夜会を楽しみましょう(2)
以前と同じ儀礼的で完璧なステップにリードされながら、レアンドラは久し振りにマルセルの表情を見た。
いつも通り何がしたいのかよくわからない。
会場を目で探せば、悠々と誇らしげに微笑むリゼットがいる。彼女もいつも通り華やかで麗しい様子だ。いや、でも本当に何がしたいのか。自分は正直全身全霊でつまらないのだが。
「全くもってお似合いだな」
見下ろしてくる目は相変わらず彼女を嘲っている。その青い目を見ながらレアンドラは納得する。
確かに13歳ぐらいからこれに付き合っていれば、思考が変形しても仕方ないかもしれない。自分、よく頑張った。友人達と家族と猫達に感謝である。
「お前のような程度の低い女に群がる男はあんな程度と言う事だ」
鼻で嗤うマルセルを見ても、レアンドラの感情は全く動かなかった。声を掛けてくれた男性達に失礼だが、いくらなんでも同じ内容を言いふらすつもりはないだろう。
わざわざ1曲消費してまで人を嗤いに来るとは、なんだか寧ろ可哀想である。そしてそれをリゼットも承諾しているのだから似た者同士なのだろう。
今なら色々な事がわかる気がする。
彼らは単純に、レアンドラに傷付いて欲しいだけなのだ。そこに理由はない。ただの理不尽だ。
例のダンスパーティーの帰りの馬車の中で涙が出たのは、きっと何となく理解していたからなのだろう。誰だって理不尽に殴られれば腹が立つし、悔しいし、悲しいに決まっている。それが知り合いからだろうが見ず知らずの他人からだろうが関係ない。
「それで? 新しい婚約者は決まったのか?」
マルセルはじっとレアンドラを見つめた。まるで嬲るのを楽しむように。
彼は優秀な己に見合う能力を持った、優秀な女性と婚約が叶ったばかりだ。彼らの基準では、より一層レアンドラの価値が低くなったのだろう。
その顔を眺めながら、そう言えば、とレアンドラは当たり前の事を思い出した。もうマルセルは婚約者ではないし、彼の家との関係はきれいサッパリ無くなったのだ。
つまり、人として普通に応じても良いのである。
「条件を満たせば愛してやろうという男と、条件を満たして愛されようとする女が惹かれ合う」
マルセルは眉根を寄せた。望ましい反応と違ったのだろう。だが、レアンドラにはそんなものどうでもいい。
「お似合いだと思いますわよ? きっとお2人なら仲睦ましい夫婦になれますわ」
ようやく自分達の事を言われたのだと気付いたらしく、彼の目が大きく見開かれる。レアンドラは微笑みながら少し首を傾げた。
「マルセル様のような方はご存知ないのかもしれませんが、この世には条件なしでも愛し愛される関係と言うものがございますの」
彼女が猫に向ける愛情や、家族が彼女に向ける愛情は、条件など必要のない絶対的なものだ。マルセルのように「誰かより美人だから」「誰かより優秀だから」リゼットを選ぶような相対的なものとは毛色が異なる。
マルセルの青い目に再び嘲りの色が灯る。真意が伝わったのかはわからない。
「くだらない。低俗な人間の言いそうな事だ」
薄い唇が、また見慣れた弧を描いた。
どういう理屈なのかレアンドラにはよくわからない。少しやり返せば気分がスッキリするな、程度の気持ちだったのだ。この程度の嫌味の応酬は女性社会では常識である。
それでも彼女の凪いでいた心に、この時初めて憐みが湧き上がった。すなわちこの人は、どこまでもどこまでも他人を嘲笑しなければならないのだ。
「私は貴方を憐れに思います」
気付けばそう口走っていた。その言葉にマルセルの表情が一瞬真っ白に消え、そしてその青い瞳に徐々に強い色が滲み出る。それは明らかな怒りだった。それでも体に叩き込まれているのか、ステップに乱れは全くない。
「何かを満たした者しか愛さないと言う事は、何かを満たさなければ愛されなかったと言う事でしょう。私は無条件の愛を知っております」
彼女の目は真っ直ぐにマルセルを見ていた。これが初めて、彼女が真正面から彼を見た瞬間かもしれなかった。
「貴方は憐れです」
重ねたレアンドラの声は静かだった。
マルセルの唇が震え、しかし言葉は何も出なかった。レアンドラを見つめる目はどこか力がなく、頬は完全に固まってしまっている。優秀な頭を持っている彼の事だ。レアンドラが言った以上の何かを高速で弾き出しているのかもしれない。或いは、さらに嘲笑する為の言葉を探しているのかもしれない。
それでもリードは崩れない。ステップにも全くミスがない。怒鳴り散らすような教育も受けておらず、ダンスを途中で止める事も厳しく律されているのだろう。その完璧さが尚更に憐れだとレアンドラは思った。
そのまま双方無言で時間を消化し、遂に曲が終了した。
曲が終わると同時にマルセルの手から力が抜け、レアンドラはごく自然に彼から離れた。彼が今何を考え、これからどうするのかは知らないが、恐らく自分から何かを言う事はないし、恐らくこれから何かを言われる事もないだろう。