オーフィ・フィッシャーマンの旅立ち
キゥルム王国の西部海岸に存在する小さな漁村アルプの桟橋にて、吹き抜ける潮風を一身に浴びて髪を揺らす青年がいた。
彼の名はオーフィ・フィッシャーマン。
生まれてから十五年、知っている景色は村の中と海の上、それに近場の浜辺と森だけ。
趣味は、村にやって来る行商人や守闘士に広い世界の話を聞くこと。
それは、いつか自分の足で広い世界を旅することが夢だからだ。
守闘士というのは、ウォダナという化け物から人々を守る事を主な仕事としている人の事だ。
彼らは守闘士組合により管理された依頼を受け世界各地に派遣されている。
そこがどんな田舎であれ、辺境であれ依頼があれば化け物退治の為にやって来るのだ。
そう、小さな漁村アルプにも数日前から守闘士がやってきていた。
「おーい、オーフィ!」
村の方から桟橋に向けて自分を呼ぶ声が聞こえる。
声の方を見ると赤い鉢巻と派手なマントを身に着けて鍬を持った男がこちらに手を振っていた。
「レクト!」
こちらも手を振り返す。
男の名はレクト、数日前にアルプにやってきた守闘士その人である。
レクトは桟橋を歩いて近づいてくると口を開いた。
「どうだい、海の様子は」
「嘘みたいに穏やかだよ、ほら釣果も」
そう言って釣った魚が詰まった籠を見せるとレクトは穏やかに微笑んだ。
「うんうん、問題なさそうだ」
「今日の夜ご飯の心配は無くなったね」
「ははは、今日もお世話になります…」
守闘士レクトは一言で言うと貧乏人であった。
宿屋に泊まることすらも厳しい懐事情のようでアルプに居る間はオーフィの家に居候している。
なぜ村長の家ではなくオーフィの家に泊まっているのかというと、オーフィが村長や両親に無理を言ってお願いをしたからである。
それはレクトから旅の話を詳しく聞く為であった。
守闘士として様々な土地を巡るレクトの話はオーフィにとって輝く宝石のようなもので、オーフィは毎日隙あらばレクトに旅先の話をねだっていた。
「今回の依頼は長引きそうだな…」
海を眺めてそう呟いたレクトの言葉を聞いてオーフィは心の中でガッツポーズをした。
レクトには申し訳ないが、依頼が達成できずに長いこと村に居てくれればその分だけ旅の話が聞けるからオーフィは嬉しかった。
「なぁオーフィ、本当に海が荒れると歌が聴こえるのか?」
「うん、聴こえる。海が荒れるから聴こえるのか、聴こえるから海が荒れるのかは分からないけどさ」
「ふーん…」
海が荒れる時、聴こえる歌。
その怪しげな現象の解決がレクトの解決すべき依頼であった。
「原因のウォダナが分かりやすく居てくれたらすぐに終わるのになぁ…」
守闘士が請け負う依頼は主にウォダナの討伐関連の物が多いが、時としてこういったウォダナが関係しているかどうか分からない依頼やウォダナが全く関係しない便利屋まがいの事をさせられる依頼もある。
「今日も浜辺の見回りに行くの?」
「ああ、ここらへんは獣もウォダナもあんまりいないが、もしものことがあるしな。依頼先の日常的な安全を確保することも守闘士の役目さ」
それに、とレクトは続ける。
「もしかしたら歌の発生源が分かるかも知れないだろう。こういうのは足での調査が物を言うんだ」
「俺もついて行っていい?」
「そうやって聞くけど何を言っても毎回ついてくるじゃないか」
「じゃあ、良いってことね。母ちゃんに魚渡してくるから村の入り口で待ってて!」
釣り竿と籠を掴んで家に走り出すと、背後からレクトが「早くしろよー」と声をかけてくるのだった。
村の近くの浜辺は、偶に綺麗な恰好をした人達がわざわざ馬に乗ってやってきて遊んでいくくらいには綺麗らしい。
らしいと言うのは、オーフィからしたら見慣れた何の変哲もないただの浜辺でしかないからだ。
浜辺は見通しも良い為、見回りと言っても村の近くを軽く歩く程度で済む。
そんな訳で見回りは果てしなく暇であった。
ではなぜそんな暇な見回りにオーフィが付いてきたのかというと、隙あらばレクトから旅の話を聞くためであった。
「…というのが、俺が行った白魔女が住むと言われる都市だ」
「へぇ、全然想像つかないや…」
「西大陸の町は言葉で説明しづらいからな、いつか自分で行ってみると良いさ。驚きの毎日が待っているぞ」
レクトの言葉に思いを馳せる。
いつか海を越えて西大陸に行く、まさに夢のような話であった。
「じゃあさ、今度はこっちの大陸の話をしてよ」
「いいぞ。この村から遠い東にある交易都市パーヴリに旅商人の護衛で行ったときの事なんだが…」
そこまで話したレクトは視線を遠くの浜辺に移して固まっていた。
「うん、どうしたの?」
レクトの視線を追うように遠くに目を向ける。
何かが浜辺に打ち上げられているように見える。
「あれ、人じゃないか?」
そう言ってレクトは走り出した。
慌ててオーフィもそれに続く。
打ち上げられていた物に近づくとそれは人の形をしていた。
もっと細かく言うなら見たことのない服を着たあどけない少女に見えた。
レクトはその少女を抱き起すと口元に耳を当てた。
「意識が無いがまだ生きてる…体が冷えすぎているな。すぐに村に運ぼう。この子は俺が担いでいくからオーフィは先に村で湯を沸かしておいてくれ」
レクトの言葉に頷きオーフィは村に走った。
走りながら、素早くやるべき事をこなすレクトの姿を思い出してやはり彼は尊敬できる人だと思うのだった。
レクトとオーフィが浜辺で打ち上げられていた少女を運んできたことで村はちょっとした騒ぎになっていた。
村の皆は運び込まれた少女を一目見ようとオーフィの家に集まった。
彼らの話の中心にあったのは少女の正体について。
どこかから逃げて来た奴隷、近海で沈んだ船の乗客、やんごとなき身分の子。
様々な憶測が飛び交うがオーフィの母親の「着替えさせるから出ていきな!」という一言で村人たちはオーフィの家から散っていった。
「レクトさん、オーフィ。彼女、着替えさせたよ」
母親のその声を聞いて家の中に入ると、母親のお古の服を着て布団で寝かされている少女が目に入った。
少女が元々着ていた服は家の中に干してあった。
「この子、大丈夫かねぇ。この村にはお医者さんなんていないし…」
「恐らく大丈夫です。彼女は衰弱しているだけかと。安静にしていれば良くなるはずです。あくまで守闘士として持っているちょっとした知識で見た限りですけど…」
「…うん。レクトさん、あんたを信じよう。それじゃあ体力のつく薬草を入れた粥でも作るかねぇ」
母親が腰を上げて、調理場に行くのを見送ってオーフィは眠っている少女の横に座った。
「綺麗な顔…」
じっくりと少女の顔を見るとついそんな感想が口から出た。
「惚れたか?」
レクトは微笑みながらそう聞いてきた。
「そんなんじゃないよ。ただ綺麗だと思っただけ」
そんなやり取りをしてすぐに沈黙が部屋を包んだ。
オーフィと、恐らくレクトも少女が心配であまり話す気になれなかったのだ。
「俺、もう一回見回りに行ってくる。途中で帰ってきちまったし…」
「うん」
「オーフィは…その子を見ててやってくれ」
「うん」
そうしてレクトは家の入り口に立て掛けてあった鍬を持って出かけて行った。
「ちょっと水汲んでくるから留守番よろしく」
「はいはい」
レクトに続けて母親も出かけて行ってしまった。
家には寝込んだ少女と二人きり。
なんだか無性にそわそわする気分であった。
「う、うう…」
何かしようかと家の中をうろうろしていると少女が唸っていることに気づいた。
「だ、大丈夫か…?」
もちろんそんな事を聞いても少女が答えるはずはない。
意識が無いのだから。
「どど、どうしよう」
こんな時に限って頼りになるレクトも母親もいないなんて。
そう考えて慌てているとき、ふと少女の胸元に目が行った。
決してやましい気持ちがあった訳ではない。
少女の胸元が服越しに紫色に薄く光っていたのだ。
気付くと少女の胸元に手を伸ばして服をずらし、その光の正体を探っていた。
「なんだ、これ…」
少女の胸元には綺麗な紫色の結晶が埋まっていた。
少女が唸るたび、それに応えるように結晶は紫色に光った。
「…何してんだい!」
少女の胸元に埋まった結晶に目を奪われているといつの間にか帰ってきていた母親の拳骨が頭に飛んできた。
「いっつー!」
「変なことしてんじゃないよ。まったく!」
間違いなく頭のてっぺんにたんこぶが出来たので、母親に抗議の目線を送った。
そして目線を少女に戻すと少女は落ち着きを取り戻したように、か細い寝息を立てていた。
少女の胸元の結晶も先ほどの光が嘘だったかのように静かであった。
翌朝、オーフィが目覚めるとレクトと聞き覚えの無い女の子の声が聞こえてきた。
寝床を飛び出し慌てて声の方に向かうと、少女が起きてレクトと喋っていた。
「おう、おはよう」
「う、うん。おはよう」
穏やかに挨拶をしてくるレクトに挨拶を返すと、少女がこちらを見てきた。
綺麗な顔だが無表情なため、一切の感情が感じられなかった。
「えっと、体はもう大丈夫なのか?」
「うん…」
少女の返事を聞いて声も綺麗だな、なんて考えているとレクトが口を開いた。
「彼女、名前と故郷以外の記憶が無いみたいだ。なんで浜辺に打ち上げられていたか、とか何も覚えていないらしい」
「それって?」
「記憶喪失って奴だな」
レクトの話を聞きながら少女を眺めていると少女も無表情でこちらを見つめてくるのでつい恥ずかしくなって目を逸らした。
「ほら、互いに自己紹介」
レクトがそう促すので少女より先に口を開いた。
「俺、オーフィ・フィッシャーマン。よろしく」
握手の為に少女に手を伸ばす。
少女はきょとんとした様子で伸ばした手を見つめていた。
「さっき自分ともしただろ、握手だよ」
レクトが優しく少女にそう言うと少女はオーフィの手を握った。
小さくて暖かくて柔らかい手だった。
「ツユリ・ヒサノ。よろしく…」
そう言った彼女は無表情のままだった。
「ここらじゃ珍しい響きの名前だよな。どっちが名前なんだ?」
レクトがそう聞くと彼女は「ヒサノ」と答えた。
「やっぱり近場で大きな船でも沈んだのかなぁ…。ヒサノはどこか遠い所からここら辺に来る途中だったんじゃないか?」
「分からない、でも…帰りたい…アマトに」
「それが故郷?」
そうヒサノに聞くと静かに頷いた。
「アマトってどこ?」
「分からない…」
ヒサノは無表情ではあったが俯いていたため、少し悲しげに見えた。
「レクトは聞いた事ある?」
「いや、そんな場所は聞いたことがない。まぁ言葉の響き的に東国の方なんじゃないかとは思うけど…」
「けど?」
「交易都市パーヴリより東はウォダナの大侵攻があってほとんど滅んでいるからな…」
「ウォダナって?」
ヒサノが無表情ながらも首を傾げて不思議そうに聞いた。
無表情だからといって感情が無い訳ではない様だ。
「人を襲う化け物さ。基本は獣の大きい版って感じで、大体胸のあたりに紫色の結晶がある。人間の形をしていることもあるらしい。そういう奴らは人語も使えるとか…まぁ、それは真偽の怪しい噂だけど」
そう話をしているとオーフィの母親がやってきた。
「さぁ、粥が出来たよ。これを食べて体力付けな」
オーフィの母親は、そう言ってヒサノに粥の入った木皿とスプーンを渡した。
オーフィの母親が「一人で食べれるかい?」と聞くとヒサノは頷いた。
「母ちゃん、俺の分は?」
「贅沢言ってないで魚を獲ってきな。余分に取れた分を焼いてあげるよ」
「それいつもの昼ご飯じゃん…」
「いいからほら、いつまでも家の中に居ないで行っといで!」
そう言う母親にオーフィは無理やり家から追い出された。
「ほらほら、レクトさんも!」
「は、はい!」
そんなやり取りが聞こえるとすぐにレクトも家から出てきた。
「しょうがない、見回り行ってくるか…」
「あ、俺も」
「釣りが先だろ。昼飯と夜飯の分、頼んだぞ」
「はーい…」
オーフィは釣り竿と籠を、レクトは鍬を持ってそれぞれの仕事に向かった。
ふと空を見上げると、暗い雲が空を覆うように広がっていた。
「今日は、彗星様見えないな…」
彗星様、月の隣に浮かぶ紫色に輝く彗星で昼夜問わず見ることが出来る。
世界の人々はその神秘的な紫彗星を信仰している。
オーフィは特に信心深い訳じゃなかったが、紫彗星の輝く尾をひく様子を見るのは暇つぶしにもなるので好きであった。
オーフィが桟橋で釣りを始めてから数刻が経過した頃、海が荒れ始めて雨も降り始めた。
籠の中を確認すると魚は十分獲れていたので、雨から逃れるようにオーフィは家に走った。
素早い行動のおかげでずぶ濡れになる前に家に入ることが出来た。
玄関で体に付いた雨粒を払っていると家の奥からヒサノがやってきた。
「海が荒れてきて雨も降ってきたから帰ってきちった。でもほら、魚はこんだけ獲れてるしいいでしょ」
そういってヒサノに魚の入った籠を見せると、ヒサノは無表情で籠の中の魚をつついた。
「いやー、急に降ってくんだもんな。最悪だ…」
オーフィが家に帰ってから少しした後、そう言いながらレクトが家に飛び込んできた。
残念なことにレクトはずぶ濡れになってしまったようだ。
「…二人とも玄関で何してんだ?」
レクトの視線の先にはオーフィが持っている籠に手を突っ込んで魚をつついているヒサノがいた。
「いや別に…」
「まぁいいや、ちょっと着替えてくる。ずぶ濡れで風邪ひいちまう」
そう言ってレクトは家の奥に入っていった。
「俺達ももっと中に行こう。玄関は外の風が入ってきて寒い」
「うん…」
そうしてヒサノと共にオーフィも家の奥に入るのだった。
「今日は海が荒れていたな」
服を着替えてマントと鉢巻を乾かしているレクトがそう口を開いた。
「そうだね」
「大荒れってほどじゃないみたいだが、これくらいで歌は聴こえてくるのか?」
「うん、家の中でも聴こえてくる」
「じゃあやっと仕事ができそうだな…」
レクトは腕を回した。
「また外に出るの?」
「もちろん歌が聴こえたら。それを止めるのが俺の仕事だしな」
「じゃあ今のうちに食事をして体力つけないとね」
そう言ってオーフィの母親が、オーフィが朝獲った魚を焼いて持ってきた。
あと根野菜も。
「いやー、ありがたい。ちょうどお腹すいてたんです」
「俺も俺も」
ヒサノはレクトとオーフィが魚に手を付けるのを無表情で見ていた。
「ヒサノちゃんはまだ粥がいいかい?」
「いえ…」
そう言うとヒサノも魚に手を付けた。
各々の食事が済んだ頃、それは聴こえてきた。
「これって…」
海の方から聴こえる悲し気な歌。
歌詞は分からないが明確に歌であることが分かる。
「確かに海が荒れるたびにこんなのが聴こえてちゃ気が滅入っちまうな」
レクトはそう言って生乾きのマントを羽織って鉢巻を巻いた。
「行くの?」
「もちろん、これを解決するために来たんだから。危ないから今回はついてくるなよ」
「はーい…」
ついて行こうとしていたのをレクトに見透かされたのか釘を刺されてしまった。
「しょうがない大人しくしとくか…」
わざとらしくそう言って玄関に置いてある鍬を持って外に出ていくレクトを見送る。
「なんてね、守闘士の活躍を生で見るチャンスを逃すわけないじゃん」
こそこそと母親にばれないように父親の外套を羽織るとオーフィは玄関に向かった。
「私も行く…」
急に背後から声をかけられたオーフィは驚きで叫びそうになったのをこらえた。
「ヒサノか…病み上がりなんだからやめた方がいいよ」
「ううん、行く。あの歌は私の歌だから」
何を言っているのかよく分からなかったが真っすぐこちらを見据える目には覚悟にも似たものを感じた。
「うーん…分かった、じゃあこれはヒサノが羽織りな」
そう言って父親の外套をヒサノに羽織らせる。
「少し匂うのは我慢してくれ、濡れるのよりましだろ」
「うん…」
「じゃあ、母ちゃんに見つかる前に行こう」
そうしてオーフィとヒサノは雨の中に飛び出していった。
家の外に出ると歌はより聴きやすくなった。
相変わらず海の方から歌は聴こえてくるが、感覚としては村の正面の海というより村外の浜辺の方から歌は聴こえてきていた。
具体的には昨日、ヒサノが倒れていた方だ。
恐らくレクトもそっちに向かったはずなのでヒサノの手を引いて雨の中、村を出て浜辺に向かった。
村を出て歌の聴こえる方に向けて浜辺を少し歩くと、レクトの姿が遠くに見えた。
「あ、レクト」
レクトは海を見つめて呆然としていた。
視線をレクトの視線の先に移すと荒れた海の上に人影が見えた。
「人が海の上に立ってる…?」
歌はどうやら海の上の人から聴こえてきているようだ。
海の上の人はよく見ると胸から紫色の結晶が生えており、肌が青白く生気を感じさせない。
それに、倒れていた時のヒサノと似た格好をしていた。
遠巻きでレクトと海の上の人の様子を伺っていると、ヒサノが飛び出していった。
「ヒサノ!」
飛び出したヒサノを追いかける際につい叫んでしまうと、その声に反応してレクトが振り向いた。
「二人ともなんでここに!」
驚いた様子のレクトの横を通り過ぎてヒサノは海の上の人と対峙した。
「その歌は私の歌…返して!」
その言葉を聞いた海の上の人は、強くなってきた雨でよく見えないがケタケタと笑っているように見えた。
その間も悲し気な歌は続く。
「ヒサノ、君が何を言っているか俺には分からないがアイツに何を言っても無駄だ。奴は俺たち人間の敵、ウォダナだ。話をして分かり合えるような奴じゃない」
そう言ってレクトはヒサノを庇うように立ち鍬を構えた。
「アイツはこちらを認識している。いつ攻撃を仕掛けてくるか分からないから、今のうちに二人とも逃げろ!」
「レクトは?」
「アイツを倒すのが仕事さ!」
レクトの言葉に従ってオーフィはヒサノの手を引いてその場から離れようとしたが、ヒサノはその場から動かなかった。
「ヒサノ、逃げよう!」
「ダメ、私の大切な歌…返してもらわないと…」
そうこうしていると、海の上のウォダナは、完全にこちらを向きそして手を伸ばした。
「ッ、伏せろ!」
レクトが叫んだ次の瞬間、ウォダナの手から矢のような水が大量に放たれた。
瞬時に避けられないと感じたのでせめてヒサノだけでも守ろうと彼女を庇うように前に立った。
そこに素早くレクトが飛び込んできて、ヒサノ共々オーフィは地面に押し付けられた。
するとオーフィ達の頭上を通り抜けていった矢のような水はすさまじい勢いで地面にぶつかり砂煙を立てた。
「馬鹿野郎死ぬ気か!」
レクトが起き上がりそう叫ぶとすぐ後ろにウォダナの姿が見えた。
「後ろ!」
オーフィの言葉でレクトが振り返る。
そして、いつの間にか海の上から浜辺に上がっていたウォダナの腕の薙ぎ払いを横っ腹に食らったレクトは吹き飛ばされ浜辺の砂の上を転がった。
「レクト!」
地面に倒れているレクトは生きていたが激しい痛みで立ち上がれない様であった。
レクトは遠くでなにか、恐らく逃げるように言っているのだろうが強い雨の音で声はかき消されていた。
視線をウォダナに戻すとオーフィの目の前で怪しげな笑顔を浮かべて次はお前だと言わんばかりに腕を振り上げていた。
殺される。
そう思い強く目をつぶった。
しかし一向に何の衝撃も襲ってこなかった。
ゆっくりと瞼を開くとヒサノがオーフィを庇うように立っていた。
「私の歌を…返して!」
ヒサノがそう叫ぶと、ヒサノの全身が紫色に光り出した。
幻想的な光だ。
そう、まるで彗星様の輝きと同じ。
ヒサノが放つ光はその強さを増していく。
ウォダナはその光に包まれ動きが止まっていた。
その時、ふと地面に転がるレクトの武器、鍬が目に入った。
オーフィは素早く立ち上がり鍬を持つとウォダナに向かって全力で振り下ろす。
「なんとぉぉぉぉ!」
オーフィの渾身の一撃は躱されることなくウォダナの脳天を突き破りそのまま胸の結晶を砕いた。
するとウォダナは紫色の光の粒子となって宙に舞いヒサノの体に吸収されたように見えた。
「返してもらえた…私の歌…」
そう呟くとヒサノは地面に座った。
「大丈夫?」
「うん…ちょっと疲れちゃっただけ…」
ヒサノはそう言うと微笑みを見せた。
それを見たオーフィは自分の頬が赤くなるのを感じた。
「雨…止んだね」
ヒサノの言葉に辺りを見渡すと、激しかった雨が止み雨雲の切れ目から日差しが降りてきていた。
海も穏やかな表情を取り戻していた。
「おーい、二人とも大丈夫か…」
よろよろとわき腹を抑えながら近づいてくるレクト。
「レクトが一番大丈夫じゃなさそう」
「まぁ、そうだが。俺は頑丈さが売りなんだよ」
「なんだそりゃ」
そんな事を言ってレクトと笑いあう。
その後、レクトはヒサノを見た。
「と、そんなことよりヒサノ。君は彗星術が使えたのか」
「彗星術?」
「そう、主に貴族たちが持つ魔法のような不思議な力のこと。体が紫色に光っていただろう。彗星術を使うと皆そうなるのさ」
よくわからないが、ヒサノは凄いことをしたんだと思ってワクワクした。
「ヒサノは、貴族の子なのかも知れないな」
「わからない…」
ヒサノは考え込むように俯いた。
「しかし、ウォダナの前に立つ度胸とその彗星術があればヒサノは守闘士になれるな」
「でもウォダナを倒したのは俺だよ」
「まぁ、オーフィも素質はあるかもな。ウォダナの弱点の胸の結晶を一撃で砕いた訳だし」
「だろ!」
ウォダナの弱点が胸の結晶だったことは知らずたまたま砕いただけだが、素質があると言われて嬉しくなりガッツポーズをした。
「とりあえず事件は解決。依頼達成。一旦村に帰ろう」
「うん…そう言えばヒサノの胸にも…」
「どうかしたか?」
「いや、何でもない」
オーフィ達は村に向かって歩き出した。
気分は英雄譚で語られる英雄の凱旋だった。
「お前らは村長や両親にしっかり怒られるんだな。危険だって言ったのについてきたんだから」
一気に気分は最悪になった。
そんなオーフィの様子を見てヒサノは微笑んでいた。
「そう言えばヒサノ、笑うようになったね」
「うん、ウォダナから歌を取り返して笑顔も思い出せたみたい」
「そっか、それは良かった」
無表情より笑った顔の方が可愛いと言う勇気はオーフィには無かった。
村に帰ってからオーフィとヒサノは怒涛の如くオーフィの母親に叱られた。
もちろん村長にも叱られたが、レクトも一緒に叱られていた。
大人としての責任がどうとか、なんとか言われていたみたいだ。
「まったく、この年になってあんなに怒られたのは初めてだ…」
オーフィの家でくつろぐレクトは愚痴をこぼしていた。
「でも依頼達成の報酬はもらえるんでしょ」
「そりゃあね。あと三日くらい村に残って何もないようだったら近くの町の守闘士組合に報告に行く予定だ。やっと金が入る…」
「羨ましい、こっちは金じゃなくて拳骨を貰ったってのに」
オーフィがそう言うとレクトは笑った。
「村を出ていくの…?」
ヒサノは首を傾げてレクトに質問した。
「守闘士だからね、依頼が無ければ村に留まる理由もない」
「それじゃあ私もついて行きたい…」
その言葉にオーフィもレクトも驚いた。
「守闘士になりたいのか?」
「ううん、そうじゃないけど…故郷に、アマトに帰りたいから。旅をすればいつかアマトを見つけられるんじゃないかなって…」
「そうか…」
レクトは腕を組んで唸った。
連れていくかどうか悩んでいるのだろう。
今だと思ってオーフィは口を開く。
「ヒサノが行くなら俺も行く!」
「何を言って…」
「俺は世界を巡るのが夢なんだ。そのためには守闘士にだってなる。お願い、連れてって!」
レクトはあきれた様子でため息をついた。
「守闘士はそんな甘いもんじゃないぞ。いつ死ぬかも分からない。死んでも弔ってもらえるかも怪しい職業だ。それを分かっているのか?」
「分かってるよ。それにヒサノが心配だし…」
そう言ってヒサノを見つめる。
ヒサノともっと一緒に居たい。
世界を巡る夢もあるが、旅について行きたい今の一番の理由はこれだ。
そんな事、恥ずかしくて言えないが。
「村の外に出ると言う事は自分の行動に自分で責任を持つと言う事だ。親に泣きつくことは出来ないんだぞ」
「そんな事したことない。ね、頼むよ」
レクトはどんどん難しい顔になって唸っている。
ここ数日レクトと一緒に過ごして分かったことだが、彼は押しに弱い。
「お願い!」
最後の一押しとばかりに頼み込むと、折れた様子でレクトは項垂れた。
「分かったよ、ただ条件がある」
「条件って?」
「俺がこの村を発つ三日後までに親を説得しろ。それに成功したら連れて行ってやる」
「本当!」
「あぁ」
「本当に本当?」
「本当さ」
「よっしゃあ!」
嬉しさの勢いのまま、オーフィは母親に守闘士になりたいことを話した。
結果、当然の如く反対された。
「三日後までだからな」
反対された様子を見ていたレクトは、そう言って笑った。
母親を説得できないと思っているのが透けて見えた気がしたので、絶対に説得してやるとオーフィは燃えた。
三日後の朝、村の入り口にレクトは立っていた。
「ふーむ…」
するとヒサノがやってきた。
「遅れてごめんなさい…」
「いや、俺が早く来ていただけで時間には間に合っているよ」
そう話すと二人とも村を眺める。
「滞在期間は短い間だったが良い村だったな…」
「うん、記憶の無い私にも優しかった…」
二人の間を沈黙が包む。
その時、村の中から二人を呼ぶ声が聞こえた。
「レクト、ヒサノ!」
「オーフィ。母親は説得できたのか?」
「バッチリ。見てよ、これ!」
オーフィは身に着けた派手なマントを二人に見せびらかす。
それを見たレクトは驚いた様子であった。
「守闘士のマントじゃないか」
「親父も昔、守闘士だったんだって!」
ヒサノはオーフィのマントを興味深そうに見つめた。
「それにしてもよく母親を説得できたな」
レクトは不思議そうにそう言った。
「条件付きで許してもらった!」
「条件って?」
「定期的に手紙を出すこと、健康に気を付けること、ヒサノを守ること、生きて帰ってくること」
条件を聞いてレクトは微笑んだ。
「そうか…いい母親を持ったな」
「うん…親父の武器も貰ってきたんだ」
オーフィはそう言って腰に下げた小振りの斧を取り出した。
「これでヒサノを守るよ」
そう言ってヒサノを見つめると「ありがとう」と言ってヒサノは微笑んだ。
「じゃあ旅の間に稽古をつけてやる。戦えるようにならないと一人前の守闘士にはなれないからな」
「うん、よろしく」
それから少しの沈黙の後、レクトは手を叩いた。
「それじゃ行こうか」
「うん…」
レクトとヒサノは歩き出した。
それに続く前にオーフィは一瞬だけ村の方に振り返った。
「母ちゃん、村の皆、行ってきます」
そうしてオーフィは歩き出す。
新たな旅の始まりを祝福するかのように頭上の紫彗星は輝くのだった。