アミィの情報収集 ①果物屋
神殿へと向かう人波に紛れていくエーレの背を見送り、私はザクロと共に市場通りへと足を踏み出した。
朝の光が石畳にきらきらと反射し、通りには活気が満ちている。
呼び声、笑い声、香ばしい匂い――目まぐるしく移ろう色と音の渦のなかには、肌の色も耳の形も違う人々が混じり合っていた。
尖った耳のエルフ、背の低いドワーフ風の者、爬虫類のような瞳をもつ人影……この世界が、自分の知っている常識の向こう側にあるのだという実感が、ようやく胸に落ちていく。
人々は色とりどりの果物や野菜を手にし、品定めしながら、軽食を頬張っていた。
香ばしい匂いの元は、どうやら奥にある屋台から流れてきているらしい。
串焼きや、ブリトーのようなものを片手に歩く人の姿が多く、食欲を誘う香りが風に乗ってこちらへも届いてくる。
「……まるで、錦市場みたい」
ぽつりとこぼしたひとことに、隣を歩くザクロが小首をかしげた。
「“にしきいちば”……なる場所にも、かように芳しき香りの食物が並ぶのか?」
……そこに食いつくのね、この食いしん坊さん。
私は思わず微笑んで、「ええ」と短く答えると、視線を並ぶ果実へと移した。
赤く艶やかなリンゴのような果物、オレンジやキウイに似たものも見える。
だが、味は同じなのか、確かめる術はない。
何より、今の私にはこの国の貨幣を一つも持っていない。
価値も、種類も、形すらわからないままだ。
「おやおや、見ない顔だと思ったら……異国の子かい?」
突如かけられた声に、びくりと肩が跳ねた。
声の方へ振り返ると、果物を並べた屋台の前に、恰幅のいい女性が立っていた。
陽に焼けた頬と腕、よく通る声。目の前の品を丹念に磨いていたその手を止め、彼女はじっと私を見つめていた。
「その不思議な格好、異国じゃ普通なのかい?
あんたの国にゃこの果物はないのかもしれないねえ。
……よかったら、ひとつ食べていっておくれよ。」
「…あの、私たち海の向こうから来たばかりで…えと、この国のお金とか何にもわからなくて…」
私は咄嗟にしどろもどろに答える。うっかり口をついて出た「海の向こう」という言葉に、自分でもどきりとする。
何せ島国育ちだ、異国と言われたら海の外だ。
この国に海はあるのだろうか……変じゃなかっただろうか。
女主人はぱっと目を見開いたが、すぐに朗らかに笑った。
「ほう、海の向こう! 南の国のさらに向こうってわけだね。そりゃあ遠いところからご苦労さんだね。
なあに、今日はお代はいらないよ。せっかくだ、食べてごらん。おいしいよ」
彼女は赤い果物を前掛けでくるりと拭き、専用の道具で芯を抜いて私に手渡してくれた。
果実の赤は、どこか透明感があり、手の中でほんのりと温かい。私は一瞬、ためらいながらも――そっと口を寄せた。
かじりつくと、甘酸っぱい香りが口の中にふわりと広がる。
「……あ、リンゴの味がする」
「そりゃあそうさ、リンゴだからね。南じゃ形がちょいと違うのかい? 後ろのお連れさんにも、ほら、どうぞ」
ザクロにも果物が渡された。彼は無表情ながら、瞳がほんの少しきらめいている。
(南に海……情報、ひとつゲット)
「この国は土地が豊かで、くだもや野菜は豊富に取れるのさ。毎朝何かしらこうして市が立つんだよ。
南の国にもたくさん輸出してるからね。そこから海を渡って、お嬢ちゃんの国にも届いてたのかもしれないねぇ」
彼女は果物を手に取りながら、少し誇らしげに言った。
「このリンゴは一つ、おいくらですか? 私、この国のお金はよくわからなくて……」
「そうなのかい?このリンゴ一つで中銅貨が一枚ってとこさ。
――ほら、見せてあげるよ」
彼女は店の奥から小さな木箱を取り出し、仕切られて整理された中からいくつかの硬貨を並べてみせてくれた。
大きさや色の違うコインを並べる。ほとんどが10円玉のような茶色だ。
1円玉ぐらいの大きさの一番小さいのが銅貨。
銅貨が10枚で中銅貨
中銅貨が5枚で大銅貨
大銅貨が2枚で小銀貨——だそうだ。
小銀貨は中銅貨より小さいが、うっすらと褐色を帯びた銀色をしている。
「うちの店で扱ってるのこのあたりまでさ。庶民が日常で使うのは小銀貨くらいまでだね。
その上になると……銀貨、大銀貨、小金貨、金貨、大金貨、それから白金貨。
そこまでいくと、まあ庶民が手にすることは滅多にないよ。商業区の大店か、神殿の関係くらいだね」
「この市場で大銀貨を使うとしたら、一部の香辛料くらいかねぇ」
女主人は頬に手を当て、少し首を傾げて言った。
「香辛料って、そんなに高価なんですね」
「そりゃそうさ。もっと南の、陽の強い土地でしか育たないらしくてね。
お嬢ちゃん、国から香辛料を持ってきてるなら、こっちじゃ高く売れるかもしれないよ」
そう言って彼女は私の髪にさした簪に目を留めた。
「それに、その髪飾り。見ない形だねぇ。見事な彫りじゃないか。
もう少し先の通りに、装飾品を扱うノームのオヤジがいるんだ。腕は確かだよ。やつに見せてごらんよ、きっといい値をつけてくれるさ」
彼女はウインクを一つ寄こすと、再び果物を並べる作業に戻っていった。
「あたしゃオランファーデってんだ。みんなはランファって呼んでる。
お金ができたら、今度はたくさん買ってっておくれよ。
半月の刻ぐらいまでは、毎日ここに市を出してるからさ」
「あ、私はアミィって言います。次はきっとたくさん買わせてもらいますね。」
私は手を振り、隣を見る。
ザクロはリンゴを手に、静かに、けれどどこか幸せそうに頬張っていた。
(この食いしん坊さん、口が立つって言ってたはずなんだけどな)
小さくため息をつき、私は歩を進めるよう促した。
『半月の刻』――それは時間だろうか、期間のことだろうか。
この国には、暦や時計のようなものは存在するのだろうか。
足元を踏みしめながら、私はそんな考えを巡らせていた。
どうやら果物は見た目と味は同じみたいです。
お金がないことには買い物もできない・・・
さて、次はノームのオヤジさんのところで商売です。