第11話(地獄の舞―烈と修について―)
「あっ烈、やめ……」
声もなく、うずくまる相手の子を無表情に見ていた。
「烈がまた勝っちゃったね」
道場の床に倒れ込んだ相手は、自分より三つも年上の中学生だった。皆、火野を避けるようになった。
火野はクリスチャンの空手一家に生まれた。父は名の知れた師範で、母もまた有段者だった。日曜日の朝は教会へ行き、午後は道場で汗を流す。それが火野家の当たり前の日常だった。
両親はありがちな期待や結果を求めなかった。
空手は功名心を満たすものではない、己の研鑽の手段であるという哲学があったからだ。
「友達も出てるから自分も出たい」
初めはそんな理由からだった。
地域の空手大会に参加したがやはり皆、声もなくうずくまっていった。翌年の大会は二つ上の部に参加したが結果は同じだった。父は息子の成績を誇らしく思いながら空手という武術の枠を超えた強さに不安を覚えたが、同時に息子の成長の先を見てみたい気持ちの方が優っていた。
「烈、これからは大人と稽古しよう」
さすがに彼らの拳は重かったようだ。だが火野は笑っていた。日を重ねるごと火野の拳は洗練されていった。火野は一撃をあきらめ手数に活路を見出した。大人もその流麗さに目を奪われた。それから数年経って大人の拳に慣れてきた火野は組み手に挑戦することになった。
一人、二人、七人、十五人……百人を超えまだ息が乱れていない姿を父が見た時、声をかけた。
「烈、質問しても良いか? 空手とは何だ? お前にとって拳とは何だ?」
火野は考えた。およそ家族とのつながり、周囲からの称賛だろう。
(……いや、もっと奥底からくる……)
「強さへの渇望です」火野は静かにこたえた。
父は少しうつむき、立ち上がった。
「否、空手とは理不尽に抗う心だ!」
父は大会ルールで禁止されている、あらゆる禁じ手を用いて火野に襲いかかった。それはもう空手家の姿ではなかった。
「烈、命を捨てて、命を拾ってみろ!」
父の拳は誰よりも重かった。
(禁じ手は半身になれば顔面のみ、ということはすべてブラフ。
次に来るのが本命だ!)
「うっ、痛い!動けない」
火野は自分の足の甲に父のつま先がめり込んでいることに気づいた。無意識に視線を落としてしまった。火野はとっさに両腕で顔面を覆った。
(またブラフ……からの正拳突きが来る。
そのタイミングは父のつま先の圧が弱くなった時だ!)
「せいっ!」
勝負はついたはずだったが火野は無意識のうちに父の袖と肩をつかんで膝蹴りを見舞った。先に倒れたのは父の方だった。道場が静まり返った。その場にいた者は静かに見守っていた。
足の甲の皮はめくれ、額から出血するも火野は今までと同じように父を無表情に見ていた。
「烈、お前は強い、これからもっと強くなる。
しかし、その強さで何を目指すのだ?」
父は正座して問い、火野は拳を見ながら言った。
「わからない、俺は自分が強いとは思っていない。これからも」
その目を見た者は静かで暗い――言い知れない恐れを感じた。
息子に両親がしてあげられることといえば、人として正しい道を進む機会を与えることだった。
神学を学ばせたのだ。
神学を学ぶ中で、火野は黒川と出会った、そして青野とも。
「二人ともんジーザスな感じだね、この左目にそう映ってるよん。
烈君、君はこれ以上強くなると刑務所行きだから
人間と戦っちゃダメ子ちゃん。
修君とミーでフルサポだよん、
二人ともガーズっぽいからミーとジョインしてみない?」
二人は突然のことに戸惑っていたが青野はただ笑っていた。これより三人は霊脈士として悪魔とその類と戦うことになる。
火野が得意としたのは地上戦だった。そのスタイルはメリケンサックを使用した近接戦闘だ。
黒川は火野が慣れ親しんだ道場と同じ広さのシールドを展開し土俵を用意した。
悪魔とその類が土俵に上がれば火野がそれを迎え撃つ格好だ。その姿は地獄から神に捧げる舞のようだった。
火野とは以前、神の存在について議論したことがあった。
「烈、ガーズとして悪魔を倒すことに疑問は持たないが
悪魔は僕たちをどう見てるんだ? 奴らは言葉を持たないだろ、
前々からあいつらが何を考えているか、
何も考えてないかも知れないけれどお前はどう思う?」
かつて父と取り組んでいた空手の時とは違い、神学を語る時は別人のように目を輝かせた。
「なんだ、修はそんなこと考える奴だったのか?
今からでも遅くない、神学を究めたらどうだ?
神学はまず神が存在するという前提に立つ。
まあ、ここに立てない奴が多いんだよ。
だからいつまで経っても神を語れない。
結果、科学を信じすぎて不幸になってく。
スマホの使い過ぎは健康に悪いだろ?
それと一緒さ、目の前に広がる景色よりも
画面の向こうの世界を信じてしまう」
火野は笑って続けた。
「修、これは正統な意見ではないのだが」
火野はそう前置きした上で黒川の質問にこたえた。
「地獄において悪魔やその類は人間の言葉を持たない。
神もまた、語り尽くせない存在だ。
その意味で、両者は言葉の外側にいる。
プラスとマイナス、陰と陽、昼と夜、
必ず相反するものが数多く存在し世界を支配している。
神がいるならば悪魔がいても不思議じゃない。
それに初めて人間界へ積極的に介入したのは神だと俺は思っている。
つまりキリストが見せた奇跡のことだ」
火野はこの手の話になると生き生きと語るのだ。
「ごめん烈、話に少しついて行けなくなってる」
「さっきも言ったように二つの力は常にバランスを保っている。
神が人間界に介入をしたならば悪魔も同様に介入しないと
バランスが取れないだろ?
でも同じところに住んでいないから互いのさじ加減がわからない。
だから人間界では一時的に歪みが生まれることになる。
キリスト復活後、それに気づいた者たちがガーズを結成した
という話だね」
「おー、さすがうまく話をまとめましたね。烈はやっぱりすごいな」
「そんなことないよ修も神学を」
「ごめん、蚊帳の外でいさせて」
無言の攻防だった。火野のうなずきに黒川は首を横にふって応酬した。そこにジャンプしてきた青野が加わった。
「なに二人とも楽しそうに話してたの?」
青野は二人の肩に自分の腕をまわして言った。
「ん? 青野も神学やりたいの?」
火野の神学に対する矛先は青野に向かった。
「烈さん……そういうの無理ですぅ」
「ほら、こんなとこでまったりしてないで、烈、青野、始めるぞ。
着任開始!」
黒川にとって楽しい思い出だった。
あの頃はこれがずっと続くのだと信じて疑わなかった。
「三人が共にいる時間だけ何か嫌なものを忘れさせてくれた。
烈、お前もそう思っていなかったか?」
黒川はもう火野に尋ねることはできない。
「……おやじさん……おやじさん?……」
岩城の声は黒川の意識を今に引き戻した。
「すまん譲、ぼけっとしてた何の話だ」
「神の骨の話です」
少し間をおいておやじさんは語り始めた。
「わからないというのが今の答えだ。
病院でレントゲン撮っても何も映らないだろうな。
物質として存在しているわけではないと思ってる。
破魔道具をスペックオーバーで使った時に現れる、
自分で制御できないというのが事実として確認できている。
それぐらいだ」
岩城は期待した以上の何かを得ることはできなかった。
「そうですか」
「譲、忘れた方が良い。
もしそれが知れてしまったら翔はその手を失うかも知れない、
聖遺物として切り取られてしまう可能性があるぞ。
それはある意味で偶像崇拝だ、翔を祭り上げる輩も出てくるだろう。
そうなったらかなり面倒だ」
「……そうですね、おやじさんの言う通りです」
「翔はそこまで世間の奇異な目に耐えられるとは思えない。
そこら辺は譲、お前が守ってやれ」
「わかりました。お忙しいところありがとうございます」
静かになったラボでおやじさんは黙っていた。
静かすぎてパソコンのファンの音、機圧の高さを感じるほどだった。
「言葉でもって語れるもんじゃない。烈、そうだよな?」




