第10話「白い死神」
「……」
寮の部屋に戻ったハルシェイアは、都市の地図を眺めていた。騎士堂でシブリスに貰った手に収まるほど小さな市販の地図である。地図には数カ所の赤い点が書き込まれているが、これはシブリスに入れてもらった殺人現場を示す点だ。点は話に聞いたとおり、やや不規則ながら西から東へと並んでいる。
(…西から東へ、でも、多分この辺り、かな…と、すると――次は)
ハルシェイアは地図の南端から北東方面へ真剣な視線を移す。それは地図上で市壁を示す斜線を越えて――
(――ここ、かな?)
「――…ル?」
(――だったら、ここで…)
「ハル?」
「え?」
ハルシェイアが顔を上げると、すぐ横にメイアが心配そうなメイアの顔があった。思考の中に入り込んで、メイアが部屋に戻ってきたことにまったく気づいていなかったのだ。
「大丈夫ですか?いくら呼んでも反応がなかったもので」
「あ、あの…ごめんなさい、すこし、考え事、していて…」
「そう?それなら良いのだけれど…本当に?」
ハルシェイアは頷く。心配された嬉しさと、メイアに対して話せない、ちょっとした後ろめたさを感じつつ。
メイアはそんなハルシェイアを怪訝に思いつつも、呼びかけた本当の理由を思い出した。
「そう、ですか…。そうそう、ハル、そろそろ時間よ」
「え?」
部屋付きの壁掛け時計を見ると六時少し前…メイアとジンス、それにジンスのルームメイトと夕食を一緒に食べに行くと約束した時間まで後少しだった。
「あ、私…ごめんなさい、全然時間見てなくて…」
「十分間に合うので大丈夫――でも、支度するなら少し急いだ方がいいかもしれませんね」
「あ、平気。すぐに出られるから」
そう言って立ち上がったハルシェイアの格好は部屋に戻ったときと変わっていない。このまま旅にも行けそうな丈夫な生地で出来た、良く言えば落ち着いた、悪く言えば地味な服である。元が良いハルシェイアなので、これはこれで似合っていて可愛いが、メイアや、ここにはいないがジンスなどに言わせると、少し残念…、らしい。
「それでは、行きましょうか」
「うん」
そう肯くとハルシェイアは地図を閉じて、部屋の扉へと向かう。
(気がつかれちゃいけない…これからやろうとすること。メイア達だけには…気がつかれちゃ…――)
怖かった。折角、出来た友達に気取られることが。それで、嫌われてしまうことが。
でも、それ以上に衝動は止められない。自分がやる必要はないと分かりつつ、それでもなお……後悔と寂しさに押されゆくように。
そして、ハルシェイアはそんな思考を誤魔化すかのように振り返って、メイアに薄く微笑みかけた。それが不自然な笑みだったことに気づきもせずに。
その数時間後――
辺りはすっかり暗くなり、鳥の鳴き声も梟ぐらいなものに。大分欠けた月の光も弱く、流れる雲に遮られれば、街は闇に覆われてしまう。
そんな中、市内東部から北のルイシュテン門付近にかけてでは、殺人鬼を警戒し厳重な警備が敷かれ、衛兵や騎士達がひっきりなしに群をなして歩いていた。ルイシュテン門外でも衛兵達により街娼でさえ店仕舞いを強いられてその姿は無く、人通りは物々しい警戒の兵士のみである。また東南のクリール門、聖行門二門内外でも同様の警戒がなされていた。
しかし、その一つ外側、街の南側から北東にかけての主要四街道を貫く通りは、警戒も薄く一般の人通り所か兵士の姿も見えなかった。
そこに一つの影。獣と紛う唸るような吐息、やせこけた長身の男。
ガ、ガラ、ガラガラ…、ガ、ガガ、ガガラ…
そして、堅い物を引きずるような音――背の高い男が持ってもより長大な抜き身の剣の切っ先で地面を掻きつつ歩いていた。しかし、それは些細な音、通り沿いに民家もあるが気がつく者は誰もいない。
男の白い肌は闇に溶けて、飢えた犬のような呼吸音は夜に消えていく。
男の瞳は暗く淀み、半開きの唇は薄く笑みを浮かべている。
(オレはツヨい…ツヨくナった)
男は誰よりも強くなりたかったのだ。そう、誰よりも、何よりも――全ての人間よりも、全ての獣よりも。
それは深く暗い想い。彼にとっては叶えるべき命題。絶対の信仰。
そこで、ふと男は思った。それは根本的な疑問――
何で、そこまで強くなりたかったんだろう?と
――…!
――ア……、…げ…
――逃げて、クスペル!
――駄目だ、アリー…
――……!
――…
――
――キニスルナ、サマツナコトヨ――
映像が頭をかすめていった気がしたが、それは疑問とともに、何か邪魔されるかのようにかき消える、そんなことは些末なことだと囁かれたかのように。
そんなことはともかく強くなりたかったのだ。あの獣のように、強靱で、そして狡猾に、凶暴に、残虐に。血に飢えた、強い強い強い強いツヨイツヨイツヨイツヨイ化け物に。
だから食べた、血をすすった。人間を狩った、狩りを楽しんだ。そうして、強い強い獣に、誰よりも強い存在になれた、そう…なれた、のだ。
男は歓喜に震えていた。自分の強さに、化け物としての自分に。
そして、感謝した。自分の引きずる長剣に、この剣に会わせてくれた運命に。
「…?――――!」
そこで男は直感的に顔を上げた。何か居る、敵が居る、強い何かが居る。そう剣が語りかけている気がした。
道の先を見据える。月の薄い光に照らされて銀糸が揺らめいていた。
小さな影、剣で叩きつければ、すぐに壊すことができるような、そんな小さな影。
しかし、彼は本能的にそれを畏れた。まっすぐと、それでいて泰然として自分を貫く視線に。そして、その小さな影の、異様な存在感に。
それが、口を開いた。殺伐としたこの場の雰囲気に似合わない鈴のような声で。
「あなたが、殺人鬼ですね」
と。
「あなたが殺人鬼ですね」
ハルシェイアは感情のこもらない、それでいて凛とした声で問いかけた。
「……」
男は警戒したように唸るだけで答えなかったが、ハルシェイアは構わず続ける。
「あなたの行動はとても狂気的で、快楽的…でも裏腹に非常に狡猾です。だって、まるで西から東へ、ステイアウス門からルイシュテン門へ向かうかのように犯行を重ねていったんですから」
そこで一端、言葉を切る。男はハルシェイアの言葉を静かに聞いていたが、剣を握る手は力が込められている。ハルシェイアもそれ気がついているが、特にそれで何かすることは無かった。ただただ話を続ける。
「でも、実際は巣穴を変えていなかった。おそらく、ステイアウスから来たあなたはアステラルテに着くと警戒を避けて、外周道路を東へぐるりと巡り反対側で警戒の比較的薄い南の三門…多分アラウント門から街に入り、そのまま門近くに居着いたんです。それにこの街、一度でも長期滞在して特に問題の無かった人間には検査が甘いようですし。そして、あなたはそこから毎回、北へ歩いて犯行を行った…この街は広いです。少なくとも私が知っている限りでこの街より広いのは新旧両アルデネスぐらいなもの。でも、あなたみたいに馴れた人間が歩けば、一番長い距離でも半日はかかりません。そのようにして、あなたは西から東へ移動するように見せかけ、人を殺すのを楽しみ、警備を崩すのを楽しみ、捜査が混乱することを楽しんだ。狩りを楽しんでいた…違います?」
その言葉に普段、おどおどしたところのあるハルシェイアの姿はない。別に目の前に男に嫌われても構わないからだ。どちらにせよ死ぬのだから。
そのハルシェイアの話に、男が肯定するように嗤った。そして、そこで初めてハルシェイアに言葉を投げかけた。
「…デ、お前は?俺にコロして欲しいノか?」
「いえ、私――あなたを狩りに来たんです」
そのハルシェイアが言葉を切るのが合図になったように爆発的な音がして、男の姿がそこから消えた。男は一瞬で十数歩を飛び、ハルシェイアの目の前でその長剣を振りかぶっている。
そして、それが振り下ろされ…。
――甲高い金属音――
「くっ」
ハルシェイアはいつの間にか脇差を左手で抜き、剣を防いでいた。事前に身体を魔法で強化していたが、細い腕が悲鳴をあげる。
(思ったより速くて、重い…!)
と、同時に太刀を右手で抜き放つ。男は驚いたように素早く数間後ろに飛び退いた。男の腹部の服がはらりと裂け、血を滲ませていた。
「ナンダ…その小剣?この剣でも壊せない」
「……やっぱり、その剣も――魔剣、ですね」
ハルシェイアは男の質問には直接答えなかったが、その言葉が遠回しに回答となっていた。
魔剣は、精霊器の中で、使用者に何らかの悪影響を与える武器の総称であり、厳密にはそういった分類がなされているわけではない。よって、その効果も様々で、寿命を削るかわり絶大な力を与えたり、人の精神を狂わせたり、身体の一部を異形に変えたりするなど重大な作用があるものから、持つと無性に身体全体がかゆくなるだけ、といった、思わず笑えるようなものまである。また魔「剣」とあるが、その形が剣であるとは限らず、槍や弓など武器一般を慣習的に魔剣と呼ぶ。
男が持っている剣はまさにその魔剣だった。そして――
「その剣、も…?」
「…二振りとも、魔剣です」
大したことでもないように平然とハルシェイアは答えた。
それを聞くと、男は大きく血走った目を見開いて、そして心底嬉しそうに哄笑する。
「くく、クク、ククク、クハァっハァっハァっハッハハハハァァァァァァ!!!!!同類だ、同類だ、同類だ、同類だ!!」
「そうかも、しれません」
ハルシェイアは自嘲的に肯定する。
「アハハハハハハ、だからか、あの畏れは。同類が、獣が、オレと同じ獣が、ここにいた。―――さァ、喰いあおう!!」
男がいきり立ち防音結界を発生させ、同時にキシーンという独特の空気の摩擦音が聞こえた。剣へ空気を纏わせる――風属性付加魔法“風斬”――。
そしてそのまま、男は先ほどと同じように消えるように飛び出した。今度は建物の壁を蹴り、ハルシェイアの側面から。哄吼をあげて。
だから男は気がつかなかったのだ。ハルシェイアの悲しげな一言に――
――でも…私、魔剣には支配されていないんです。あなたとは違う…――
そして――
「ナ、何?」
男が驚愕の声を上げる。ハルシェイアの太刀によって剣が止められていた。
男が驚いたのは少女に二度も剣を止められたことではない。それぐらいするのは、先ほどの動きで想定済みだ。そのための“風斬”である。風斬は武器に風の刃を付加させて切れ味を高めるうえに重圧を増す効果がある。同時にそのまま鎌鼬を発生させることできる。つまり止められない刃になるのだ。これは魔法に長けた傭兵が戦場でよく使う手でもあった。
だが、男の剣にからみつく少女を死なない程度に切り刻むはずだった風がきれいに消え去っていた。
彼女が何らかの、“風斬”をうち消すような魔法を使ったようにも見えない。だが、事実として少女の太刀にうち止められた彼の剣には何の付加もかかっていない。
(……剣?)
『――二振りとも魔剣です』
「ソウか、その剣か」
少女は答えなかった。代わりに男の剣を弾く。
が、軽く男の腕を上がらせただけであり、逆に少女の刀は大きく天を向き、身体ががら空きになっていた。
男はニタリと笑い、剣を振り下ろし――
ザシュ―――
驚くほど呆気なく腹を切り裂かれて倒れた――。
「ナ―――」
興奮した男は失念していたのだ。『――二振りとも魔剣です』…という言葉を思い出しておきながら、その少女が持つ青白く光る小さな方の刃を。ハルシェイアが背中で隠していた脇差を。
「ア―――」
男の視界が真っ赤に染まり、意識がそれきり途絶えた。
今回、というかこれ以降は難産です。
なんと言いますか…戦闘シーン苦手です。好きなのにorz
あと、ここまでの展開少し急ぎすぎた感も…もう少し伸ばすことも出来たかも…などと思ったり…。
未熟な作者ですみません…。
次回、第一章決着の回…の予定。明日、アップできれば…いいなぁ。
2010/10/12修正(メッセージによるご指摘による)
・「自分がやる必要はない分かりつつ」→「自分がやる必要はないと分かりつつ」
2013/06/12修正(誤りではないのですが一般的な字に訂正)
街娼でさえ強制的に見世仕舞いをして→街娼でさえ強制的に店仕舞いをして