一閃の光がそれを遮ったのだ。
「セラフィナっ!」
「え…!?」
急にハルシェイアがセラフィナを飛びかかる形で押し倒す。
「な、何を…――え」
ただただ驚きで頭が真っ白になったセラフィナは見てしまった。今の今まで自分がいた場所に白刃が降ろさされ、地面を傷つけるのを。
「ひ…」
セラフィナは小さく悲鳴をあげた。
そこで怒声があがる。
「おい、お前!」
「貴様、なにを…!」
「――ダッテン!!」
剣を握って、セラフィナに襲いかかったのは、なんと、あのダッテン、だった。
今回は非常に難産で、いつも以上に文章が不安定です、未熟ですみません。
それというのも、セラフィナの印象が書いているうちに二転三転、本当は軽い話なるはずだったのに…?
今の自分では力不足、いつか書き直したいと思うもののそんなことをしたら改訂作業中で停滞している二次創作作品の二の舞になりそうで…orz
ところで、例の試験、今度の火曜日に面接が…続きはさらに遅れそうです。このところ、謝ってばかりですが、本当にすみません…。