第6話 穏やかな朝の違和感
「やはり大通りもまだ人は少ないですね」
「まあこんな時間だしな」
朝日がようやく街を照らし始めた大通りを、ブレムとオリヴィアは手を繋いで歩く。
昨日手を繋いだときとは違い、気持ちは昂っているというよりどこか落ち着いていて、何だか新鮮な気分だった。
そうして2人はお互いの温もりを存分に味わいながら目的地へと向かっていた――大通りへ出る前は。
(視線が集まるな……人が少ないから目立ってるのか)
さっきまでは通行人が少なかったせいか、周囲のことなど気にならなかった。だが大通りへ出てから、別に道のど真ん中を歩いているわけでもないのだが、それでもすれ違う人がブレムとオリヴィアを二度見していく。
というより、オリヴィアの美貌が人目を集めているのだろう。
こんなに可愛いし仕方ないよな、とブレムは少し得意げな気持ちになる。
オリヴィアはブレムの方へ体を寄せながら囁いた。
「通行人の方々の視線がブレム様に集まっていますね」
「いやどうしてそうなるんだよ」
ブレムは照れ隠しに言い返すと、オリヴィアは悪戯っぽい笑みを浮かべて、ブレムの手をぎゅっと強く握り直した。
◇
「到着した。ここが例の店だ」
大通りを進み、見慣れた路地へと入った先にある小さな店の前で、ブレムは足を止めた。
オリヴィアは店の看板を見上げる。
「『グレリー街の憩いの酒場』というのが店名でしょうか?」
「何それ……って、この店の名前ってそんなんだったのか……」
知り合いには大体「あそこ」で通じるので、店名はとっくの昔に忘れてしまっていた。
「……こういう場所は、初めてです」
ほんの少し緊張したように呟くオリヴィアに、ブレムは軽く笑う。
「大丈夫だって。飯だけは美味いから」
ブレムはそう言って扉を開けると、目に馴染みのある光景が飛び込んできた。
店内はいかにも古風な飲食店といった趣の、木造りで年季の入った内装で、カウンター席とテーブルがそれぞれいくつか置かれている。
時間のせいもあってか客はほとんどおらず、店の奥のテーブル席で2人の男が何やら雑談をしているだけであった。
カウンターに腰掛けて新聞を読んでいた店主がこちらに気付き、その皺だらけの顔に快活な笑みを浮かべる。
「らっしゃい坊っちゃん!今日は元気そうで……ってその別嬪さんは?」
店主は初老に差しかかった、妙に体格のいい男だ。
名前は一度聞いたような気もするが、とっくの昔に忘れてしまっているので、ブレムは適当にジジイと呼んでいる。
朝から元気だよなここのジジイは、とブレムはげんなりとしながら店主に向けて軽く手を振る。
「まだ死ななそうで何よりだよジジイ。……紹介するか。彼女は――」
「初めまして、店主様。私はブレム様の恋人を務めさせて貰っております、オリヴィアと申します」
店内を物珍しそうに見渡していたオリヴィアだったが、店主の視線に気づくと、ニコリと笑みを浮かべて頭を深々と下げる。
……自己紹介がそれかよ、とブレムは恥ずかしい気持ちやら、誇らしげな気持ちやらで複雑な心境になる。
「へえ!あんたが坊っちゃんの恋人か!……恋人!?」
店主は一度聞き流したが、すぐに驚愕の表情を浮かべて、カウンターから腰を下ろして勢いよくこちらへ歩み寄る。
そしてそのままブレムの肩をガシリと鷲掴みにした。
初老とは思えないほどの膂力だった。
「嘘だろ!?あの坊っちゃんが!?この前来たときは気になってる娘すらいないって言ってただろ!?」
「……実は前々からの知り合いでな。ちょうど昨日に晴れて恋人になったんだ。
ジジイに話していなかったのは……まあ色々事情があってな」
本当のことを話すのは店主の追及が長くなりそうで嫌だったので、ブレムは適当に嘘をついた。
店主は一応は納得したのか手の力を緩め、後ろへ下がる。
「そ、そうか。言えない事情があったか……。いやしかし、坊っちゃんに恋人ができるとは……。それもこんな美人な娘が……」
「納得したところで注文いいか?いつものを二つ……でオリヴィアはいいか?」
「ええ。ブレム様のおすすめをお願いします」
ブレムはオリヴィアの手を引きながらカウンター席に歩いていき、そこにオリヴィアと並んで座る。
カウンターの奥に移動した店主は困惑したように頭を掻きながらも、「あ、ああ、分かった」と注文を受けた。未だ完全に納得しきってはいないのか、「まさか坊っちゃんが……」といったことを呟きつつ、作業を進めていく。
オリヴィアは隣のブレムの耳元に顔を近づけて囁く。
「お話の通り、明るくて人柄の良い店主様ですね」
「ああ。たまに対応が面倒になるけどな。それでも俺を心配してくれる数少ない人の一人だよ」
ブレムも、オリヴィアに顔を向けながら静かに言う。
「しかし、前々から知り合っていたというのは……」
「……本当のことを言ったら、オリヴィアとの関係を根掘り葉掘り聞いてくるだろ」
「……それは、困りますか?」
悪戯っぽく問い返され、ブレムは一瞬言葉に詰まる。
もう少しで触れてしまいそうな距離で、ブレムは口を開く。
「困るに決まってるだろ。恋人の話を延々と語らされるとか、朝っぱらからやるには重すぎるって」
「ふふ。ですが、少しだけ聞いてみたい気もします」
「何をだよ」
「ブレム様が、私のことをどのように話してくださるのか」
そう言って、オリヴィアはふっと片目を閉じた。
至近距離で放たれた、ほんの一瞬のぎこちない仕草。
だが、それでもそのあまりの破壊力にブレムは思わず呼吸を忘れてしまう。
「……っ」
次の瞬間、オリヴィアは自分の仕草に気づいたのか、みるみる頬を染めて視線を逸らした。
「い、今のは……忘れて下さい」
オリヴィアはそう言って席に座り直し、体を縮こませる。
(――すげえ可愛い)
その様子があまりにも愛おしくて、ブレムは思わずオリヴィアの頭を優しく撫でる。
オリヴィアはビクリと体を震わせるが、嫌がる様子などは見せず、体の力を抜き、ただ撫でられるがままになる。
「――そういやさぁ、お前聞いたか?ついこの前に【天律法位】の3つの空席が1つ埋まったらしいぜ!!」
だが、今までブレムとオリヴィアのやり取りには目もくれずに雑談に勤しんでいた奥の2人、その片方の声が耳に入った瞬間、オリヴィアが一瞬だけ体を強張らせたのをブレムは感じた。
「ああ。【聖女】に在位者が現れたとか」
「なんだお前知ってるのかよ」
「知ってるどころかここ数日の巷の話題はそれで持ちきりだろう。600年ぶりの偉業だとな」
「マジで?」
2人はその間も会話をしていたが、ブレムは先程のオリヴィアの仕草に少し違和感を感じ、オリヴィアの髪を撫でていた手を放して、そっと口を開こうとする。
「そもそも【聖女】は原則空席であり――」
「うわ虫いるぞ、お前の頭」
「ああ!?」
だが、そんなやり取りの直後に、男の悲鳴と何かが鈍い音が響き渡る。
驚いてブレムが振り返ると、足をジタバタと動かしながら頭を掻いている男と、その足元になぜか無傷のまま数皿の料理が置かれていたのが視界に入った。
店主が大声をあげる。
「おいお前ら!何か壊したら弁償だからな!」
「え、ちょ……いや、皿も割れてないし料理も溢れてない!運良すぎだって!!」
もう一人の男が豪快に笑う声を聞きながら、ブレムは一つ疑問を覚えていた。
(落ちたにしては音が小さくなかったか?)
ブレムはゆっくりと隣を見た。
オリヴィアは、いつも通り穏やかに微笑んでいる。
特に先ほどと変わった様子はない。
「……今、何かしたか?」
だが何となく、この小さな違和感とオリヴィアが無関係だとは思えなかった。
オリヴィアはほんの一瞬だけ固まると、すぐに微笑みを浮かべて、
「……帰ったら、言わなければならないことがあります」
とブレムに告げた。
それは、この4日間で今まで見たことのない、穏やかでありながらもどこか張り詰めた笑みだった。
ブレムは数秒だけオリヴィアを見つめ、
「……分かった」
とだけ呟いた。
次回で序章は終了です。
明日の21:00に更新します。




