折れた忠誠
ディルクは、騎士の家に生まれた。
ヴァルグレイ家は代々、国に忠誠を誓ってきた家系であり、その教えは言葉としてではなく、日々の振る舞いそのものとして子供たちに刻み込まれていく。
上の兄ローガンは実直だった。
融通は利かないが、迷いもない。命じられれば疑うことなく従い、剣を振るう。その姿は、誰が見ても「正しい騎士」だった。
下の兄ハルトは柔軟だった。
政治の空気を読み、言葉で人を動かすことができた。それでも剣を取れば一流であり、騎士としても不足はなかった。
二人とも、強かった。
そして、迷いがなかった。
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ディルクは、そんな二人に憧れていた。
国を守る剣として立つ姿は、眩しく、揺るがず、それだけで価値があるように思えた。
だから、剣を振った。
毎日、繰り返し、ただひたすらに。
同年代の中では強くなっていった。
だが、それでも兄たちには届かない。
それでも、やめなかった。
やめる理由がなかったからだ。
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やがて、王太子の側近候補に選ばれる。
それだけで、周囲の視線が変わった。
評価されたのは実力だけではない。
「王太子に近い」という事実が、人の態度を変えた。
ディルクはそれを理解していた。
それでも、その立場を誇りに思った。
それは、国に近づいた証だったからだ。
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縁談が舞い込む。
相手は、外交を担う伯爵家の令嬢だった。
「もう、剣を振るう必要はありません」
初対面で、そう言われた。
ディルクは少しだけ考え、それから答える。
「毎日していたことなので、やらないと身体に悪いんだ」
それは本心だった。
剣を振るわない自分を、想像できなかった。
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令嬢はため息をついた。
「そんな時間があるなら単語の一つでも覚えてください。日常会話程度ならすぐできるでしょう?私は十歳になる前にできましたわ」
ディルクは困ったように笑う。
外交の知識など、これまで必要としたことがなかった。
「すごいな、イリス嬢は。僕も頑張るよ」
軽く言う。
だが、令嬢は笑わない。
「先日も同じことを聞きました。あなたの頭は悪いのですから、人より努力しなければなりません」
言葉は鋭かった。
ディルクは手を握り込む。
掌にあるのは剣ダコだった。
それが、自分の積み上げてきたものだった。
それだけが、自分の誇りだった。
「……手厳しいな」
絞り出すように言う。
それでも、否定はしなかった。
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ディルクは決めた。
剣ではなく、別の形で国を守ると。
外交を学び、役に立つと。
それが、忠誠の形だと信じた。
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学園に入る。
環境は変わり、人も変わる。
その中で、一人の少女に出会った。
「あなたの献身的な忠誠は、皆が認めています」
突然の言葉だった。
ディルクは一瞬、何も返せなかった。
少女は続ける。
「でも、あなた個人の気持ちはどうなの?自分のことを考えてあげて」
その言葉は、理解できなかった。
理解する必要も、感じたことがなかった。
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少女はディルクの手を取る。
剣ダコと、ペンダコ。
二つの痕をなぞる。
「頑張ってきたのね」
その一言で、何かが揺れた。
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「俺は守りたいんだ。この国を。家族を。だから、俺個人のことはどうでもいいんだ」
言い聞かせるように言う。
それが正しいと、信じていた。
だが、声はわずかに震えていた。
理由は分からなかった。
ただ、涙がこぼれた。
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本当は。
褒められたかった。
認められたかった。
頑張っていると、言ってほしかった。
だが、これまで誰もそれを言わなかった。
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少女は言う。
「ディルク。あなたは頑張りすぎている。少し休んでも大丈夫。自分を労ってあげて」
その言葉は、初めて与えられた許しだった。
ディルクは、それを拒めなかった。
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やがて、ディルクは少女に傾いていく。
それが何を意味するのか、理解していた。
それでも止めなかった。
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そして、婚約を解消した。
誠意を示すためだった。
中途半端なままではいられなかった。
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結果は、明確だった。
家から破門された。
すべてを失った。
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それでも、後悔はなかった。
腕の中に残ったものが、一つだけあったからだ。
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学園の屋上。
風が吹いていた。
ディルクは一人で立っていた。
「ディルク?」
振り返る。
少女がいた。
「一人で行こうとしているの?」
その声は静かだった。
「家から破門されるとは思わなかった。甘かったよ」
ディルクは笑う。
だが、その顔はやつれていた。
「ここから飛び降りようと思う」
それは、事実だった。
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少女は一歩近づく。
「一人にしないで、連れていって」
迷いのない言葉だった。
ディルクはわずかに目を細める。
「いいのか?」
「お願い」
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ディルクは少女を抱き寄せる。
屋上の柵の外へ出る。
足場は不安定だった。
それでも、手は離さない。
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見つめ合う。
言葉はなかった。
必要なものは、もうすべて伝わっていた。
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ディルクは少女を抱きしめたまま、体を預ける。
ためらいはなかった。
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その瞬間。
ディルクの中で、忠誠が静かに折れた。
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守るべきものは、もう変わっていた。
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二人の身体は、風に引かれるように落ちていった。
この短編は、乙女ゲームのバッドエンド絵師、ゲーム世界に転生する 〜バッドエンドしかない世界で、運命を捨てる〜の中に出てくるゲームの内容です。




