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後編

 また一ヶ月が過ぎたが、ジオジントは言葉通り現れない。

 ゼダが町の者に聞いたところによると、この国の人間たちは数ヶ月に渡って隣の国との小競り合いを繰り返しているそうで、戦いは長期戦の様相を呈しているらしい。傭兵隊の隊長だと言っていたジオジントも戦っているのだろう、とゼダは思う。


「そういえば、心残りがどうとか言っていたな。もう死んでいるかもしれないな」

 町での情報収集を終え、常闇の森の薄暗い道を歩きつつも、ゼダは何か引っかかるものを感じていた。


 ――戦いが続く中を、ジオジントは隊を抜けて、鉱石を取りに来たことになるのだろうか。



 数日が経ち、ゼダは再び夜の町に出かけた。

 酒場に向かって歩いていると、彼女に呼びかける声。

「そ、そこのお嬢さん」

 黙って振り向くと、がっちりした体躯の知らない男が、道ばたに座り込んで空き家の壁に背中を預けている。

「うう、足が言うことをきかねぇ。そこの酒場の主人を呼んでくれねぇか」

 うめくように言う男は、足を痛めているらしい。

「構わないが」

 答えながら、ゼダの目は暗闇の中、男の上着の襟に注がれていた。バッジのようなものがついている。戦争で功績を挙げたものに贈られるバッジだった。

「お前は、軍人か」

「元、な。怪我が元で退役して、このイダクに帰ったばかりだ」

 男は不思議そうにゼダを見上げた。

「何だ?」

「いや……」

 ふと、彼の現況を聞いてみる気になったゼダは言った。

「軍に知り合いがいてな。傭兵隊の隊長で、ジオジントと言うのだが」

「ああ……知ってる。でも、あいつはもう隊にはいない」

 男は顔をゆがめ、目を逸らした。

「軍務違反を犯したからな……」

 ジオジントが「下手を踏んだ」と言っていたことを思い出し、ゼダは首を傾げた。

「しかし、部下が迎えに来たぞ。復帰したのではないのか?」

「部下も、軍団長の命令には逆らえなかったんだろう」

 男は首を横に振る。

「ジオジントも、自分を捕らえに来た部下と戦ってまで逃げようとは思わなかったんだろうな」

 ゼダは眉を上げた。

「捕らえに来た?」

「ああ。国民の間に疫病が発生しているのに、国はそちらに金も人も回さず戦争にばかりつぎ込んでいた。国民がいてこその国なのにな。ジオジントは上に逆らい、隊を離れて一人で薬石を採りに常闇の森に行き、病院に届けた。それが軍務違反だってことになったんだ。ジオジントは姿を消し、軍団長はかつての部下に彼を追わせた。この町で捕まったんだな」

 ゼダの目の前では、ジオジントは部下に大人しくついて行ったが、その後どうしたのだろう。ゼダは、彼が拘束されている所を想像した。──とても、不快だった。

「あの男は今、どうしてるんだ? 牢屋か?」

「いや」

 男はまた、首を横に振った。

「俺が退役した時は、古い闘技場跡で、獣相手に闘う見世物っていうか、拳闘士みたいなことをさせられていた。疫病対策に回す金が欲しければ自分で稼げ、というわけだ。……どれだけ生き延びられるか……」


 ゼダはしばらく黙っていた。

 それから、スタスタと歩を進めて酒場に行くと、怪我人がいることを店主に伝え──


 店を出て、闇の中に姿を消した。



 日差しの照りつける闘技場は、かつて奴隷同士を闘わせていた場所で、奴隷が逃げ出さぬように客席がかなり高く作られている。

 逆に、闘技場に入るのは簡単だった。好んで入ろうとする酔狂な者などいないからだ。


 満員の客席から飛び降りてきた人影に、ジオジントは荒い息をつきながら目を見張った。

「……ゼダ!?」

「邪魔するぞ」

 ゼダはジオジントに無造作に近づきながら、大騒ぎの客席に顔をしかめる。

「うう、ここは音が集中してうるさいな。……お前も、おとなしくしろ」

 ジオジントにとどめを刺そうと身構えていた巨大な虎を、ゼダはぎろりと睨んだ。額に光る「黄泉の目」に、虎は射すくめられて動けなくなる。龍人に刃向かえる獣はごく少数だった。

「すっげえ……この大きさでも抑えられるんだな」

 ジオジントは脇腹を押さえながら苦笑した。剣を支えにして、片膝をついている。

「ここの獣は、少々お前の手には余るようだな」

「面目ない」

 彼は汚れた顔で、情けない表情を作ってみせる。目の光はまだ強かったが、身体がついていかないようだった。

「……ジオジント。聞きたいことがある」

 ゼダは腕を組み、軽く顎を上げ、ジオジントに尋ねた。

「お前、私に会いにイダクの町まで来たと言ったが、本当は私に命を救ってもらいに来たのではないか? 正直に言え」

 彼はへどもどと答える。

「いや……その……森に住まわせてもらえれば、隠れられると思っただけだ。それがダメならしょうがねぇ。ゼダは人間の命を救わないんだろ? 龍人の掟を無理に破らせる気は……」

 ゼダはそっけなく遮った。

「命が惜しいのだろう?」

「うう、その通りでございます」

 ジオジントは片膝をついたまま、頭を下げる。


「お前を助ける」

 ゼダの尾が、スカートの重なった布地をかき分けるようにして伸びた。ぽん、とジオジントの足下に投げ出される。

「その代わり、私に服従を誓い、共に来い」


 ジオジントは不思議そうにゼダの顔を見、白と青に光る尾を見た。

 そしてあっさりと、支えにしていた剣から手を離した。剣が、闘技場の埃っぽい地面に転がる。

 支えがなくなり両手をついたジオジントは、そのまま這ってゼダの尾に近づくと、頭を下げた。

 冷たい光沢を放つ尾に、口づける。

「何でも言うことを聞くよ。助けて下さい」


 ゼダは呆れたようにため息をつくと、軽く尾を振って言った。

「乗れ」

 ジオジントが何の疑問も差し挟まずにゼダの尾にまたがると、尾に力が入った。ぐんっ、と身体が持ち上がる。

 ゼダの身体が半回転した。

「って、どわああああ」

 遠心力でジオジントの身体は吹っ飛ばされ、綺麗に弧を描いて落ちた。客席入り口の上、日除けの布の上に。

 ゼダもすぐに走り出すと、壁の前で跳躍して宙返りした。尾が真上に伸び、客席の手すりに巻き付く。

 そこからぐんっと身体を起こすようにして、ゼダも飛んだ。日除けからもがくようにして降りたジオジントの隣に着地する。

「走れるか」

「走れません」

「…………」

「走ります、ハイッ」

「外に馬がいる」

 二人はそのまま、闘技場の外へ走り出していった。 



 夜空の暗闇の下に、大地の闇が横たわる。丘陵地帯の岩場の陰で、疲れきったジオジントが眠っている。離れた場所の木につないだ馬が、静かにたたずんでいるのも見える。

 岩の上に見張りのように腰掛けていたゼダは、ピクリと顔を上げて丘の麓の方を見た。

 上ってきたのは、姉のギズだった。ゼダと同じく、やはり布に埋もれるような服装をしている。

「それか?」

 ジオジントの方に顎を向けた姉に聞かれ、ゼダはうなずいた。

「そうです。……これは私に服従を誓い、私はこれの命を助けました」

「つまり、『命の契約』が発生したのだな」

 ギズは腕を組む。

「ゼダはその人間が死ぬまでの間、森を離れる。そういうことでいいな?」

「はい」

「わかった。報告しておく」

 ギズは淡々と言ったが、ふと目を細めて微笑んだ。

「……必ず戻っておいで」

「はい、姉上」

 ギズが立ち去るのを、ゼダは立ったまま見送った。


 龍人の目を持ってしても、姉の姿がとうとう見えなくなると、ゼダは静かに岩を滑り降りた。

「……起きていたのか」

 ジオジントの近くに行き、岩にもたれて座り込みながら見ると、ジオジントは横になったまま目を開けて彼女の方を見上げていた。

 彼は血は流しておらず、怪我はあちこちにできた打ち身程度のようだ。しかし、数頭の獣相手に勝ち抜きのようなことをやらされていたらしく、疲労のあまり今まで死んだように眠っていた。

「ゼダ……今の話」

「何だ」

「俺を助けると、俺が死ぬまで森を離れなきゃならねぇのか? ……悪ぃ」

「ああ……謝られるようなことではない」

 ゼダは不思議そうに言う。

「服従を条件に命を救えば、その者の主人として生を見届けねばならない。人間を常闇の森に入れるわけにはいかぬから、私が出る。それだけだ。長寿の我らにとっては、お前が寿命で死ぬまでなど大した時間ではない」

「あ……そう」

「契約内容を知らないのに、あっさり服従して助かるとは。お前の矜持の低さが幸いしたな」

「誉めてないよな、それ。うう……獣に喰われそうな時に、ゼダの顔見たらタスケテーってなっちまったんだよ」

 ジオジントは情けない表情になる。

「……まあ、でも良かったよ。龍人の掟って、もっと厳しいものだと思いこんでたんだ。ゼダが俺の命を救ったら、ゼダが死刑になっちまうとか、そのくらい」

 ゼダは納得してうなずいた。

「それで、イダクの町まで来たのに私に助けを求めなかったのか。あの場で私と契約していれば、わざわざ闘技場くんだりまで行かずとも良かったものを」

「はは。でもさ、どうして来てくれたんだ?」

「助けを求められたことに後から気づいたから、応えたまでだが?」

 ジオジントは、首をカクンと横に倒した。

「何だ……」

「何だとは何だ。何を期待した」

 ゼダは膝の上に片肘をつくと、つぶやくように続けた。

「まあ……あの菓子が気に入ったから、助ける気になったのもある」

「ほんとか」

 ジオジントがまた顔をゼダの方に向けた。目が慣れて、闇の中でも何となく見えているらしい。

「あれな、何とかっていう実の汁を煮詰めるとあんな風に柔らかく固まるんだって。そこに、煮詰めた砂糖を塗って、シャリシャリに乾かした菓子なんだ。ゼダの瞳と同じ色だったしさ、それに、氷みたいに見えて中身は冷たくない感じがな! 似てるなってな! いやー、女の子に贈り物はしておくもんだなー」

 満足そうにため息をついたジオジントだったが、ゼダもため息をついた。

「一つしか食べられなかったが……」

「え、何で?」

「カビが生えてしまった」

 ゼダは珍しく、しおれた様子でうつむいた。

「旨かったし、綺麗だったから、少しずつ食べようと思ったのだ……大事に取っておきすぎた」


 ジオジントは、思わず、といった様子で首を起こした。

「……うわぁ……」

「何だ」

「森でも闘技場でも助けてもらって、こう、すげーってなってはいたけど……今、ゼダに惚れたわ俺」

「そうか」

「そこは流さないで欲しいんだけど!」

 さりげなく手を伸ばすジオジント。ゼダはさっと尾を引き、バシッとその手を払う。

「尾を触るなというのに! これからしばらく共に時間を過ごすことになるが、人間になく、龍人にあるものは、龍人の誇りだ。軽々しく触るな」

 ジオジントはにやにやした。

「へー。じゃあ、人間にも龍人にもあるところなら触ってもいいわけ? 手とか」

 ゼダはうなずいた。

「構わない」

「へ?」

「ん?」

「構わないのか?」

「構わないが?」

「……何だ……」

 ジオジントは盛大にため息をつくと、手を伸ばして、ゼダの手を握った。

「お前、『何だ』ばかりだな」

 ゼダは全く抵抗しなかった。ジオジントは笑って、その手を何度か握り直す。

「冷たくて、小さいな。……長寿って、ゼダは今何歳なんだ? 見た目、十五とか十六に見えるけど」

「今年、四十になった」

「本当スか。俺より七つ年上とか。いいねぇ姉さん女房」

「何だそれは。いや、言わなくていい」

 ゼダは尾の先で、ジオジントの頭をはたいた。

「痛っ」

「眠らないのか? 別に私はもう出発しても構わないのだぞ。お前が疲れ果てて野垂れ死ねば、早く森に帰れる。私はできればそうしたい、森から離れているとその分龍化が遅れるからな」

「ひでえ。寝るよ、寝ます」

 それからすぐに、ジオジントは寝息を立て始めた。ゼダの手を握ったまま。


 ゼダは耳を澄ませる。追っ手の気配はないが、しばらくしたらジオジントを起こして移動しなくてはならない。彼女がいる分、暗い中を進めるのは有利だから、彼を馬に乗せて牽いていこう。

「まさか私が、人間のお守りをする羽目になるとはな」

 つながれた手を眺め、ゼダはため息をついた。



 国境付近は警備兵がいない代わりに、多くの野生の猛獣が跋扈していた。ゼダは猛獣を視線一発で黙らせながら、ジオジントをつれて国境を越えた。

 そしてたどり着いた小さな町で、二人は暮らすことになるのだが、ジオジントが最初にしたことは──



「契約?」

「そう。契約」

 町の聖職者のところにゼダを連れて行ったジオジントは、満面の笑みで言った。

「俺はゼダに命を救われて、『命の契約』をしたんだろ? で、ゼダは俺が死ぬまで、俺と一緒にいることになった。人間の方にも、相手が死ぬまで一緒にいるっていう契約があるんだ。しても構わないだろ? もしゼダが死ぬことがあっても、それまで一緒だって」

「構わないが、私はお前より先には死なん。お前の死を看取ってやる」

 聖職者はそんな彼女を微笑ましく見つめている。

 ジオジントが彼に「いい娘でしょ!?」と笑いかけると、聖職者は「すでに尻にしかれているようですね」と笑い返した。

「服従してるんだ」

 ジオジントはおどけて両手を開いてみせてから、彼の前で、ゼダと正面から向かい合った。聖職者が唱える。


「死が二人を分かつまで──」


 ジオジントが寿命を終えるまでの時間は、ゼダにとってはそれほど長くない。すぐに溶けてしまう氷のように、儚い契約。

 しかしその短い時間は、甘いものになりそうだった。



【冷たく甘い契約  完】


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