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静かに過ぎる

 徐に開く、格子戸の向こうに見えた暗い色のセーラー服に、静かに微笑む。

 この子は、記憶にある。細かい雨に濡れた重いお下げを後ろに払う少女を、見るともなしに見る。確か一年ほど前の冷たい雨の日に初めて、この少女は今と同じようにおずおずと、この格子戸を開けて中に入ってきた。その時は、店が混んでいたから二階に案内したのだが、ここ二、三日、春らしくない冷たい雪雨が降り続いている所為か、今日の『咲良』はがらんとしている。丁度良い、時に。寧はもう一度、ぎこちない表情でこちらに向かってきた少女に微笑んだ。期末試験があるとかで、今日は尤は手伝いに来ない。蘭も居ないから、どちらにしろ二階は使えないのだが。

「いらっしゃいませ」

 この少女は、蘭のことを、何処まで知っているのだろうか。蘭からの頼まれごとを思い出し、メニューを見詰める少女の黒髪を見詰める。蘭は、川に落ちた子供を助けて、行方不明になった。それが、この町におけるあの事件の顛末。遺体は未だ見つかっておらず、「川の主に見初められ、さらわれたのだ」という噂も立っている。そこまで思い出し、寧は笑いを何とか堪えた。不死身の能力者である蘭は、現在、予知の能力の萌芽をみせた幸を連れて『谷』に戻っている。おそらく幸がある程度成長するまでは『谷』に居ることになるだろう。この街を出るときの、幸の乾いた瞳を思い出し、寧は今度は呻きを堪えた。どのような感情を抱いて、幸は『谷』に行くことを了承したのだろうか? 母に拒絶された絶望故か、それとも。

「あの」

 少女の言葉に、はっと意識を現在に戻す。

「洋風のセットを、お願いします」

 一年前は異なる、少女の注文を、寧は何故か懐かしさと共に聞いていた。寧が作る餡や和菓子はやはり、蘭が作っていたものよりも味が落ちるらしく、和菓子とお茶のセットを頼む人は減っている。洋風の焼き菓子が寧の得意分野であるし、和菓子についてもこれから研鑽を積めば良いとは思うが、やはり、何かしらの寂しさは、感じてしまう。だから、少女が焼き菓子と飲み物のセットを頼んだことに、寧は正直ほっとしていた。

 そうそう。木の盆の上に淹れたてのコーヒーと、オーブンから出したばかりのアップルパイを並べながら、蘭から頼まれたことをもう一度思い出す。その、預かり物である、ワックスペーパーで包まれた塊を盆の上にそっと乗せると、寧は、一番奥のテーブル席に腰を下ろした少女の前にその盆を静かに置いた。

「あ、の」

 予想通り、置かれた包みを指差して、少女は戸惑いの声を上げる。それでも、寧が微笑むと、少女は唇を引き結んで包みを開いた。

「あ……」

 少女の声が、途中で止まる。

 包みの中身は、黄色のうさぎの縫いぐるみ。『咲良』の飾り窓に蘭がよく飾っていた、蘭お手製のもの。その縫いぐるみを、朝夕、この少女が見詰めていたことは、寧も知っていた。蘭が少女と交わした、小さな約束も。

 蘭が生きていることを、この少女に告げるわけにはいかない。『谷』の一族が持っている『能力』は、一族外の人々からすれば驚異にしか映らない。生き延びる為には、能力のことはひた隠しにしていた方が良い。そのことは、一族が辿ってきた歴史が証明している。寧自身も、自分の記憶力の高さに何度も助けられてはいるが、それでも。


 小さな縫いぐるみを抱き締めた少女の嗚咽が、俯いてカウンターの後ろに戻った寧の耳に響く。

 静かに続くその咽びを、寧はただ、静かに、聞き続けていた。

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