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第2話 遠回りと近道



「神聖スペアリア国に行く?!お前が?!」

「ああ。正確には神律スペア本教会に滞在する予定らしい。2週間くらい姿を見せないと思うけど、心配すんなよ」


 コップを拭く手を止めて目を見開く店主をよそに、ブレムはカウンターの椅子に鞄を置き、その隣の席に座る。


 日は昇り始めていたが、それでもお昼時にはまだ時間があるので、店の中にブレム以外の客はいない。

 

「……それは、あのオリヴィアとかいう別嬪さん絡みか?」

「よく分かったな」

「それ以外に理由が考えられないだろ?」


 店主は鼻を鳴らし、コップを棚に戻す。

 

「坊っちゃんが行くって言うなら止めはしないが……気をつけろよ。街の外は魔物も出るからな」

「ジジイは行ったことがあるのか?」

「若い頃に一度だけな……。綺麗だが、どうにも息が詰まる場所だった」

「息が詰まる……ねえ」


 やはり神権国家なだけあって、規律や教義などが厳しいんだろうか?とブレムはぼんやり想像する。


 そんなブレムの眼前に、店主が無造作に木製のカップを置いた。

 湯気の立つ香草茶の匂いが、静かな店内に広がる。


 ブレムが訝しむように見上げると、店主はぶっきらぼうに言った。

 

「奢りだ」

「珍しいな」

「餞別だ。遠出する坊っちゃんへのな」

「……ありがたく頂くよ」

 

 ブレムはコップに口をつける。

 口の中に、ほのかな苦味と柔らかな甘みが広がった。


「感謝はいらん。その代わり、帰ってきたらあの別嬪さんとどうやって知り合ったか詳しく儂に聞かせろ」

「別に今話しても構わないけど」

「馬鹿。そういう話は無事に帰ってきてから聞くもんだ」


 目を逸らしたまま言う店主に、ブレムは苦笑いを浮かべて、コップの中身を飲み干した。


 ◇

 

 店主に挨拶を終えて、大通りをブレムは歩く。

 街は人通りがだいぶ増えてきた。


 あと一時間ほどで、ブレムはこの街の外へ出る。

 生まれてから一度も越えたことのない、城壁の向こうへ。


 ほんの少しだけ、胸がざわつく。


 その時――

 

「ブレム様」


 唐突に、この数日で聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。

 振り向くと、オリヴィアが微笑みながらこちらを見つめていた。

 先程までの胸のざわつきが嘘のように静まったことに、ブレムは軽く驚く。

 格好も見慣れたもので、純白の修道服に身を包み、その胸元には銀の聖印が揺れていた。

 

「準備が予定よりも早く片付いたので、西門に向かう前にブレム様と合流しようと思いまして」


 そう言うオリヴィアにブレムは無意識のうちに肩の力を抜いた。


「……よくここにいるって分かったな」

「そうですね。ここに来たらブレム様と会える気がしたので……少し迷惑でしたか?」

「いや全然。むしろ助かった」

 

 その会話だけで、さっきまで胸の奥にあった不安がすっと溶けていくのを感じた。

 

 ◇

 

「街道が封鎖されて、馬車が立ち往生している?」

「は、はい。どうやら、魔物の大群が現れたようで……」


 西門を抜けた先でブレムとオリヴィアは、外壁の側で誰かと言葉を交わしているバッカスの姿を見つけた。

 格好からして、神律スペア教に所属する兵士だろうか。

 バッカスは腕を組み、低い声で問いただした。

 

「民間人の被害は?」

「たまたま居合わせた【愚者】殿の尽力により、群れ自体はそれといった被害もなく片付いたのですが、死体の処理に時間がかかるようで……」

「……なるほど。報告、感謝する」


 兵士がバッカスに敬礼してその場を後にする。

 小さく首を振ったバッカスはこちらの姿を見つけると大股で近づき、顔を歪めながら口を開く。


「まずいことになった。このままでは、本教会への到着が大幅に遅れることになる。場合によっては10日ほど到着が遅れるかもしれん」

「10日?さっきの話では、魔物の死体の処理が済んだら街道の封鎖も解除されるんじゃないんですか?」

 

 ブレムの疑問に、バッカスはゆっくりと首を横に振る。


「確かに、街道の封鎖自体は恐らく数時間で解除される。

 だが、それでは魔導船の出航に間に合わない」

「魔導船……」


 ブレムは少し気恥ずかしさを感じながら、隣のオリヴィアに小声で尋ねる。


「それって何だっけ?」

「大都市を繋ぐ大型の飛行船です。

 空路を行くので魔物の襲撃の心配が殆どなく、また陸路よりも何倍も速いですが、その分乗船料も高く、運行頻度も少ないのが特徴です」


 オリヴィアの説明に、バッカスが補足する。


「魔導船の発着所は、この国では首都レメルにしか存在しない。

 本来では教会の馬車でそこに向かい、今から数時間後の便に搭乗する予定だった。

 だが、首都へ向かう道が封鎖されている。

 このままでは10日後の便を待たねばならん」


 あたりに重い沈黙が落ちる。


「陸路で直接向かうのは?」

「魔導船の次の便を待つ方が早い」


 なるほどな、とブレムは心の中で唸る。

 隣に立つオリヴィアは、わずかに唇を引き結んでいた。


「では、出発は一旦お預けですか?」

「……そうなるな。悪いが、また一週間後にここに集合してくれ。

 次は余裕を持ってこの街を発つ」

 

 一週間後。


 せっかく覚悟を決めたのに、肩透かしを食らった気分だ。

 だが、旅にトラブルは付きものだというし、運が悪かったと納得するしかないのだろう。

 

 そうブレムが肩を落として、オリヴィアの方に視線を向けた時。

 オリヴィアもブレムの方を向き、2人の視線が交差して。

 

 


 オリヴィアは、ゆっくりと目を閉じた。


 

 一瞬だけ、風の音が止んだような、そんな気がした。


「……授かりました」


 瞳を開きながら、オリヴィアが呟く。

 その言葉は不思議と、はっきりとブレムの耳に届いた。

 

 バッカスの眉が、ぴくりと動く。


「……何をだ」


 オリヴィアは、柔らかく微笑んだ。


「大したものではありません。強いて言えば、近道を」


 次の瞬間。

 

 地面に、ひび割れのような光の線が走った。

 空気が震え、周囲の景色がゆらりと歪む。


「……馬鹿な」


 背後で、バッカスの低い声が漏れた。

 

(――空間魔術?)


 ブレムは一度似た現象を見たことがあった。

 学校の授業で、教師が似たような現象を魔術で引き起こしていた気がする。

 だが、ブレムはその疑念を確信に昇華させることが出来なかった。

 それは、目の前で引き起こされている光景が、記憶の中にあるものと比べものならないほど大規模なせいもある。

 だが、何よりの理由は――


「魔術式が、ない――」


 そう、知らずに漏れたブレムの呟きを掻き消すように。


 視界が、白に塗り潰された。


 轟音はない。

 衝撃もない。


 ただ、世界が一度、裏返る。

 足元の感触が消え、重力の向きすら曖昧になる。


 そして――


 光が弾けた。


次回は明日の21:00に投稿します

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