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彫金工房 ②

応接室は、外のざわめきからひと呼吸ぶん切り離された、小さな静けさの箱みたいな部屋だった。


壁には、細い銀線を編んで作られたリースや、小さな花をかたどったブローチが、さりげなく飾られている。磨き込まれた木のテーブルの四隅には、看板でも見た植物の細かな意匠が見事に彫り込まれた角金具が取り付けられていた。まるで技術のショールームみたいだ。


扉が閉められても、その向こうからはまだ槌の音と職人の声がぼんやりと聞こえてくる。

金属を打つ乾いた音や指示を出す声が、厚い壁と空気にやわらいで、少し丸くなった響きとなってこの部屋まで届いていた。


「どうぞ、お掛けください」


ラネブロムが中央のテーブルの椅子を引いてにっこりとほほ笑む。

私とザクロが椅子に腰を下ろすより早く、ブリラダンはテーブルの端の席に、するりと腰を落ち着けていた。その前には、さっき渡した二枚のデザイン画が広げられている。


彼の横顔は、静かで、頑固そうで、でもどこか楽しそうで。

席に着いてからも、炎やサラマンダーをかたどった線の上に視線を落としたきり、ぴたりと黙り込んでしまっていた。


「父はこうなるとしばらく戻ってきませんので」


ラネブロムが、苦笑まじりに私たちの方へ向き直る。


「お気になさらず。詳しい話は、こちらでうかがいますのでね」


その言葉とほとんど同時に、扉が控えめにノックされた。


ワゴンを押して入ってきたのは、柔らかな亜麻色の髪をまとめたノームの女性だった。

ラネブロムとどこか似た、穏やかな目元をしている。

ワゴンに乗せられた銀のティーセットにも、これまた見事な彫刻が施されていた。


「妻のエルミィラです。エルミィラ、アメジスト・ヘレド・ダイアナ様と守護聖獣のザクロ様だ」


「ようこそおいでくださいました、アメジスト様、ザクロ様」


「はじめまして、エルミィラさん。今日はよろしくお願いします」

「ザクロだ」


軽く会釈をし、短い挨拶をしたザクロに、エルミィラさんが少し照れたように目を細めてお茶を注いでいく。

手際よく銀のポットから注がれていくお茶は、透明なのに、立ちのぼる香りだけで甘さが分かる。

地球では嗅いだことのない花の匂い――でも、どこかジャスミンティーに似た、ふわりとしたフローラルさがあった。


「さて……」


ひと口、花のお茶で喉を潤してから、私はテーブルのデザイン画を見つめた。


一枚は、炎を思わせる流線型のイヤーカフ。

尖った炎の刃のような銀の線がいくつも絡み合い、耳の縁を包み込む。

上の方には、小さな楕円形の石をひとつ、炎の芯みたいに留めるスペースを描いておいた。


もう一枚は、厚みのある銀の輪に、小さなトカゲのようなものが這うデザイン。

輪の表面を、しっぽを翻したサラマンダーが横切っていて、その軌跡だけが高く盛り上がっている。

耳の真ん中あたりをぐるりと抱きしめるような形になるはずだ。目の部分には、小さな石を一つはめ込むつもりで描いてある。


「この二つのイヤーカフを……ラドミラン団長と、セラヴィナ副団長に贈りたいんです」


私はラネブロムの方を見る。


「銀粘土でどうにか形を作ろうとしたのですが、うまくいかなくて」


「ふむ……」


ラネブロムは、デザイン画を自分の前へ少し引き寄せた。

ちらりと隣を見ると、ブリラダンも同じように、絵に顔を寄せている。

親子の横顔が並ぶと、目元や顎の線が驚くほどよく似ている。


「なかなか挑戦的な意匠だが……面白い」


最初に口を開いたのは、黙りこくっていたはずのブリラダンだった。


「耳の上から縁をなぞって、ここで一度、火が跳ねる……なるほど。石はここに」


炎のイヤーカフの図面を指先でなぞりながら、低い声が続く。


「こちらは、耳の真ん中を抱える輪ですな。サラマンダーを、ぐるりと一周……」


「耳たぶに負担がかからぬように、厚みと重さをこのあたりで調整すれば、銀でも問題ないでしょう」


ラネブロムが、横からさらりと補足した。


「銀は、使い込むほど表情が出ますからね。彼らはアメジスト様からの贈り物ならきちんと手入れをしてくださるでしょう」


「……では、銀でお作りするということで」


ブリラダンが、ようやく顔を上げた。


「細工そのものは難しいものですが、我々なら問題ありません。ただ、一つお尋ねしたい」


「えぇ、どうぞ」


「ここに留める石のことです」


炎の図面の、芯の部分を指さす。


「ここに留める石は、ご指定のものがあるのでしょうか」


「……実は、そのことでお願いがあって」


私はポーチに手を伸ばす。


布の小袋を取り出して開くと、小さなレッドスピネルとファイアオパールが掌の上に転がった。

光を受けて、石の奥で小さな火花が瞬く。


(フラメラ。この石って加工してもいいのかしら?)


胸の内側で、そっと囁くように問いかける。


『うん!』


すぐに、弾むような声が頭の中で響くように返ってきた。


『もちろん構わないよ。削りかすは消えてしまうと思うから、事情は先に話しておいた方がいいかもね』


――え……それは知らないとびっくりするでしょうね。


「……というわけで、こちらのスピネルは炎のモチーフに、ファイアオパールはサラマンダーの目にそれぞれはめ込んでほしいんです」


私は掌の上の石を、そっと差し出した。

ブリラダンは、慎重な手つきでスピネルをつまみ、窓からの光に透かす。

赤い光が、石の内側で細い炎の柱みたいに立ち上がる。

その瞳に、年齢を感じさせない好奇心が一瞬だけ走った。


「……なるほど、これはすばらしい」


短い感嘆の息がこぼれる。


「あの、この石はここにいるフラメラと主であるフラミストラがいとし子に、とくださった石なんです」


私がそう言うと、ブリラダンは一瞬驚いたように目を見開き、すぐに小さく笑った。


「長年様々な宝石を見てきましたが、これほど稀有で美しい石を見たのは初めてです。

出所を教えてくださってありがとうございます。納得の美しさです」


眼鏡を外して、今度は裸眼でじっと見つめる。

長い時間、炉の光と一緒に世界を見てきた目が、石の奥の火を確かめるように細められた。


「このスピネルはすこし大きいな。これに合わせてデザインを少々変更した方がいいか?」

「ファイアオパールは二個に分割することになるでしょう……。オパールは衝撃や乾燥に弱いので慎重にやる必要がありますね」


ファイアオパールを見ていたラネブロムと、いまだにスピネルを観察しているブリラダンが、口々に石について尋ねてくる。


「石はどのように加工していただいても構いません。ただ、その際に出た削りくずはすべて消えてしまいます」


「消える…のですか?」


ラネブロムが驚いた様子で私を見る。


「この石は僕とフラミストラ様の神気そのものみたいなものだからね。落ちたかけらは僕らのところに返ってくるのさ」


フラメラの説明にさらに驚いているようだが、小さくうなずいて石に視線を戻した。


「そのファイアオパールは僕のだから、ラネビーが思うほど脆くはないよ。安心して」


「そうですか」


ラネブロムがつぶやいて、エルミィラが用意してくれたビロード張りのトレイに石を置く。


「父さん、これは僕たちの彫金師としての腕が試される品のようです」


ラネブロムが、少しだけ真面目な声になる。


「そうだな。そっちのフラメラ様の方は任せる。この炎の意匠はお前にはまだ難しいだろう」


「わかりました。ではフラミストラ様のイヤーカフは父さんにお願いします」


サラマンダーが描かれたデザイン画を取り、石を置いたトレイの上に重ねた。


「私共リュメルジェ工房が責任をもって、お預かりしましょう。

そうですね…一週間ほどお時間をいただけますか」


「えぇ、構わないわ」


「必ず最高の品を作り上げてみせます」


「期待しているわ。よろしくお願いします」


ラネブロムとがっちりと握手を交わし、加工にかかる費用の説明を受ける。

純度の高い最高級の銀を使い、かなり精巧な物になるため大銀貨6枚。


――大銀貨6枚……。さすがに安くはないわね。団長さんたちには内緒にしておこう。


半分を手付金として、残りの半分は完成した品に満足できたら支払うということでまとまった。


「では、一週間後に」


ラネブロムが、穏やかに微笑む。


「半月と三の刻に、またこちらへお越しください。父と二人で、お待ちしております」


ブリラダンは、小石を柔らかな布で包み直し、胸元のポケットにそっとしまい込んだ。


その仕草は、長年扱ってきたどんな高価な宝石と同じように――いえ、それ以上に、慎重でやさしかった。


アルギュメスタとともにケルノマスト商会に戻ると、執務室の机に積まれていた書類の山は、少し小さくなっていた。小山となった書類の向こうではバリーとヴェントルーザが、とてもご機嫌な様子で仕事を進めていた。


「おや、アミィ。ちょうどいいところに戻ってきたね」


顔を上げたバリーが、いつものように人の好い笑みを浮かべる。

その隣で、ヴェントルーザが大きな肩を揺らして笑った。


「いやぁ、あの林檎の菓子はまっこと旨かった!

 あの飴色のとろっとしたやつだ、なんだっけ……タル……タルタ?」


「タルトタタンですわ、ヴェントルーザ様」


すかさずアルギュメスタが補足する。


「そう、それそれ!一口食べたら、こうなんとも濃厚なバターのコクとキャラメルの苦みがリンゴの甘酸っぱさと絡まってだな……とにかくアップルパイとは違うおいしさであった」


「あやうく全て食べてしまいそうだったんだが、仕事の後に食べることにすればはかどると思っての。半分はそこに取っておいてある」


応接セットの上には、さっき持ってきた箱が丁寧に閉じられて置いてあった。

タルトタタンは、どうやら二人ともすっかり気に入ってくれたらしい。


また作ってくると約束して、転移門(ゲート)でカフェに戻る。

お茶の時間には少々遅い半月の五の刻前。日は傾き始め、昼間の明るさの隅に夕暮れの始まりを感じる。

エーレはまだ戻っていないようだ。

神殿への手土産に持っていった分の残りなのだろう、タルトタタンの半分を切り分ける。ひと切れはランファさんに籠のお礼にと包装しておく。

ザクロは何も言わずに紅茶の用意をしてくれていた。


こちらの世界のリンゴで初めて作ったタルトタタンは、ほろ苦く香ばしいキャラメルとリンゴ本来の優しい甘みとバターの深い味わいに、爽やかな酸味が加わって、一口食べると口の中に幸せいっぱいに広がるようだった。


――イヤーカフが出来上がったら、団長さんたちにも作って持って行ってあげようかな。


ぼんやりと扉を眺めると、天窓から差し込む光が夕暮れの色を濃くし、扉の半月が満月へと変わろうとしていた。

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