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ジェメールツォへの帰還

白み始めた空が、窓の向こうで静かに夜を押し返していく。

目を覚ますと、私は自分のベッドに眠っていた。


枕元では、しっとりとした黒い毛並みの影が、くるりと丸くなって眠っている。

昨日の出来事が夢ではなかったことを、改めて実感する。

心の奥に触れた記憶たちは、まだ熱を帯びたまま、私の中で息づいていた。


部屋を見渡す。そこには、いつも見慣れたはずのものがなかった。

残されているのは、物心ついた時から使っていたベッドと箪笥だけ。


いつも通り道場へ行こうと、箪笥の中を開く。どうやら服はちゃんとあるようだ。

着替えて部屋を出ると、裏口へ向かおうとしたそのとき、廊下が思っていた向きと逆に延びていた。


――まだ夢でも見ているのかもしれない。


目をこすりながら歩く。

中庭では沈丁花が花の盛りを過ぎ、苔むした地面に花がらがいくつも落ちていた。

裏口の扉を開ける。


石畳に京町屋が並ぶ、いつもの裏路地のはずだった。


「え……」


そこに広がっていたのは、木造ではなく石づくりの建物が並ぶ、どこかヨーロッパの街角を思わせる景色だった。

手前には、折りたたまれた屋台のようなテントがずらりと並び、見慣れたはずの裏路地とは明らかに異なっている。

足元の石畳も、いつものものとは微妙に質感が違った。


――パタン。


とりあえず、扉を閉める。


もう一度、ちらりと外を覗くが、やはり見慣れた景色ではない。


混乱する私のもとに、店の方から焦がし砂糖のような、ほんのり甘いコーヒーの香りが流れてきた。

人の気配を感じ、私はそっとカフェの方へ足を向ける。


店内は、昨夜閉店したときと同じように、椅子がすべて机に上げられ、カーテンが閉められている。

カウンターの棚には埃除けの布がかぶせられ、食器が並んでいるらしい。


――あれ? カウンターの位置が反対……?


よく見ると、壁の模様やタイルの飾りも左右逆だ。

小物が並んでいたはずの一角には、何も置かれていない。


「同じなのに、違う……まるで鏡の中に迷い込んだみたい」


私がそう呟いたとき、カウンターの奥から声がした。


「おはようございます、アミィ。ずいぶんと早いですね。よく眠れましたか?」


アミィ――私の名前。


なじみ深い声が、ゆっくりと空気を満たしていく。


カウンターに立っていたのは、琥珀おじさま。

……いや、本当の名を思い出した今は、エーレと呼ぶべきだろう。

昨日、古道具店で見たときと同じ、深みのある装いと、傍らには琥珀のステッキ。


「琥珀おじさま……いいえ、エーレと呼んだ方がいいのかしら?」


私の問いに、彼は柔らかく目を細めた。


「そうだね。私の本当の名は“エーレ”だから。私も、これからはあなたのことを“アミィ”と呼んでいいかな?」


私は小さく頷いた。


「それではエーレ、ここはどこ? どうしてあなたがここにいるの?」


混乱の渦の中、私は問いかける。


「詳しい話は、朝食を食べてからにしましょう」


そう言ってエーレは白いカップにコーヒーを注いでカウンターに置く。

私は頷き、促されるままに座る。

お気に入りの猫型スプーンを取り、角砂糖をひとつ。

カップの中でくるくるとかき混ぜていると

ザクロがあくび交じりに伸びをしながら入ってきた。


「――起こしてくれればよかったものを。」

すこし不満そうな声に、思わず笑みがこぼれる。


「すみません、ザクロ。私が早く来すぎたのですよ。」


「エーレか…」そう呟いてザクロはカウンターにひょいっと飛び乗るが、

少しいぶかしげな顔をしてカウンターを見つめている。


「どうしたの?ザクロ」


「我のクッションがないではないか…」


少しひんやりするカウンターは埃一つかぶっていないが、

クッションは置かれていない。


…そういえば記憶の中ではいつもクッションの上で寝てたな。


ザクロは不満そうにカウンターの端にちょこんと座った。


「ねぇ、ザクロって、何が食べられるのかしら? 昨日見た記憶では何か食べてたような……

でも、ぼんやりしてて思い出せないの」


私はカウンターに入り彼の食事の準備をしようと冷蔵庫を開けながら首をかしげる。


「致し方あるまい。そなたが幼き頃の記憶など、曖昧なのも無理もない。

……我は紅茶を所望する。殊に、秋摘みのダージリンが良いな。

ゆで卵は固ゆで、トーストは少し焼き目が付くぐらいが望ましい」


流れるように注文を告げるその姿に、思わず吹き出しそうになる。

どうやらザクロは、獣の身とはいえ食へのこだわりがかなりあるようだった。


「紅茶ね。何に入れたらいいかしら。浅めのカップの方が飲みやすいかな? やっぱり猫舌?」


卵を鍋に入れ火にかけながら、ザクロがちいさな舌でぺろぺろ紅茶を飲む姿を想像してしまう。


「何を言っておる? 無論、我はティーカップで嗜むのが当然であろう。

トーストとて、そのように殊更小さく切る必要はない。」


不満げな彼の言葉に、食べやすいようにとパンを切り始めた私は手を止める。

ザクロはすっと立ち上がると、カウンターからひらりと飛び降りた。


すると彼の身体が淡い光に包まれ、影がゆるやかに引き伸ばされるように揺れ光がはらりとほどける。

そこに現れたのは、美しい黒髪を緩く三つ編みに束ねた、長身で端正な顔立ちをした青年。


黒を基調としたビロードの長衣が、窓から漏れる朝の光を受けて鈍く艶めく。

深紅の瞳が私をちらりと見やると、催促するようにカウンターを指さして、優雅に腰を下ろした。


「なっ……ザクロは人にもなれるの!? そんな記憶ないよ……」

――昨日、私と一緒に寝てたよね・・・


動揺して声を裏返しながら問いかける私に、ザクロは軽く首をかしげる。


ザクロは静かに言葉を返すと、ふわりと長い前髪をかき上げた。

「当時の我は未熟にして幼く、人の姿をとることはあまりなかった。

そなたとともに生まれ、そなたとともに時を過ごし――

今、この姿をとれるほどには力を蓄えた、ただそれだけのこと」


そう言うその表情には、どこか誇らしげだ。


言われてみれば――

紅い目をした少年の面影が、どこか遠い記憶の奥にうっすらと残っている。


私は、ぼんやりと記憶の奥をたどってみる。

紅い目をした、小さな子ども――

……確かに、そんな面影が、ほんの少しだけ、残っている気がする。


「でも……記憶の中のザクロ、すごくちっちゃかったよ……?」


私の疑問に、ザクロはほんの少しだけ肩をすくめてみせた。


「それに、昨晩そなたを寝屋に運んだのは私だ」

「な…」

…なんですって?!


ほのかに顔が熱を帯びるのを感じ、私はほんのり赤く温まったトースターを見つめて

自分をごまかした。


トーストを提供し、私も席に戻る。


ふと、見ると、扉には柔らかな朝の陽ざしを受けたステンドグラス越しに三日月を形作っている。


「あれ、三日月が…」


いつもは上弦の月なのに、扉には下弦の月が青白く映る。


「えぇ、こちらの世界のカフェはあちらの世界の写し鏡のようなものです。

内装も何もかもすべて反対になっています。」


へぇ…そうなんだぁ。わぁエーレの入れてくれたコーヒーすごいおいしい。


コーヒーをひとくちの飲むと、ナッツのような香ばしい苦みで

まだ少し眠い私の頭が冴えてくる。


――ん?いまエーレなんて言った???


あちらとこちらが写し鏡?何、こちらって。


「あの……エーレ?今なんて言ったのかしら?うまく聞き取れなかったのだけれど」


「こちらの世界、”ジェメールツォ”はあちら——そうですね…”地球”でしょうか。あちらのムーンロンドとは鏡合わせになっている、と。ここは地球にあったムーンロンドではありません。あなたは昨日記憶の返還と共に扉を渡りジェメールツォへ帰還したのですよ。」


エーレはにっこりとほほ笑んで、さも当然のことのように言ってトーストにバターをたっぷりと縫っている。


私はあわててカフェのドアに駆け寄り、勢いよく扉を開ける。

差し込む光のまぶしさに一瞬目を閉じる。活気に満ちた声が耳に入り果物の香りが鼻をくすぐった。

正面の広場では噴水が朝日を浴びで宝石をちりばめたようにキラキラと輝いている。

声のする方に目を向けると、裏口から見えたテントが立てられ市が開かれていた。

色とりどりの野菜や果物が並べられ、先ほどとは違いにぎやかだ。

行きかう人の中にはファンタジーなアニメや漫画でみた獣人のような人、

エルフのような耳の人、小さいがいかつい口ひげたっぷりのドワーフなどもいる。


「…本当に異世界…」


私はドアノブを握ったまま、ただ呆然と立ち尽くしていた。

記憶が戻ったとともに世界を渡っていることに気がついていなかったアミィ。

本人はまだ理解していませんが元居た世界への帰還を果たしていました。


次では一旦帰還をのみこみ、外へ情報収集に出かけます。

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