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雨より先に

 定休日であるはずなのに耳に響く、格子戸が開く音に、顔を顰めて音の方を向く。

「蘭、良い?」

 街中にひっそりと佇む手芸喫茶『咲良』を時々手伝っている、近くの高校に通う少女、 尤の、初夏の日差しを浴びて黄金色に輝く髪に、蘭は唇を歪ませて頷いた。

「床掃除はだいたい終わってるから」

 季節は、夏に近付いている。昨日から、この喫茶店『咲良』の本来の主、寧は、この町から車でずっと奥に入った山間にある、寧の姉、累が主催している農場『咲良』の手伝いに行っている。そして蘭は、寧から頼まれた春の大掃除を行っているところである。昨日は、一階の喫茶室と二階の手芸室の床にワックスを掛けた。その仕上げに、今日は床を丁寧に水拭きしている。一階も二階も、掃除はほぼ終わっている。尤が少々邪魔をしようとも、今日中に寧から頼まれた物事は終わるだろう。だから蘭は、尤が玄関マットで靴裏を拭うことなく掃除中の店に入り込み、学校用の大きく重そうな鞄を側の机に無造作に置くなりカウンターの後ろのミニキッチンで何やらごそごそやり始めても、少しだけ肩を竦めるに留めた。

「学校は?」

「中間試験の最終日」

 投げかけた質問に、くぐもった声が返ってくる。どうやら冷蔵庫の中を漁っているようだ。先生方は採点で忙しいから、部活もしてはいけないなんて、勝手過ぎる。そう言いながら、尤は、蘭の昼御飯用に寧が置いていったアップルパイと雑穀の蒸しパンを、カウンターの上に置かれた木製の盆の上にどっかと乗せた。

「お腹空いた。両方食べて良い?」

「アップルパイは残しておいて」

 寧の得意料理の一つであるアップルパイは、当たり前のことだが、林檎があるときにしか作ることができない。尤の目の前にあるパイが、今期最後の物。今日食べ逃せば半年後までありつけない。その蘭の牽制が聞こえたのか聞こえなかったのか、尤は再び蘭の視界から姿を消した。おそらくカウンターの下にある棚を探っているのであろう。

「コーヒーは?」

 そして再び顔だけを、蘭の方へ向ける。

「切れたから夕方届くって」

 蘭は、コーヒーは飲めない。砂糖を多く入れても苦く、そして酸い感じがする部分が好みに合わないのだ。それを知っている寧は、コーヒーではなく、農場で作られているお茶を沸かしたものを冷蔵庫に入れておいてくれているはずであるが、そのお茶の味が、尤にはお気に召さないらしい。

「じゃあミント水でいいや」

 そう言いながら、裏口側の植木鉢に生えているミントの乱暴に千切ってきたものをガラスの水差しに入れ、アップルパイと蒸しパンの横に置く。

「じゃ、二階で待ってるから」

 全てが乗った木の盆を、二階へと運ぶ小さな手動エレベーターに乗せてから、尤は鞄を持って二階へと上がって行った。

 その細い背を見送りながら、ふっと息を吐く。尤は良い子なんだと、寧は言う。でも、綺麗な黒髪を染める行為はまだ許せるとして、蘭に我が儘を通そうとするところは、どうにも慣れない。そこまで考えて、蘭は自分の思考のおかしさに爆笑をかろうじて堪えた。いくら蘭が不老不死の能力者で、千年生きていると主張したところで、見た目は尤より年下なのだ。尤にしてみれば、蘭は、学校にも行かず寧の手伝いもしていない、この場所に理由も無く居候しているだけののらくら少女にしか見えないのだろう。綺麗な黒髪を派手な色に染めて不良を気取っている尤と、似たり寄ったりだ。蘭は肩を竦め、そして寧が用意していた冷たいお茶を注いだ大きめのコップを手に、二階へと上がった。

 二階では、手芸用の大きな机の上に鞄と食べ物を置き、大きめのスケッチブックを手に虫籠窓の側に陣取った尤が、雨にはまだ遠い光だけで何かを描いていた。

 その尤のスケッチブックを、後ろから覗きこむ。休みの日に尤が『咲良』に着てくるような、フリルやレースを多用した、ふわりと広がるスカートと膨らんだ袖のブラウスを着た女の子の姿が、スケッチブックには描かれていた。その、華やかに見える服装は、昔、ここではない場所で蘭が一族の少女達の為にせっせと縫った舞踏会用のドレスを思い起こさせる。今は居ない、少女達のことを。

「今年の文化祭の展示用」

 尤が描いているスカートを昔の少女達が見たら「足を隠さないなんて破廉恥だ」と卒倒しそうな勢いで言うだろう。そんなことを考えていた蘭の耳に、尤の声が響く。尤が通っている高校は、昔は確か女学校だった。その中にあった被服科の流れを継いだ、しかし名前はカタカナに変わってしまった学科に、尤は所属していると、それは寧から聞いている。

「おとぎ話をモチーフにした服を作ろうかと思っているんだけど、昔話って女の子あまり活躍しないのよね」

 王子様のお嫁さんになるとか、悪漢にさらわれるとか、何処の国でもそんなのばっかり。むくれたような尤の言葉に、思わず笑う。王族との結婚を拒否したが故に自殺に追い込まれてしまったり、為す術も無く怪物の生け贄にされてしまったり、尤の言う通り、本当に、おとぎ話の女性達は苦労ばかりしている。実際の女性達は意外と強かに生きていたというのに。もう一度、蘭が服を縫ってあげた少女達のことを思い出し、蘭は今度は少しだけ、微笑んだ。

「よし、決めた」

 不意に、尤がスケッチブックをバタンと閉じる。

「おとぎ話の解釈を勝手に変えて、強い女性をモチーフにしよう」

 それは、良い考えかもしれない。本当にお腹が空いているのだろう、アップルパイを切り分けもせず口に運び始めた尤に、蘭は再び少しだけ、口の端を上げた。

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