第7話 第四法位【聖女】
店を出た後、ブレムとオリヴィアはそのまま市場へ足を向けた。
繋いだ手の温もりは変わらない。
だが、どこか空気が張り詰めている気がした。
この時間になると人通りも増え、軒を開ける店も目につき始める。
市場はすでに賑わいを見せていた。
オリヴィアの言うとおりにブレムは必要な食材をいくつか買い足す。
それだけのはずなのに、二人の会話は自然と少なくなる。
何かを言おうとしては、互いに言葉を飲み込む。
それでも、繋いだ手だけは離れなかった。
◇
教会の中に帰ってきたブレムとオリヴィアは、自然と足を止めた。
どちらかというわけでもなく、繋いでいた手がそっと解かれる。
ブレムはもう片方の手に持っていた手提げ袋を礼拝の椅子に置き、オリヴィアの方に向き直す。
「……ブレム様」
オリヴィアは呼吸を整えると、口を開く。
だが、その瞬間。
「――帰ってきたか」
2人の横手――教会の奥から、低く落ち着いた声が響いた。
ブレムは予想だにしなかった気配に息を呑み、声のした方を振り向く。
外は日が昇りきっておらず、教会内にも淡い光が差し込んでいたが、奥まった祭壇の向こうは、夜とさほど変わらぬほど暗い。
その闇の中から、鈍い足音と共に一人の男がゆっくりと姿を現す。
ブレムは思わず息を呑んだ。
まず、でかい。
ブレムの背がそこまで高くないことを差し引いても、頭二つ分は優に高い。横幅も広く、まるで壁がそのまま歩いてきたかのようだった。
深灰色の神父服をはち切れんばかりに押し上げる胸板。その上から胸部と肩のみを覆う鈍銀の装甲が重ねられている。
(――神父服? でも、ここの神父って柄じゃないな……)
ブレムは何気ない顔を装いながら男を観察する。前任者は腰を悪くして引退したと聞いているが、この男にそのような様子は微塵も感じられない。
オリヴィアは男の姿を確認すると、一瞬だけ目を見開き、すぐに表情を柔らげる。
「――バッカス先生!」
そう言って、男――バッカスに駆け寄った。
「……元気そうで何よりだ」
バッカスは巨躯に似合わぬ穏やかな笑みを浮かべた。
オリヴィアの態度からして、彼女の恩人のような人物だろうか、とブレムは推測する。
そうだとしても、ここにいる理由が分からないが……。
オリヴィアはバッカスの前に立つと、首を傾げる。
「今日はどうしてここにいらしたのですか?」
バッカスはブレムへ視線を向ける。
ほんの一瞬だが、値踏みするような鋭さが宿っていた。
それから、重々しく口を開く。
「……お前に、一時的に帰還するよう本教会から指令が入った」
オリヴィアは瞬きを一つしてから、小さく息を吐いた。
「……もう、ですか。予定より早いですね」
その声は穏やかだったが、指先が僅かに強張っているのをブレムは見逃さなかった。
――帰還?
胸の奥がざわつく。
ブレムは逸る気持ちを抑えきれず、一歩前へ出た。
「その……バッカスさん、でいいですよね。帰還とは、どういうことですか?」
バッカスはゆっくりとブレムを見下ろす。
「……ブレム君だったな」
低い声が、教会の天井に反響する。
「事情を説明する前に、君が知らなければならないことがある」
そう言って、バッカスはオリヴィアへ視線を戻した。
「オリヴィア。この少年に伝えなければならないことがあるんじゃないか?」
バッカスが促すように頷くと、オリヴィアは一瞬だけ目を見開き、すぐに口元をきつく結んで頷き返す。
ほんのわずかな沈黙の後、オリヴィアはブレムの方を向いた。
「ごめんなさい、ブレム様。
貴方に、言わなければならないことがあります。
……騙していたつもりはなかったんです。でも、隠していました」
オリヴィアはブレムにまっすぐ視線を向けながら、滔々と言葉を紡ぐ。
ブレムはそれに、口を挟むこともできず、ただじっと見つめていた。
「ブレム様。
もう一度、自己紹介をさせてください」
教会の天窓から光が差し込み、オリヴィアの周りだけを照らしていた。
その光の柱の中で、オリヴィアは淡い微笑みを浮かべる。
そして、おもむろに口を開いた。
「私は――貴方の知るオリヴィアであり、そして同時に」
「【天律法位】第四法位――【聖女】オリヴィアです」
◇
数秒間、オリヴィアとブレム、そして後方で見守るバッカスの間には沈黙が流れていた。
「……そうか」
ブレムは一度だけ、深く息を吐いく。
そうして、おもむろに口を開いた。
「――言いたくないことを打ち明けるのって、すごく勇気がいるよな」
そして、ブレムはオリヴィアを安心させるように、穏やかな笑みを浮かべる。
「ありがとうな。伝えてくれて。
けど、俺にとってオリヴィアがどんな人であろうとも、オリヴィアはオリヴィアだよ。
だから、心配する必要はないよ」
オリヴィアの瞳が、わずかに揺れた。
そして、
「……本当に、ありがとうございます。
ブレム様にそう言っていただけて、救われました」
とだけ言って、目元を拭いながら、微笑む。
先程まで教会の中で澱んでいた空気が、僅かに軽くなった気がした。
「……なるほど」
そう呟くバッカスの表情からは、先ほどまでの値踏みする鋭さが消えていた。
だが、その瞼の奥に宿る思考までは、ブレムには読み取れなかった。
◇■◇
□■???
「…………それ以外の問題としては、【聖女】と、本教会が全く把握していなかった少年が接触するようになった。
【聖女】とその少年は、どうやら恋人関係にあるようだ」
――へえ、恋人関係か。少なくとも7日前までは【聖女】には恋人はおろか、それ以前の好意を抱いている人物はいなかったはずだけど
「信じられないことに、どうやら赴いた小国で初めて出会った人物のようだ」
――知り合って7日以内で結ばれたんだね。
それで教皇、貴方はそれについてどう考えてる?
「【聖女】は教会にとって、象徴的な存在である。
【聖女】が多数の人間に善意を振り撒く役割である以上、好意を受ける『恋人』という個人の存在は、その神秘性を貶める可能性がある。
神話でも、【聖女】の恋人のような人物は確認できない」
「よって、その少年を排除する」
――そう?それは少し性急な判断じゃない?
「性急とは?」
――貴方は【聖女】の感情、そしてその少年が【聖女】のストッパー、または舵として機能する可能性を排除している
「【聖女】の人間性は、【聖女】として相応しいものだ。並大抵の人間よりも、精神が強い。
それに恋人に至るまでの日も短い。恋人関係といっても、恐らくその感情は浅い。
恋人と死別しても、その精神は恐らく耐えられる。
また、そのような恋人が存在しなくても教会は【聖女】を制御できる。
現に、これまで我々は【聖女】を上手く扱ってきた」
――うーん、及第点とも言えないね
「それは、何故だ?」
――一見すごく慈悲深くて、完璧なように見える【聖女】だけど、本当は自分の内面をそれとなく隠すのが、ものすごく上手いだけ。
私の見立てでは、年頃の少女とあんまり変わらないよ。
そうでない可能性も、もちろんあるけどね。
あと、貴方は少し【聖女】を甘く見てるんじゃない?
「何?」
――教会は【聖女】を上手く制御してきた、とは言うけどね。
【聖女】の天才性は、貴方の想像の遥か上を行く。
今までは、たまたま予測を超えていなかっただけ。
かく言う私も、【聖女】の天才性の『深み(傍点)』は完全には把握できていない。
それに――貴方の報告じゃ、少年の詳細も浮かび上がってこないからね。
それを軽んじたまま排除するのは、あまりにも浅い
「では、どうしろと?」
――貴方は優秀だけど、自分を含めた人間の感情を定数として扱う悪癖がある。
感情は把握が困難で、変数として扱うべき。
日頃から指摘してるけどね。感覚に刷り込まれた癖を改善するのは、優秀な人間にとっても難しいから。
その点を修正したら、もっと最善を尽くせるよ
「……その助言、重く受け止めよう」
――ああ、でも
「……?」
――【聖女】の件だけどね。
事態が貴方の手に負えなくなりそうだったら
――直接、私が関与する
次回から新章突入です。
二人の関係がどう影響していくのか、ぜひ見守っていただけたら嬉しいです。
明後日の21:00に更新します。




