その人を隔てるもの
ふと、目に入ったキーホルダーに、はっと記憶が刺激される。
薄いピンク色の糸をシャトルで編んで作られた、桜の花を模したその小さな手芸作品は、確かに、蘭が作った画材入れの布鞄に幸が大切そうに付けた、あの桜色の飾りと同じもの。と、すると、まさか、この人が。ここまで考えて、蘭は少しだけ首を傾げた。こんなに近くに居るなんて。
郊外に居を構える、昔からこの街に住んでいる老婦人のところへ、寧に頼まれて修繕した着物を届けに行った帰り道、留ノ川の右岸にある丘に建つ理系大学に向かう道の辻にあるテイクアウトのコーヒーショップの前に、蘭は居る。その路面店で商品を待つ人々の中に、その小品はあった。正確には、先程コーヒーを受け取った背の高い女性の、滑らかに光る鞄の端に。まさか、あの女性が、幸が探していた母親、碧だというのか? 幸の言う通り、彼女はこんなにも近くに居た。驚きに思考を支配されるまま、蘭は大学へと向かう小さな人混みに紛れかけたその女性を追った。しかしながら。準備が足りないので当たり前のことなのだが、途中で女性を見失う。大学に、勤めているのだろうか? それならば、一度こっそり探してみるのも悪くない。そう思い、蘭は踵を返した。
と。
「私に何の用?」
いきなり目の前に現れた、当の女性に、思わずぽかんと口を開ける。いつの間に、気配も無く、蘭の背後に? 驚きを隠すことなく、蘭は目の前の女性を無遠慮に見つめた。大柄な累よりも背が高く、細身の寧よりも更に華奢で、子供の幸よりも当然美人だが、前髪で隠れている瞳の色は、間違いなく、一族の色。
「あなたは、『谷』の人ね」
女性の方も、蘭の、ここに住む人々とは異なる瞳の色に気付いたのだろう、唇を震わせながら真一文字に結ぶ。
「でも、私には関係無い」
そして、女性は、蘭を鋭く睨むと、蘭の横を通り過ぎ、大学の方へと向かった。
「あなたは、幸のお母さん?」
その背中に、小さく問う。蘭のその声が聞こえたのか、女性は蘭の方を向き、鋭い声を発した。
「違う」
にべもない否定に、真実を読み取る。彼女は、碧。幸の母親だ。
沈んだ気持ちを感じながら、蘭は、立ち去る女性の背中を、ただ見詰めていた。
「……知ってたわ」
後日。寧に碧のことを確認すると、寧はあっさりとそう言った。
「でも、幸には話したくない」
碧は、幸の能力を嫌っている。だから、半ば捨てるように、碧は幸を姉の累に託した。そう言った寧の言葉に、蘭が感じたのは、怒り。だが蘭は、その怒りを胸の奥に突っ込んだ。寧の言う通り、幸には母が近くに居ることを黙っていた方が良い。幸の幸せを考えると、その結論が一番良いのだろう。だから。
「分かった。幸には言わない」
強い声で、蘭は寧にそう、言った。