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職人区へ

「大変申し訳ないのですが、本日は彫金工房へ直接向かわせていただきます。

馬車が手配できておらず、徒歩で恐れ入りますが……すぐそこですので」


商会の玄関を出て神殿近くにあるギルド会館の方へ進もうとすると、アルギュメスタが反対の方向へと向かいながら軽く頭を下げた。


「構わないわ。私、馬車ってあまり慣れなくて……。それより、てっきり彫金師ギルドに行くんだと思っていたのだけれど」


「彫金師ギルドのギルド長は、工房にいることの方が多いのです。いつもギルド員たちが困っておりますわ」


「困った方です」と、あきれた様子で頬に手を当てるアルギュメスタ。

どうやら、彫金師ギルドのギルド長は職人気質の強い人らしい。


アルギュメスタの先導で、私たちは中央広場からまっすぐ伸びる大通りを北門に向けて歩き出した。

昼を少し過ぎた頃の通りは、行き交う馬車と人で相変わらずにぎやかだ。


「こちらの通りを境に、西側が商業区でございます」


アルギュメスタが歩みを緩めずに、すっと指先で通りの向こう側を示した。


「ケルノマスト商会の他にも、大小さまざまな商会や雑貨店、食料品店、ありとあらゆるお店が軒を連ねております。反対の東側が職人区でして、手前の方には彫金・服飾・織物・革細工などの工房が並んでおります。中央付近には木工工房が大きく広がり、最も東側のエンヴィサ川沿いには鍛冶、染色、染料、インク、製糸、それから薬師の工房がございます」


視線をそちらへ向けると、表通りには旅人向けの店や酒場が並び、その奥の路地では、道具を腰から下げた職人たちが行き交っているのがちらりと見えた。


アルギュメスタの淡々とした説明に合わせて、頭の中にゆっくりと地図が描き足されていく。


門の方に目をやると、一台の荷馬車がゆっくりと通りを進んでいった。

荷台には、皮を剥いだばかりの丸太が何本も積まれていて、車輪が石畳を軋ませるたび、青い木の香りが広がって鼻をくすぐる。

荷物検めの建物を出たばかりなのだろう、馬車はすぐに手綱を引かれて北門近くの角を曲がり、職人区の方へと消えていく。

木材は、まっすぐ木工工房へ運び込まれていくのだと、一目でわかった。

そのあとには、穀物や野菜を積んだ荷車が続く。

麻袋に入った麦や、木箱に詰められた根菜がきちんと積み上げられていて、朝ほどの慌ただしさはないのに、荷だけはまだ途切れる気配がなかった。

御者たちは慣れた様子で手綱を捌きながら、今度は通りの西側――商業区の方へと馬車を向けていく。

あれらはきっと、市場ではなく、加工用の食材として店に運ばれていくのだろう。

パン屋や惣菜屋、酒場の台所。この街の昼と夕方の食卓を支えるために、昼を過ぎてもたくさんの実りが運ばれていく。


「製紙と印刷工房のみ、大量に水を使うとのことで、川のある東門側の共用洗い場近くにございます。

最も神殿に近い位置にギルド会館がありまして、薬草園近くにギルドを置いている薬師ギルドを除き、すべてのギルドが同じ建物に入っております」


通りには荷馬車だけでなく、歩きの商人たちの姿も多い。

帳面を抱えて足早に歩く若い商人、荷車を押しながら店の場所を確かめている旅装の男、

肩に布包みを背負い、今日の宿を探しているらしい一団の姿も見えた。


「そういえば、水引もここの職人区で作ってくれているのかしら」


ふと思い出して尋ねると、アルギュメスタの瞳がわずかに楽しげに細められた。


「アメジスト様がお持ち込みくださいました“ミズヒキ”なる素材は、多くのギルドが共同で研究開発を行っておりますわ。製紙、染色、インク、製糸それぞれのギルドがアメジスト様から提供いただきましたサンプルをもとに研究を進めております。

彫金以外にもご興味がございましたら、いつでもご案内いたしますのでお申し付けください」


「私も水引の製造方法は詳しいことまで知らなくて…あまりお役に立てずごめんなさい。

どの工房も落ち着いたらぜひ行ってみたいわ」


異世界から持ち込んだ小さな素材が、この街でどんな形になるのか。

電気もなければ、化学繊維もない。私がこちらへ持ち込んだものとまったく同じものを作るのは難しいかもしれない。

それでも、日本でも、そうしたもののない昔から続いてきた伝統工芸だ。きっとこの街でも、別のかたちでいいものが生まれるだろう。


少し進むと、商店の並びが途切れ、通り沿いの建物の雰囲気が少し変わってきた。

荷を一時的に置いておく倉庫らしい建物や、自警団の詰所らしき姿が見え始める。


荷物検めの建物が近づくにつれ、門を出入りする馬車の数もいっそう目立ってきた。

ここから先が、街と外の境目――物も人も、いったん必ず通り抜ける“喉”のような場所なのだと、自然と意識させられる。


いろいろなことを考えながら周囲を見回して歩いていると、すれ違う人の視線と何度もぶつかる。


ルミナーレではあまり見ない、地球の“エスニック”な服装に、この街では珍しい黒髪。

最近広がっている「アメジスト様」の噂と結びつけるのは、きっと簡単なのだろう。


……それにしても、女性からの視線が痛いわ。


ザクロを一目見るたび、ひそひそと囁き合う気配が背中に刺さる。

美しい絹のような黒髪に、光を含んだガーネットの紅い瞳。

感情をあまり映さない端正な顔立ちと、しなやかで無駄のない所作は女性の目を奪って離さない。


「素敵な殿方ねぇ……前の子は恋人かしら」

「恋人にしては幼いわ。きっと異国から来た要人の護衛をしてるのよ」

「いいわねぇ。わたしもあんなきれいな護衛が欲しいわぁ」

「きっと顔で護衛を選んだんだわ」


ひそひそと話す声があらぬ方向へと向かっている。美しさは罪作りなものだ。


――見た目だけは、本当に美しいものね、この猫ちゃんは。


いつもこんなのを連れて歩いていたら、きっと違う噂も立つだろう。

世界が違っても、人ってどうしてこう、色恋を絡ませた話が好きなのかしら。


「……また、変な噂が増えそうね」


小声でつぶやいてため息をつくと、ザクロが「ん?」と、気遣わしげに首を傾けて顔をのぞき込む。

また、小さく黄色い悲鳴が聞こえた気がした。

ザクロは気づいていないようで、その涼しい顔になんだかちょっと負けた気分になった。


そうこうしているうちに、荷物検めの建物のすぐそばまで来ていた。

詰所の前には、自警団の団員たちが、出入りする馬車を見送りながら書類を交わしている。


その中のひとりが、こちらに気づいて軽く会釈をしてきた。


――あの人は確か……オルペルドさんだったかしら。団長さんの屋敷で見かけたわ。


いつも書類を抱えて走り込んでいく姿ばかり見ていたが、荷物検めの担当だったのだろう。

私も小さく手を振って会釈に応える。


隣でザクロも同じように手を上げると、詰所の陰で、さっきとは違う黄色い悲鳴がもう一度弾けた気がした。


「こちらへ。彫金師工房はこのあたりに集中しているのです」


アルギュメスタが、通りの東側――職人区の方を指し示し、行き交う馬車の切れ目をじっと見極める。

ちょうど数台分の隙間が生まれた瞬間を逃さず、私たち三人は、足早に石畳を渡っていった。

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