表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

灰雪

作者: 桂螢

高校時代の同級生だったオバラと、久方ぶりに再会したのは、精神科での断酒会の場であった。


正直にいうと、学生時代の彼は地味な存在だったので、あまり印象に残っていない。


断酒会での私のスピーチ、いや、恥ずかしい身の上話をひとしきり聴いたあと、オバラはありがたい言葉をかけてくれた。

「自分、辛抱強いやん。何も悪いことしてないやん。だから死ぬ必要なんてないで。死ぬべきは自分を傷つけて追い詰めた連中や」

彼は毒舌で禁句を口にしたが、すさんでいた私は心底感動し、救われた。


オバラの優しさはそれだけでない。私の数少ない取り柄を、彼は覚えていた。

「自分、冬場は有森裕子みたいやったな」

その時の、吹き出して少し笑った彼の顔が忘れられない。


私の人生は、快事も灰色に染まっている。幼少期、娘同様精神疾患を抱え、素行が悪い父は、学校が夏休みの間、娘に登山を強制的に課すという、一方的なスパルタ教育を押し付けていた。幼い頃は嫌で嫌でしょうがなかったが、思春期になると、その成果が表れた。山を幾度も登ったため、両足が丈夫になったのだろう。いつもは恥ずかしいくらいに運動音痴なのに、冬の体育の授業で課されるマラソンに限っては、優等生だった。文化部一辺倒な私が、長距離走ではまるで別人のように、運動部員と互角に闘えたのだ。

「お前もやればできるじゃないか」

体育教師は毎年冬になると、決まって感嘆の声を上げた。正直、嬉しくないことはない。


断酒会に参加するアルコール依存症患者は、家族と絶縁しているケースは少なくない。オバラも私も然りである。彼にもきちんとした言い分はあると思う。


私に負けないくらい生きづらさを抱えたオバラだが、就職先を斡旋してくれた。人付き合いが不得手な私にはもったいない救世主である。


半年経ち、職場でようやく一人前と認められた頃、一人で暮らすおんぼろアパートに彼を招待し、日頃のお礼として、手作りのローストビーフをご馳走した。その夜、初めて男性と一晩倶に過ごした。ふとした瞬間に、窓から上空を見上げると、三日月や星々がはっきり見えるほどの、冬の澄んだ夜空が広がっていた。


ところがその翌日、どういうわけかオバラが亡くなった。凍える冬の海に飛び込み、溺死したというのだ。自死を選んだ理由が、皆目見当がつかず、私は取り乱した。彼は私の何が不満だったのだろう。今でも自問自答している。


オバラが他界して一週間。両耳がきんと鋭く痛くなる極寒の日に、私は久方ぶりに走った。酒屋にすら目もくれず、いつまでもいつまでも。オバラがいるであろう天空から、かすかな音を立てるように、灰雪が少しずつ舞い降りる中、私は何も考えずに、無我夢中で走り続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ