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猫に満ち満ちています(2)

「でもな、『お、いいな』と思うご令嬢は、意外と絶世の美女じゃなかったりするんだぞ。美人はいいが、『美人だから妻にしたい』とは思わないものだ」


 フランシスが次の箱に手を掛けている。先程振っていた豚毛ブラシはアンブルにがっちりホールドされ、太い両足でガツガツ蹴られていた。


「だからお前の婚約解消を虎視眈々と狙っていた男がいても不思議じゃない」

「はあ。そうなのですねぇ」


 曖昧な表情でレアンドラが肯いた。何せ今まで男性から贈り物などもらった例がない。信じろと言う方が無理な話だろう。


 いまいち真意が伝わっていないのを感じたのか、フランシスが顔を上げてレアンドラをじっと見た。煙った緑色の瞳が困ったように見返してくる。


「なんだ、信じてないな。美猫だろうが、デブ猫だろうが、悪戯好きだろうが、無愛想だろうが、ドン臭かろうが、猫は全部愛らしいだろ?」

「それは当然ですわ」


 思わず即答である。言葉に出すと同時に、答えがあっけなく胸に落ちた。


 猫の良さは外観や能力だけにあるのではない。もう、存在するだけで短所も長所も愛しいのである。それと同じで、人間の味わいも容姿や優秀さだけにあるわけがない。


 思い起こしてみれば、レアンドラはずっとそんな環境にいた筈だった。父母も兄も、長所や短所など関係なく自分の存在そのものを受け入れ、愛してくれている。勿論友人達もそうだ。ここ数年、マルセルに貶され慣れ過ぎて、多少なりとも思考に妙なクセがついてしまっていたのかもしれない。


 先程の兄の言葉が、また違う意味をもって心に温かく広がっていく。実際には兄の想像でしかないが、婚約が解消されるのを待ってくれていた男性がいたのだとしたら――。レアンドラは両手をそっと握り合わせた。


「婚約解消なんて、実際にするのかわかりませんでしたのに……」

「いや? 寧ろ結構狙い目だったと思うぞ。誰がどう見ても仲が悪そうだったからなぁ」


 ようやく箱の検分を終えたのか、兄がしれっとした顔でレアンドラの向かいの席に腰を下ろした。手には前腕程度の長さの棒が握られている。棒の先端には鳥の羽根がくっ付いてふわふわと揺れていた。どうやら箱から取り出したらしい。


 レアンドラの婚約は、元々はフランシスが原因である。彼は遠方に留学したのだが、まっ白い磁器を伴って帰国した。当時も今も陶器が主流であるこの国に白い磁器がもたらした衝撃は凄まじく、貴族達が磁器を入手しようと躍起になったのは言うまでもない。


 さて、ここでひとつの問題が持ち上がる。実はフランシスは磁器の製法も習得していたのだ。せっかくの珍しい磁器、出来れば自国で作りたい。しかし、クラルティ伯爵領は元々農業主体の領地で、織物産業はあるが良い粘土は採れないし窯も持ち合わせていない。つまり製法を知っていても作る術がなかったのである。


 領地内で作れないとなれば領地外で作るしかない。そこで目を付けたのが、質の良い粘土鉱床を持ち高品質の陶器を生産していたブロサール侯爵領である。歴代のブロサール侯爵は才ある若者に援助を惜しまない傾向にあり、そうして人材や知識、技術を取り込みながら領を発展させて来た。現侯爵、すなわちレアンドラの元婚約者であるマルセルの父がフランシスの話に乗ったのは言うまでもない。


「でも、お兄様は磁器はもう宜しいの? 熱心に取り組んでいらしたでしょう?」


 レアンドラが首を傾げると、フランシスは目尻に深い皺を刻みながら笑った。まなざしは温かい。


「技術はもう渡し終えたし、磁器が王国内で作られるならいいさ。それに、どのみちうちの領で作れないんだ。領内で出来る別の事に力を注いだ方が建設的だろう?」


 婚約に関する詳しい話はレアンドラは聞いていない。婚約期間は3年に満たないが、婚約が決まった当初から兄や父が婚約解消の為に動いてくれていたらしい。とにかく先方から解消を伝えられて、家族全員、そして屋敷中の使用人が手放しで喜んだ。婚約解消を申し立てる準備が整うのはもう少し先の予定だったらしいので、そういう意味ではマルセルの奇行には感謝しても良いだろう。


 兄が照れ隠しのように手に持った棒を軽く振る。すると先端の羽根がひらひらと揺れ、いつの間に移動したのか、茶色い影が足音を立てながら棒の先を掠った。アンブルがじゃれているのだ。


「おお。この玩具は、威力が凄まじいな」

「まあ、本当ですね。鳥の羽根が好きなのかしら」


 ぶん、と振ればアンブルは左へ右へ駆け回り、上へ動かせば勢いをつけて飛び上がる。しまいには寝ていた筈のジェットまで起き出して来て、2匹一緒に玩具を追う状態になってしまった。


「でも、捕まると羽根を抜かれそうですわ。長く使えないかもしれませんね」

「造りは簡単そうだな。これなら領地でも作れそうだ。換毛の時期に羽根を集めておくか」


 当然、領地の屋敷でも猫を飼っている。代々猫好きの血族らしく、領地には「猫の間」と名付けられた歴代の猫の絵姿を飾った部屋まであるのだ。ちなみに、猫の間には昔、生え変わって落ちた猫の髭もあったのだが、数代前の伯爵夫人が捨ててしまったらしい。


 丸顔を緩ませながらレアンドラは2匹を見つめている。一方、兄は玩具の再現方法をあれこれと考え始めた。それでも手は動かしているので、体に染みついた習慣とは恐ろしい。

 

 フランシスは羽根に戯れる魅惑のにゃんにゃんワールドをじっと見つめ、それから朗らかに笑うレアンドラを見た。まず、この玩具は素晴らしい。癒される。心から癒される。そして、猫好きの妹に花だけでなく猫用品も贈るような男性は大歓迎だ。


「よし。シーズンも半ばだし、そろそろお前の夜会の招待状を入手して来るか」


 兄の言葉に、レアンドラは「はい、よろしくお願いします」と微笑んだまま肯いた。

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