第9話「宴の跡」
最初の殺人鬼の犠牲者は、ステイアウス伯国のギルズの若い街娼だった。人通りのない裏通りで斬られ、人差し指がかみ切られていた。二人目も同じ市内で、殺されたのは石工だった。やはり人気の無い道で、同様に斬られて前腕の肉の一部が噛み取られていた。三人目は無宿人で、河原で殺され耳が無かった。
その後はギルズ市を抜けて街道沿いに二件。一件は行商人で道の脇茂みの中で殺され、右上腕にほとんど肉が残っていなかった。二件目は宿場街エネルシンで踊り子が殺され、内臓の一部が無かった。
ベルテン街道に従って近づいてくる殺人鬼に対して、アステラルテ騎士庁も対策を立てなかったわけではない。街道側、北西郊外の城外軍の人員を増強し、街道と直結するステイアウス門での入市審査を強固にした。またやはり街道側にあるフランジ港へ入る水路橋と港から市内に入るフランジ門の警備も増強し、他門でも警戒を強めた。
しかし、殺人鬼はその騎士庁の警戒を嘲笑うかのように、防衛線をかいくぐり、市内で犠牲者を屠った。最初は他と同様にステイアウス門近くの路上での犯行だった。しかし、アステラルテでの三件目、これは一般の住宅に押し入っての物であり、その後、不規則に路上、屋内での凶行を繰り返し、また回を重ねる事に残忍さを増していった。これまでにアステラルテ市内で八件十八人の被害が出ており、今回のアデン街の事件で九件目、被害者数は二十一人になった。中には警邏中の兵士も含まれていた。
またその犯行位置もステイアウス門を抜け、北西のステイアウス門の南、アムイ公園付近の路地からその北東に少し行ったアズリーの丘の麓、そしてさらに北東、東、南東、東…というように東へ徐々に移動していっていることから、北部・中部のアステラルテ区、北東部のルーベイ区では特に警戒を強め、市警だけではなく騎士団、城外軍からも人をだして事態に当たっていた。その矢先のこの事件であり、騎士庁の面目は丸つぶれと言って良い。
ハルシェイアはそんな事件のありましを馬上でシブリスの背に掴まりながら聞いていた。そして、何か違和感を覚える。
(……何だろう?何か、変――)
そう考えていると、目に流れ映る風景が徐々に遅くなっていく。ゆっくりそれが止まる。そこで、血の匂いが、した。微かにだけれども。
「着きましたよ、ハルシェイア」
そう言いながら、シブリスは馬から降りた。そして紳士っぽく、ハルシェイアに手を差し出す。
「…あ、ありがとうございます」
考え事をしていたハルシェイアはまったくシブリスのその行動は気が付かず、乗せてもらった礼を言うと、軽く自分の背よりも高い馬から飛び降りた。そして、シブリスを見上げて初めて、その差し伸べられていた手に気が付き、固まる。
「わ、私、ごめんなさい。気が付かなくて、あの、その…」
「あ、いえ…良いんです。それより…」
辺りを見渡すとそこは人が三人も並んで歩けばいっぱいになるような細道が先まで続き、両脇にはいまいち統一されていない家が間を空けずに並んでいる。今は規制線が敷かれてちょうど片道七建分ほどが立ち入りできない状態になっており、その中では市警所属と思われる兵士や下級の騎士が検分のため見回っていた。
規制線のすぐ外では近くの住民なのか泣いていたり、恐怖で顔を強ばらせていたり、また野次馬なのか顔をしかめたり、興味深そうに覗いていたりする者がいた。二人が降馬したのは、そんなまっただ中の規制線すぐ前。そこに居た警備の兵士が突然馬で現れた不審者を警戒して構えたが、シブリスを確認するとすぐにそれを解き、慌てて敬礼して無礼を謝罪した
「失礼しました、騎士シブリス」
「いや、いいよ。それよりも中に入って状況を見たいんだ」
「はっ今すぐ…――?」
と、規制線を上げて中にシブリスを入れようとした兵士はその横にいた白髪の、こんな血なまぐさい現場に相応しくないような可憐な少女に気が付き、訝しげな顔をした。それに対してシブリスが兵士の疑問にすぐ答える。
「この子は僕の知り合いの子なのですが、今回の被害者の一人が知っている人間かもしれないというんで、確認のために」
「被害者の一人…?もしかして初老の女性ですか?」
ハルシェイアが頷く。
「そう…ですか――実はその女性だけは身元がいまいちはっきりしなくて…ああ、すみません、騎士シブリス。さぁ、どうぞ詳しいことは中の小隊長に」
「ああ。すまないね――では、ハルシェイアも」
「はい。――ありがとうございます」
ハルシェイアはシブリスに続いて、規制線を潜ると、すれ違いざまに兵士に礼を言った。兵士も軽く笑って会釈した。
そこから奥に四軒進むと件の家だった。家の前には二人の男と一人の女性――そのうちの一番体格の良い、年の頃は四十少し前の男がこちらを見つけ近づいてきた。黒髪で黒目で、精悍な顔つきをしている。
「騎士シブリス?この事件の担当では無かったはずでは?それに、その子は?」
この男は場違いな二人に少し驚いた様子ではあったが、極めて落ち着いており、ただそれだけでも豊富な経験に基づく風格を漂わせていた。
(この人…“強い”。なんか、大きな岩みたい)
「お久しぶりです。騎士アラス。そういえば、あなたがここの小隊長でしたね――」
シブリスはアラスと呼ばれたその男に軽い挨拶をすると、先ほどの兵士にしたのと同じ説明をする。すると、得心がいったようにアラスが頷いた。
「なるほど、そういうことですか――実はその被害者の女性、近所の人間は誰も顔を知らなかったもので、身元が明確には分からなかったのです。ただ近隣の家には、この家の主で被害者夫妻…ジェルメン・フルハス、ロール・アルヴィー夫妻が、ロール・アルヴィーの母親と同居することになり近日中にラフェインから越してくるということを伝えていたので、この初老の女性はその母親らしい…と」
「なるほど。それだと、ハルシェイアの話と一致しますね…」
ただ、その一致は好ましいものではない。ハルシェイアは表情を堅くした。アラスはその様子を見て、
「しかし…、こちらもそちらの子に身元確認して貰いたいのですが、あまり女の子に見せられるような状態ではないですよ」
と気遣った。しかし、それについてはハルシェイアも承知している。そのような死体がまったく綺麗ではないことなど。
「いえ、大丈夫です」
「彼女なら大丈夫ですよ。ともかく、会わせてあげてください」
それを聞き、アラスは渋い顔をして、悩むよう軽く唸った。
「分かりました、騎士シブリスが言うのであればそうなのでしょう。――アルテ伍長、聞いていたな。彼女たちを案内してあげなさい」
そうアラスが声をかけると、後ろにいた二人の兵士のうちの一人、二十才前後の薄い栗毛色の髪をした女性兵士が答えた。
「了解しました、隊長。騎士シブリス、それに――」
「あ、ハルシェイアです。ハルシェイア・ジヌール」
「はい、ハルシェイアさん、どうぞこちらへ」
案内されて家の中に入る。途端、生臭さが漂っていた。入ってすぐの所に男性の遺体、そしてその先に仰向けで倒れていたのは――
「――小母さん」
ハルシェイアは静かに瞑目した。馬車の中でころころ笑い、何かと世話を焼いてくれた小母さん。そこで冷たく変わり果てていた。
ハルシェイアは綺麗な瞳をきっと見開いた。小母さんの死体に躊躇無く近づき、片膝をついた。
小母さんの目は茫洋と開かれ、顔は苦渋に歪んでいる。左腕はなく、三歩ほど先に骨を露出させて転がっていた。そして、胸から腹にかけてバッサリと斬られている。
(……この傷。こんなのじゃ…違う逆なんだ、これは――)
「――一撃で殺さないように、斬ったんだ…」
まるで肉食獣の狩りのように。活きた肉を食べるために。いやその行為を模しているのか。
「ねぇ、シブリスさん、犯人の目星ってついているの?」
「え…あ、目星ですか。まったく、のようですね。ジグルットは魔族の仕業ではないかと言っているようですが…」
「え、なんで?魔族?」
魔族は南大陸に住む人間外の種族である。浅黒い肌に尖った耳、有翼で、個人差がある頭に角があることが多い、人間に比べ筋力も魔力も格段に強く寿命も三倍以上長い反面、出生率が大幅に低い。最初の人間の国家である古代太陽帝国に南大陸に押し込められるまでは、南北大陸を支配する世界の覇者で、現在も幾つかの国家を形成している。
ただこの大陸中南部においては南の沿岸部を除き、とある理由からほとんど見かけることはない。なので、魔族が犯人というのはひどく意外だった。
(何か、重要な証拠、あるのかな?)
聞き返しながらハルシェイアはそのように推測したが、返ってきた答えはその予想とは違う――もっと単純な解であった。
「彼は僕と違って敬虔なイステ教徒ですから」
「…え、と?…それ、だけ?」
「それだけです」
あんまりと言えば、あんまりな解答にハルシェイアは思わず閉口してしまった。
イステ教は全人類の六割もが信仰する人間社会最大の宗教である。“全なる者”とその使徒たちを信仰し、悪なる者が滅びきった時に出来る善なる永遠帝国の創出が主な教義である。その悪なる者の代表格が魔族、つまり、イステ教では魔族はまさに悪魔なのであった。
そのイステ教の総本山――聖教国セルイステ宮――はこのアステラルテから馬車で東に半月弱行ったところにあり、アステラルテを含めた北大陸南部においてはとくにイステ教の規制は強い。なので、魔族を敵視する人間は元々多い地域ではある。で、あるのだが…
(で、でも…それだけで魔族が犯人って)
「彼曰く、『このような残虐な犯行はまず魔族を疑うべきだろう』とのことです」
シブリスは少し苦笑いした。そう言うシブリスも、国教をイステ教と定め、王が教皇からモルゲンテ皇帝冠を受けたジャヴァールの貴族で、当然、イステ教徒である。但し、ジャヴァールではイステ教会の規制は弱く、シブリスの言い方を借りれば「敬虔ではないイステ教徒」が潜在的に多い地域である。その最もたるのが教会の政治的影響力を排除しようとしている皇太女エディスティンなのだが、これは完全に余談である。
この様子だとシブリスもイステ教徒のジャヴァール人としてはご多分に漏れず「敬虔ではないイステ教徒」のようである。ちなみにハルシェイアはイステ教徒ではない。
閑話休題。
だが、実際問題、行為という点において魔族と人間に根本的な違いはない。つまり、それは――
「……えっと、でも魔族に出来ることは人間にも出来るんですよね」
ということだ。そう考えると、ジグルットの主張は間違いとは言えないが、正しくもない。ようは、魔族か人間かは断定できない、それだけだ。
それにシブリスは無言で同意を示しつつ、それに続けて、
「ええ、彼も魔族のみに絞って捜査しているわけじゃないですよ。その可能性を視野に入れているだけで」
と同僚の友人を弁護した。
知り合いの遺体を前に取り乱すところが冷静に状況を把握整理していった少女に驚きつつ、その様子を黙って眺めていたアルテもハルシェイアの言に肯いた。
「隊長も似たようなことを先ほど言っておられました。犯人を魔族と限定することはできない、人間でもこんな光景いくらでも作れる、と」
「うん……」
ハルシェイアは少し寂しげに肯定した。
(そう…いくらでも、いくらでも…)
ハルシェイアがちょうどそうのように沈黙し、一瞬、間が空いた時だった。外から馬の嘶きが聞こえ、途端に騒がしくなった。それに気がついたシブリスが呟く。
「ジグルット達が到着したみたいですね――ハルシェイア、どうします?」
「邪魔しちゃ、悪い、から…」
「帰りますか――アルテ伍長、ありがとうございました。邪魔をしてしまって」
「あ、いえ、私の方こそ円卓騎士シブリス様をご案内できたのは名誉なことです」
「なら良かった…ところで今度、非番の時でも――いえ、流石に不謹慎ですね」
と、目の前の女性を口説こうとしたシブリスだったが、すぐに場所を思い出して恥じたように口を閉ざした。
それに続いてハルシェイアも、
「ありがとう…ございました」
と御礼を言うと、
「いえ、こちらこそ捜査にご協力、ありがとうございました」
と御礼を返された。
「じゃあ、行こうか」
「…はい」
ハルシェイアは一度振り返って横たわる小母さんを眺めた後、屋外へ出た。
「騎士シブリスに…ハルシェイア?!」
屋外に出ると、驚いた様子のジグルットに迎えられた。それはそうである。先ほど置いてきた人間が自分たちより先に、しかも事件現場へ到着していたのだ。無論、ジグルットたちが遅かったわけではない、支度の必要と団体でこちらに来たことを鑑みれば早いほうだろう。ただ、着の身着のままで駆けてきたハルシェイア達が素早かったのだ。
外は中に入った時に比べて格段に人が増えている。騎士団に加えて、区警本部や市警本部の人間も到着したのだろう。
「すみません、きちゃいました」
「ご、ごめんなさい…」
唖然としているジグルットに対して、シブリスはおどけたように両の掌を軽く天へ返し、ハルシェイアは恐縮したようにぺこりと頭を下げた。
それを見てジグルットは困ったようにこめかみを掻いて、溜息をついた。
「まあ、過ぎたことはしかたない。それでハルシェイア…どうだったんだい?」
「知っている、人でした」
「すまない…――でも、この凶悪な犯人は僕が必ず捕まえるから、ハルシェイア、待っていてくれ」
ハルシェイアは曖昧に頷いた。その後、ジグルットは一言断ってから、仕事へと戻っていった。
そして、その姿を見送った後、ハルシェイア達は騎士アラスに挨拶して、そのまま騎士堂への帰途についた。
ただ、ハルシェイアは黙って犯人の逮捕を待つつもりは無かった。
(…小母さん、ごめんね。私、名前聞けなくて)
ハルシェイアは背中で殺人現場の喧噪を聞きつつ、静かに前を見据える。
(…名前言えなくて)
そして下唇を甘く噛んだ。
(だから、私は――)
今のところ、毎日投稿出来ているのは、とりあえず第一話については最後まで出来ているから。
ただこの先、少し加筆するので、この後、連日更新出来なくなるかも知れません。
すみません。